ユーザ用ツール

サイト用ツール


jjs:readerscomments2023

文書の過去の版を表示しています。


« 『日本の科学者』読者の声

« 2022年

2023年

2023年3月号 特集「心理学から考えるジェンダー平等と平和」を読んで

さまざまな場所においてジェンダーバランスの偏りを感じることがあります.社会に居場所をなかなか持つことができないひきこもり当事者同士が交流できるよう設定された場所でさえ,男性が多数派で,女性が社会や家庭と同様に居心地が悪く,安心して参加ができないという話も聞きます.(必ずしも性別のみが理由となっている訳ではないのかもしれませんが)ひきこもりの子どもがいる親同士の交流会では,母である女性が多数であるようにも感じます.子育ての責任は母親であるという風潮がまだ強いのかもしれません.

公的な支援では,多くの場合就労支援という方法で社会参加を促す(居場所作りもその一環として)ということが多いと思います.女性の就業率が高くなった現在の社会の中で,男性のほうがひきこもりの数が多いという点について,男性が進学や就職から逃避する(一方,女性は家庭にいて家事をしているのだから,家にずっといても特段の問題はない)という,男性に働く性のプレッシャーを与えていると見ることができ,そこにジェンダーの影響を感じます.

(京都支部・井上啓)

ジェンダーに関して議論することは難しい.ジェンダーとは何か,という問いは,ジェンダーに関する運動がえてして対立的になってしまうということに結びついていると思う.

そもそも性の在り方は多様である.セックスを自然の性差であるとし,ジェンダーはそれを否定すべく,社会的な性差と掲げた.しかし,ジェンダー研究の発展によって,むしろセックスそのものも作為的な「自然」であって,そこに社会構築性が指摘されるようになった.また身体は男性・女性に分類できないものもあり,性自認は身体的性差に必ずしも一致せず,さらに性的指向は異性愛・同性愛以外にもある.セクシュアリティの議論はものすごく複雑だから,共通の認識を持つのが難しい.

同時に,運動をするとなると,運動としての立場を決めて,問題をカテゴライズして認識することになる.それによって,多様性が縮減・否定される側面がある.政治的に振る舞うことで,本来は合意できるはずなのに,対立的になってしまうということが起こりうる.

(東京支部・佐藤和宏)

松波知子「身近な暴力が戦争につながる」を読んで

分かりやすかった.性暴力が,戦時下・紛争下で,偶発的に起こるのではなく,なんらかの意図が働いて,権力関係の問題として生じる,ということが指摘されている.おぞましいけれども,現実にあるんだなと思った.ノーベル平和賞をとった,女性支援をしていたお医者さんがいたことを想起した*.親密な関係における暴力に関し改めて数字を見ると,男性も被害があるけれども,女性の被害が多い.

(*https://www3.nhk.or.jp/news/special/nobelprize/2018/nobel2018_01.html)

国際的な流れでは,戦争の中での被害をより大きく受けるのは女性である.だからこそ,女性が紛争の予防や解決,平和構築,平和維持に参加すべきだ,というのは国連安保理でも決議されている.国連の軍縮担当が女性であるというのも,その一つの象徴だと思う.90年代に虐殺のあったルワンダでは,その後,女性の政治参加を重視して,6割ほどに女性議員比率を増やすことで,政情安定化につながったという評価がされている.そこではジェンダーと平和という観点から取り組まれていると思う.

(東京支部・塚田幹人)

2023年3月号 市村正也「水素エネルギーと地球温暖化対策」を読んで

「水素の利用法」の章では,燃焼,燃料電池,水素製鉄が紹介されている.燃料電池の電気エネルギーの変換効率が4~5割程度というのは意外と低いのだと感じた.「水素の製造法」の章では,水素ガスの主な生成方法として,化石燃料から取り出す方法がいくつかあることを初めて知った.しかし,これらはCO2が出てしまうことと引き換えにする必要がある. 「水素利用のエネルギー収支とCO2排出」の章では,化石燃料から水素を製造(最も高く見積もってエネルギー効率が70%)し,これを燃料電池で利用すると,CO2の排出量が増えてしまうという大変ショッキングな内容だった.再生可能エネルギーで発電した電力を使って水を電気分解すればCO2は出ないが,これを利用する場合でも,種々のエネルギー効率を考えると得策ではないということであった.

