ユーザ用ツール

サイト用ツール


jjs:readerscomments2022

文書の過去の版を表示しています。


« 『日本の科学者』読者の声

2021年 »

2022年

<h2>「大学と学問の危機」の特集を</h2>

日大の林真理子理事長が就任の記者会見で,記者の「作家が大学の経営が分かるのか?」の質問に,彼女は「大学は儲けるところではない」と答えた.だが,今大学は利益を上げることを求められているのではないか.法人化以降,大学は,公的予算が減らされる中,自らの経営手腕が問われている.一方,「選択と集中」方針の下で国の希望する研究・学問には紐付きの予算が下りる.10兆円の大学ファンド,卓越研究大学,経済安保法等々.

視野を広げると,「理系重視」「一般教養軽視」「高校の国語教科書での小説軽視」など,目先のことだけを重視して(利便性),将来のことを考えない姿勢(基本的な考え方軽視)などにぶつかる.

国が考える「基本方針」に基づいて,強引に引っ張っていく姿勢に大いなる危惧を感じる.象徴的な事件は学術会議会員の任命拒否だと思う.一方,大学人が声を上げることが困難になっている.そして,庶民はそんなことに関心が行かない.『日本の科学者』でもあらためて「大学と学問の危機」の特集を希望する.

(新潟県・酢山省三)

<h2> <a href="https://jsa.gr.jp/04pub/0401jjs/2021contents.html#m2022-06">2022年6月号</a>特集論文 近藤真理子「学習集団におけるキーコンピテンシーと学習権を読んで </h2>

本論文は,学習権に焦点をおいて論じられている.これはきわめて大切な視点である.論文は,不登校や登校拒否の問題点を最初に提起している.また,本論文からうかびあがる教育の問題点は,学習意欲に重点をおくか,知識の獲得,技術の習得に重点を置くかということである.これはある面において,対立する概念ではないだろうか.楽しい授業を追求すれば,場合によっては知識の獲得がおざなりになりかねない.しかし,知識の獲得に重点をおけば,学校の授業が楽しくない子が出現する.この2つをどう統一するかということである.

今,登校拒否(不登校)に陥っている児童生徒は20万を超えると言われている.これをこのまま放置してよいだろうか.筆者は,なぜ子どもは学校へ行けなくなってしまうのかという原因について,ただ1つ,それは学校が楽しくないからであると言う.

学習権も大切であるが,当面我々は,この膨大な登校拒否(不登校)児童生徒の問題を解決しなければならない.そのために,私たちは,面白おかしい教育ではなく,楽しい教育を目指す必要がある.孔子もどこかでいっていた.「これを知る者は,これを好む者に如かず.これを好む者は,これを楽しむ者に如かず.」と.学習権を保障するために,子どもの側に立った自主性を重視することの大切さを述べている.これが保障されてこそ,この問題は解決へと向かうだろう.

(三重支部・菊谷秀臣)

<h2> <a href="https://jsa.gr.jp/04pub/0401jjs/2021contents.html#m2022-04">2022年4月号</a>特集「不安定雇用の女性研究者 ─研究をめぐるジェンダー問題」を読んで </h2>

私自身,専任のポストを得るまでの道のりは長く苦しいものだった.当時(90年代)は,就職は指導教員の思し召しに期待するしかなかった.それに比べれば,今はWebで公募情報も得られ,多様なポストも用意されるようになっている.しかし,「改定労働契約法」の下,勤続10年を超えた研究者の無期雇用転換が始まる来年4月を目前にして,国立大学・国立研究機関だけでも非正規雇用の4500人がその直前にも雇止めにあう可能性があるなど,大きな問題になっている(先の通常国会では,国立大の研究力低下が,私立大学以上に深刻な非正規化の影響を示すものではないかとの質問もなされていた).

齋藤悦子論文「女性研究者の家庭生活―年齢別,世帯別の分析」にあるように,「仕事」か「生活」かというWLBの問題は,不安定雇用ではライフサイクル展望だけでなく,研究テーマの展望・計画自体も持ちにくくさせる.とくに20代・30代の女性研究者の状況は深刻だ.しかし,それ以上の世代でも,受けた支援の負担感や単身者のWLBへの配慮がないなど悩みはつきない(調査で50・60代の常勤者の話が聞けていないのは残念!!).

一方,研究という職業は,大なり小なり,正規のポストを得るまでは苦労や不安が高いことが共通項としてあるから,後輩の苦労にも思いを馳せやすい職場なのかもしれない.京都地区読書会でも「出産・育児に携わる場合は,任期の10年を延長できる規程を大学として作った」などの事例も紹介された.

上記論文に「先輩研究者の何気ないアドバイスがあったからこそ研究を続けられた」という語りもあった.研究者養成教育の早い段階で,若い研究者の「不安」を「希望」につなぐべく,こうした幅広いノウハウにまで触れられる機会・教育が提供される必要も感じさせられた(もちろん,科学技術・大学の情勢・政策の現状と課題をきちんと学べることが大前提だが).     

(京都支部・瓜生淑子)

私は不安定雇用の女性研究者の一人です.4月号の特集を読んで,一口に不安定雇用の女性研究者といっても,分野や雇用形態等によってまったく状況が異なり,同じ大学にいても見えてこないものだと感じました.今回の質的調査は,大規模な量的調査では見えにくい具体的な実態を明らかにし,個々の研究者の状況をイメージしやすいものであり,大変意義のあるものだと思います.笹倉論文の中で,女性が研究者の道を進む上で周りの理解やゆるやかなネットワークに励まされたとありました.孤立しがちな環境の中で,仲間を作っていくことは重要であり,そのようなプラットフォームに科学者会議はなる必要があると思います.一方で,そのような理解のある指導者や同僚との出会いをある種の運に頼っていては,状況は改善されません.大学や研究機関において差別や偏見への対策をとり,また安定した雇用環境を整えることが重要であると考えます.

(広島支部・久米鏡花)

現役時代には工学部に所属していたこともあって,女性研究者の状況は理解できていなかったことを痛感した.しかしこの10年余りの大学における研究者の状況をみれば,特に若い世代,とりわけ女性研究者の環境はさらに悪化してきているのではないか.この間,大学は学内保育所の設置や研究補助員制度等で子育て女性の支援を行ってきているはずだが,その努力も報われていないのではないか.

ところで,先日公表された日本のジェンダーギャップ指数は146ヵ国中116位だったが,実は教育分野全体の達成度のスコアは1位である(ただし21ヵ国が同率1位.昨年は92位だったが).大学を含む研究者の環境はこの指標のどこに位置付けられているか分からないが,若手間研究者の置かれている環境からみても,研究者分野での男女格差は拡大しているのではないか.また,この格差状況は,日本における研究活動の劣化の主要な要因の一つではないか,とあらためて考えた.

(福井支部・小倉久和)

<h2> <a href="https://jsa.gr.jp/04pub/0401jjs/2021contents.html#m2022-03">2022年3月号</a> 井原總「先進技術取り込みにはやる防衛省の研究開発-7年目の安全保障技術研究推進制度」を読んで</h2>

戦争できる国というのがどういう国か,ということが問題だ.ロシアによるウクライナ侵攻には様々な見解があるとは思うが,調べてみた範囲では,中央集権的というか,反体制勢力に弾圧を加える国家であったり,報道に対する規制であったり,そういう体制が整えられた上で,侵略性を帯びてくる.日本も,そういう国家を目指しているということが,この10年ほどで特にみられている.

報道されることとされないことがある.集団的自衛権の時は,日本の安全が脅かされるからということに対して批判の声が大きかった.実際,安保法が通って,長射程巡航ミサイルは菅内閣の予算でも組みこまれたとのことだが,あまり認知されないで,報道されず,みんなが知っている情報になっていない.報道されていないリアルタイムのことだと,経済安保が国会で議論されていて,井原さんが書かれていることと密接に結びついている.