(栃木支部・荻原明信)

2023年2月号 津田敏秀・頼藤貴志「寝屋川廃プラスチック処理工場周辺の疫学調査結果―環境公害問題における公的機関の機能不全」を読んで

寝屋川市の廃プラスチック処理工場が2004年に稼働し,揮発性有機化合物により多数の市民に皮膚粘膜刺激症状などの被害が生じた.行政は岡山大学や住民などの科学的調査結果を無視し,裁判所や公害調整委員会なども調査結果を否定したことにまず驚いた.科学的根拠に基づく結果でも,日本の公的機関は結果を否定し,環境調査など実施しない行政の無責任な態度は今後の教訓となるであろう.なお,寝屋川の件について行政や裁判所などは何も調査せず,津田らは食品衛生法などを参考に調査し,大気汚染公害についても食品衛生法を参考に分野ごとに法制度を整備すべきと提案した.公害問題による人体影響が想定される場合,どのような調査が行われるべきか日本の法律では定められていない.

このように,今回の疫学調査の経験は我々に,様々な教訓を与えている.同じ2月号の長野晃「寝屋川廃プラリサイクル公害の概要」は状況が時間の経緯とともに記載されており,合わせて読むと理解しやすい.

(兵庫支部・田結庄良昭)

2023年2月号 特集「プラスチック問題を考える」について

特集は全体的に,良かったと思う.社会のこのまま行ったらまずいよねという点がいくつかあり,じゃあどうすればいいのかについて,具体的な問題の指摘があって,興味深かった.政治現場での議論では,資本主義の限界を訴える人もいて,私自身その意見を否定するつもりはない.資本主義とは別のシステムが必要だというが,そのための現実的な政策決定については,それほど期待をしていない.実際にどう変えていくのかというのは,資本主義内の産業構造を変えていくのが重要になるのではないかと,議論全体を通して思っている.対談では完全リサイクルは難しいのではないかという見立てがもともとあったことが示されていたが,そのような勘が働くのも基礎的な勉強をすることで可能になるのではと気づき,分野を広げて基礎的なことを学びなおしていきたいと思った.

(東京支部・川口力丸)

寝屋川では地元住民の反対を無視して操業を始めた再生プラ工場が予測通り一大環境汚染源と化し,住民は操業停止を求めて苦戦を強いられ続けているとのこと.プラごみ排出者の一人として残念である.

水越論文を入れると4報5人の研究者の方々が,調査結果を報告して下さっているが,大変な作業だったと思う.プラ問題は私たち現代人にとっては「因果応報」だが,大変なのは「因果を追う方」である.

逆転層による夜間の汚染物質停留も恐ろしいが,それが拡散されていくことも脅威だ.人々が毒ガスに脅える日々を強いられることになるので,これは人権侵害である.イ社が操業を強行したのはプラ再生事業にそれ相応の成算があったからなのか.住民被害を認めない態度からは,地球環境保全のためにプラごみ再利用を目指したとは思えないのだが.住民の訴えを却下した法関係者にも異議を唱える.(もしや,科学的な報告が理解できなかった? 彼らも当事者になれば,被害者として闘い始めるだろう.世界の見え方は立場によって異なる.)

車,航空機からの排気ガスに加え,プラまでもが新たな大気汚染源となった.プラスチックが地球全体の化学汚染源と化すことをプラスチック開発当時は全く予想できなかったのだろうか.