軍産学複合体といった研究のたぐいは,科学者にとって良いものではない.秘匿事項だから研究の成果として公表されないものもある.ダニエル・ヘイルが,良心に基づいて軍事機密(ドローンで殺人行為が行われたこと) をもらしたことで投獄された.同様のことが学者にも起こりかねない.

(東京支部・川口力丸)

内容は本質を的確にとらえたものになっており,鋭いと思われた.こういう軍事研究の問題は,一面的に考えてはいけない.それは,科学が技術となって現れる時,平和にも戦争にも使われることが可能という面を持っているからである.

今日本の政治事情は,ロシアによるウクライナへの侵略が影を落としている.日本の大半の国民も,中国による日本侵略のシナリオを考えているかもしれない.軍事費を削減し国民の側にまわせ,などという議論は減少している.

だから,ただ単に軍事費に協力するな,とか軍事に関する研究をするな,と叫んでも国民の多くは耳を傾けないのではないか.多くの国民をひきつけるような,軍事研究反対の道筋をつけなければ国民から遊離しかねない.

また,軍事研究は秘密を必要とする.これは本来の科学研究と矛盾する.科学には自由や公開,公正ということがなければならない.これに反する科学研究だからこそ,多くの研究者は軍事の研究に反対しているのである.このことは,本論文の指摘しているとおりである.

そうだからこそ,防衛対策をどうするかという道筋を明らかにして軍事研究をどうするかということについて考えなければならない時代が到来したのではないだろうか.

本論文は,現代という時代を考える時大切な視点を指摘したきわめて重要な論文であったといえよう.

(三重支部・菊谷秀臣)

ガルトゥングは,安倍元首相を批判している一方で,集団的自衛権の一部行使は容認していると日本の新聞のインタビューに答えていた.軍学共同を進める上で大事なのは,書かれていたように,毒ガス開発したハーパー以来の,自衛のための研究だ,戦争が起こったら科学者が戦争に協力するのは当然だ,という主張である.金の出所が大事だというのはもちろんそうなのだけれど,なぜそれがダメなのか,自分と国家権力を同一視することがいかに危険なのか,という点の両輪で反対を進めていかないと,自衛だからいいだろうということを止められないのではないか.

(東京支部・土肥有理)

<h2> <a href="https://jsa.gr.jp/04pub/0401jjs/2021contents.html#m2022-02">2022年2月号</a>特集『大学論』を読んで </h2>

中富公一論文にも引用されている駒込武『「私物化」される国公立大学』(岩波ブックレット,2021)を読み,駒込さんのオンラインによる講演会にも参加し,国公立大学の学長たちによる独裁的運営の酷さに驚いた.かつて大きな民間労組で委員長を務めたり,立憲民主党・社民党・緑の党などで重要な位置を占めている人たちとの勉強会でも大学の変化について報告したばかりだったが,こうした変貌は国民にはまだ十分には知られていないと感じたので,今回の特集はとても参考になった.どうしたらまともな大学に戻せるか,市民と共に考えていく必要を感じている.

(岐阜支部・中須賀徳行)

「ブレーンストーミングやディベートの習慣の無い日本の学生には,ある事象に関して問題点を洗い出して討論するという習慣がなく,加えて,社会問題に関する関心も皆無であり,PBLチュートリアル教育でのディスカッションを成立させることには大きな困難が伴う」(p.23~p.24一部改変・省略)という著者の見解には,強い共感を覚えた.私も医学部教員であるが,医学部に入学してくる学生は複数選択肢から正解を選びだす技術には非常に長けているが,幅広い事象から問題点を抽出し,自分(達)で解決策を探し出す訓練をほとんど受けていないように見える.これは,著者が指摘する初等教育からの教育の在り方の根本的問題,特に大学入学共通テストなどマークシート式試験の多用が,悪影響を及ぼしているように思えた. 

(沖縄支部・大倉信彦)

<h2> <a href="https://jsa.gr.jp/04pub/0401jjs/2021contents.html#m2022-02">2022年2月号</a>特集論文 岡田健一「国立大学改革と労働組合の役割――「大学の自治」の再構築のために」を読んで </h2>

大学における労働組合の存在は,学問の自由・大学の自治を中心に据えて展開されねばならない.また,大学における労働組合は国民と広く結びあわなければならない.本論文では,大学入試についても触れられている.この大学入試共通テストが本当に必要なのかという気がしている.こういうことが大学の格差を助長しているのではないだろうか.これは結局,大学の平均化へと道を開き個性無き大学へと変貌していくように思われる.

大学に順位をつけるための共通テストを廃止ということは間違っているかもしれない.でも,大学の問題点の1つに入試問題があるような気がする.今大学ばかりでなく,組合の力が大きく損なわれている.今こそ,大学をはじめ,労働者の権利の砦である労働組合を強大にしなければならない.

(三重支部・菊谷秀臣)

<h2> <a href="https://jsa.gr.jp/04pub/0401jjs/2021contents.html#m2022-04">2022年4月号</a>「科学余話」を読んで </h2>

4月号の科学余話を読ませていただきました.足柄の山林において30年以上の長期にわたってヤシャブシ林の動態を調査された佐々木園子さんの報告に感銘を受けました.調査を学生のゼミと一体化して行われたことは,教育上,大きな効果があったかと思います.また,調査を継続する上でのマンパワーにもなっていたのでしょう.専門的に見ても,非常に貴重な研究データですので,ぜひとも,専門的な学術雑誌に投稿されることをおすすめいたします.また,この調査を何らかの形で引き続いて継続されることも期待いたします.

(新潟・崎尾 均)

<h2> <a href="https://jsa.gr.jp/04pub/0401jjs/2021contents.html#m2022-01">2022年1月号特集</a>「コロナウイルス禍における子どもの権利保障」をめぐって </h2>

「言葉の玉手箱」の中での義務教育の説明で,これは国民の義務ではなく,国民の権利だとある.これは大切な指摘であり,本特集はこの観点で貫かれていてよかった.この特集で私が注目したのは,汐見論文と新田論文であった.他にも優れた論文があったことはいうまでもない.

まず汐見論文であるが,「戦後教育の概括」を15年区切りでとらえていてわかりやすい.このため,戦後の日本の教育の特性がよくわかった.幼児教育は世界的流れであるという.本論文は,「子どもを歴史を生きる権利主体=市民として見るということ」が大切なポイントであることがよく示されていてよかった.特に,学級崩壊についての小学校教師の報告は鋭い問題提起だ.「家で子どもが自由に自己の感情を表現できない抑圧されている子が,学校でストレスを発散している」との指摘は正しい.

新田論文は,子どもの表現活動がいかに大切かがよくわかる論文であった.吹出物ができていた子どもが,表現活動をした後吹出物がなくなったという記述に驚きながらも納得できた.表現活動を通してこそ,「子どもたちの中に「自尊感覚」「自己有用感」が育つ」との指摘は貴重だ.また,ステージ公演を成功させることができたのは,保護者参画の感染予防などきめ細かい対策ができていたことが大きかったということも重要だ.

この2つの論文に共通するのは,子どもたちの心の葛藤は外へ向かって表現することによって解決できるという方向性を指し示したことである.コロナウイルス禍では,子どもたちは閉塞状態に置かれてしまう.それは子どもにすれば,表現の自由の抑圧にほかならない.だからこそ,私たちは子どもたちに表現する機会を提供せねばならないと思う.子どもが自ら表現できることもまた,義務ではなく権利である.

(三重支部・菊谷秀臣)

1月号の林論文で,ドイツの小学校ではデモのやり方について教えていることに触れているが,それに関わってドイツの政治教育の内容について,自分で調べたことのある,大学進学を前提とするギムナジウムを中心としてお伝えしたい.まず,日本の政治教育の特徴としては,子どもの権利条約の中身が十分に周知されてないという問題点がある.さらに実践においても知識を「覚える」点が重視され,得た知識を実際の社会問題に照らして「考える」ことが妨げられる傾向が強いと言えるだろう.