(東京支部・中嶋由美子)

2023年1月号 「科学技術コミュニケーションとシチズンサイエンス―専門家政治と民主政治の断裂を越えるために」を読んで

「科学の成果が市民の日常を左右するようになって久しく,またその影響は日々より甚大になっている」というのはまさにそのとおりだと思う. 専門家政治と民主政治についての著述も考えさせられた.多くの庶民があまりにも自然科学に疎いなら,それは民主主義の危機に陥ることになるだろう.

この論文で,楽しさを強調しているがこれが本質ではないだろうか.大学を出てしまえば,あるいは理系でなければ高校をでてしまえば,自然科学と全く無縁だということになってしまいかねない.

最後に,研究に参加するということに触れられている.これは大切な視点であるが.私はそれ以前での段階で問題だと思う.原発を例にとるならば,裁判官が全く自然科学を知らなかったらまともな判決が下せるだろうか.統一協会を例にとるならば,科学的な知識があればインチキ宗教にのめり込むことはなかったのではないだろうか.国民に必要なことは科学的な高度な知識ではない.基礎学力があまりにも欠如していることが問題でなないか.

(三重支部・菊谷秀臣)

2023年1月号 特集「市民のための科学コミュニケーション」を読んで

私は学問的なサイエンスカフェそのものには興味がありませんでしたが,今回の特集を読んでサイエンスカフェのあり方について改めて考えさせられました.

私は昨年,佐渡島でサイエンスカフェを5回開催しました.佐渡の森林や植物の話題が中心で,1時間ほど私がプレゼンをして意見交換をしていますが,どちらかというと市民向けの情報提供(勉強会)で意見交換が少ない状況です.私からはプレゼンの途中でもいいから質問やお互いのディスカスをと催促していますが,一方的になりがちです.場所は一般のcafeを借り切って,平日の夜の開催です.参加者は年配者が多く,エコツアーやジオガイドの参加が特徴的です.毎回,10名程度の参加者で固定客は半数ぐらいで少しずつ入れ替わっていきます.参加費の中にドリンク代を含めているので,カフェにとっては短時間でまとまった収入になっていますし,時には新聞での告知もありますので宣伝にも一役買っているようです.

開催の情報はカフェのSNSや私のFacebook,これまで参加した人へのDMです.カフェにはプロジェクターやスクリーンが元々設置されていますので,パソコンさえ持っていけば気軽に実施をすることができます.参加者にできるだけ関心を持ってもらおうと,樹の枝や鹿の角など話題と関係するものを持っていきます.

1月のサイエンスカフェは,季節に合わせて雪と植物というテーマで準備していましたが,昨年末の大雪で佐渡市では1週間以上の停電が続きました.その原因が,タケ林の倒木が大きな原因とされていました.急遽,これもテーマに加えて準備をしました.話題がホットであったためか30名もの参加者があり,意見交換も活発に行われました.SDGsの島,佐渡島(SaDoGaShima)からの情報提供でした.

(新潟支部・崎尾均)

2023年1月号 伊藤久徳「「弱者」を主語に」を読んで

非対称関係Ⅰと同Ⅱという2分類が興味深かった.非対称関係ⅠのSC(Science Communication) と教育(初等中等教育と大学教育)が同じ範疇であるという指摘は少々気になった.「教育」における教師・教員と生徒・学生の関係を上下関係・強者弱者関係と位置づけることに違和感があるからである.

評者も「人材」,「人材育成」などという言葉を使うたび,何かもっと適切な言葉は無いのか,という違和感を持つ.筆者はこれに対して「人の育ち支援」を提案されている.和英辞書などには parsons of talent, human resources,manpower,あるいは,cultivation of human resources,training of personnel などとある.これらは,評者の持っている「人材」「人材育成」の語感とはかなり異なっている気がする.「教育」とは何か,「人材」,「人材育成」とは何か,浅薄な知識しかなく困惑している状態である.

(福井支部・小倉久和)

jjs/readerscomments2023.1696221146.txt.gz · 最終更新: 2023/10/02 13:32 by mikasatoshiya

Donate Powered by PHP Valid HTML5 Valid CSS Driven by DokuWiki