ドイツでは,政治経済を学ぶとき,知識を蓄積することはもちろん,単元ごとにテーマが設定され,学んだ内容をもとに自分の考えをまとめ,議論をするという形式が重視される.例えば,貧富の格差の原因と,国家による介入をする場合,どのようなものであるべきか,基本的人権と基本法との関連では事例からどのような場合が基本に抵触するのか,極右が伸長する要因は何か,それを防ぐために何ができるのかといったテーマをグループで議論し,さらに各グループで出た提案のうちどれが最も説得的かを議論する,という課題が教科書に設定されている.

また,このような「正しい一つの答え」を見つけるのではなく,意見の違いを多様性として尊重する姿勢(1976年のボイテルスバッハ合意に基づく)に加え,政治教育に関するパンフレットや副教材が豊富なことも特徴として挙げられる.Das Parlamentという,連邦議会が週刊で発行している議会だよりが廉価で入手可能であり,2020年にはそこに付録として,香港の雨傘革命をどう見るかという連邦政治教育センターのパンフレットもついていた.このように,議会で誰が何を質問し,何が議論されているのかも日本に比べると見えやすい.さらには,連邦と各州にそれぞれ置かれている政治教育センターの出版するパンフレットや小冊子は無料もしくは3~5ユーロと比較的廉価で入手でき,政治教育の副教材としても使用ができる.教科書の内容はギムナジウムを例として紹介した.日本でも参考にすべきことは多いように思う.  

(東京支部・土肥有理)

<h2>オンライン署名運動</h2>

ロシア政府によるウクライナへの侵攻に対し,ロシア国内の科学者と科学ジャーナリストが軍事行動に反対する公開書簡を公表した.JSA大阪支部もこの声明に賛同し,オンライン署名を立ち上げた.日本国内の科学者や市民にも,署名行動による連帯を呼びかけた.3月10日大阪支部の事務所近くで,「戦争に反対するロシア人科学者・科学ジャーナリスト」と連帯する署名行動を実施した.Facebookの告知を見て駆けつけてくれた人,感謝していると言葉をかけてくれた若いお母さんもいた.オンライン署名は,大阪支部のホームページ. https://jsaosaka.jimdofree.com/

(今岡良子,大阪大学)

<h2>今回のロシア軍のウクライナ侵攻について,思うこと</h2>

2月24日に始まったロシア軍のウクライナへの侵攻は侵略行動である.納得できる理由はない.国連総会では193加盟国中7割を超す141国がロシア非難決議に賛成していることにも現れている.ウクライナ内外への避難民は1000万人以上,軍事施設を攻撃といっていたが,教会・病院・学校が攻撃され,民間人が多数死傷するなど被害が出ている.また,プーチン大統領は核大国であることを誇示し,世界を威嚇しており,1962年のキューバ危機よりも危険といわれている.ロシアの前身の旧ソ連でも,東欧のハンガリー(1956年),チェコスロバキア(1968年)への侵攻が行われ,傀儡政権を打ち立てた.そうしたことをウクライナでもやろうとしていると思う.それは,東欧諸国を勢力圏として支配しても構わないという考え方が受け継がれていると解釈するしかない.ウクライナのことはその国自身が決めることで周辺国が影響力を及ぼすことではない.即時停戦して交渉により解決されることを望む.世界的に世論で包囲することが重要だ.

(東京支部・増澤誠一,2022年3月20日投稿)

<h2>暴力の阻止を</h2>

なによりもまず一刻も早く戦闘を止めことが求められている.新聞,TV,ネット等には,ロシアとの戦闘を煽る情報に溢れ,暴力は果てしなく続く様相を呈している.世界世論が冷静に戦争当事者の両国にミンスク合意(ウクライナ東部地域に特別の自治権付与)に立ち返ることを迫ることが必要である.

(東京支部・東森朋秀,2022年3月13日投稿)

<h2>平和への願い</h2>

ウクライナの,防空壕に退避した人々の映像をテレビで見ていると,今は離れて暮らしている子どもたちや孫たちのことを考えてしまいます.東アジアの軍事的緊張を高め,日本を戦場にしかねない構想を口走る政治家が,ロシアのウクライナ侵略にこと寄せて,日本を軍拡に向かわせようとしているからです.

ぼくは,敗戦から10年目の1955年に,名古屋市南区桜本町の,戦前に建てられた三軒長屋で産まれました.小学校に入学するかしないか,とても小さいころ,年末の大掃除のとき,「ここに防空壕があった」,「この穴は爆弾の破片のあと」などと聞かされました.祖母は,近くに墜落した爆撃機のまだ生きていた兵士を近所の人たちが棒で殴り殺したこと,その兵士がまだ若くきれいな金髪だったことを覚えていました.

南区桜本町は,万葉集の「桜田に鶴(たづ)鳴きわたる 年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし 鶴鳴きわたる」に登場する「桜田」のことです.愛知は「あゆち」に由来するという説もあります.万葉集が作られたころ,名古屋の熱田区から南区の地域は海岸や干潟でした.つまり,この地域は上流から運ばれた土や砂が堆積した平野です.そんなところに住民が手掘りした防空壕がどれほど脆弱なものだったか,想像するのはそれほど難しいことではないでしょう.

今の日本には,大都市にも,郊外にも,防空壕やそれに代わる施設がありません.防空壕がなくても,平和憲法の下で平和に生きる権利を確保できる国にしようと努力してきたのだと思います.日本を「戦争する国」に変えようと考え実際に行動している人たちは,武器を買うことに膨大なお金を使おうとしていますが,国民を戦火から守るために必要な施設を日本中に建設するためにどれほどのお金がかかるか,一度でも計算してみたことがあるのでしょうか.

(愛知支部・中嶋哲彦,2022年3月9日投稿)

<h2>ロシアによるウクライナへの侵略はスターリン主義か?</h2>

今回のプーチン氏によるウクライナへの攻撃は,21世紀にあって常識で考えられない.この事件が勃発した時,私はすぐハンガリー動乱を思い起こした.ハンガー動乱(1956年)はスターリン主義によるものであった.しかし,スターリン批判以後,スターリン主義は克服されたかに見えた.ソソビエト連邦の崩壊以後一定の民主化が進んだようにも思われた.

今回のプーチン氏によるウクライナ侵略は,スターリン主義の再現ともいう事態である.この事件の本質的な問題点は,国家や国民の運命を決定する者は誰かということである.ウクライナの問題は,ウクライナが決める,これが国際社会における常識である.ウクライナの主権はウクライナの国民にある.プーチン氏による侵攻は,ウクライナの主権をないがしろにした.これが一番大きな問題点である.

そうであるからこそ,国際社会はロシアの行動を許してはいけない.ロシアもウクライナも両方に問題があるという論理を絶対に認めるわけにはいかないであろう.ウクライナが,プーチンの大嫌いなNATOに加盟をしていたとしても,それはウクライナの国民が決定することである.ロシア人が決めることではない.このようなプーチン氏の行動を許すことは,国際社会の秩序と安寧を大きく損ねることになる.国際社会は全力をあげ,プーチン氏の野望を打ち破らなければならない.

国際社会が一致団結し,国際社会に平和と秩序が戻ってくるよう人々は力を注ぐ必要がある.人類が幾度も,危機的な状況を克服してきたことは歴史が証明している.今回の事態も,世界の人々が必ず解決の糸口を見出し,実現に向けて行動することを惜しまないであろう.そこに,人類の希望がある.

(三重支部・菊谷秀臣,2022年3月8日投稿)

2021年 »

jjs/readerscomments2022.1665038285.txt.gz · 最終更新: 2022/10/06 15:38 by michinobumaeda

Donate Powered by PHP Valid HTML5 Valid CSS Driven by DokuWiki