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2021年

2021年12月号 特集論文 鈴木宣弘「国際農産物流通とSDGs」を読んで

貿易自由化が世界全体の経済的利益を最大化するとの市場原理主義的経済学は,寡占が蔓延する現実市場では,事実に基づかない空論であり,貧困と飢餓を増幅するだけである.この事実を,国際的な農産物買い叩きの寡占化を数値で「見える化」して実証したこの論文には,年来の霧が晴れたような思いを抱いた.「理論は実証によって検証される」は至言である.

喜寿を前に,JJA誌の積ん読が多くなり,退会を考えていた気持ちを一新してくれたこの論文に感謝したい.食糧問題を危惧しながら家庭菜園にいそしむ年金者会員に,活動の勇気と自信を与えてくれる内容である.

鈴木氏のご意見は,TPPの危険性を説く新聞記事などで拝見してきたが,この論文によって,無制限な貿易自由化の害悪がいっそう明確になったと言える.

アダム・スミスやリカードの貿易自由化論が幅を利かせてきた従来の経済学に,現実を対比して違和感を覚えて続けてきた私達に,理論的・現実的な対応策を提示してくれている.寡占下での貿易自由化と規制緩和ではなく,協同組合のような共助組織による国際農産物流通への転換など,国民の健康と食料自給への改善に取り組む人たちへの指針となる内容である.ぜひ国民世論や政党の政策にまで広げていきたいものである.

(千葉支部・佐々木正元)

2021年12月号 特集論文 宮﨑崇将「日本の流通から見た食品ロス問題」を読んで

最近,牛乳がとれすぎて大量に廃棄せざるを得ないというニュースがあった.何年か前も,白菜がとれすぎて,つぶしているというニュースがあった.食品ロスのどの種類に該当するのだろうか.特集全体にも関わるが,値引き商品や訳アリ商品を活用するなど,取り組み自体はあると思うので,それによってどれくらいロスを減らせるのかが気になった.

オリンピック・パラリンピックの給食で13万食分が廃棄されたとのことだった.選手村ではアイス食べ放題もあったが,捨てられもした.フードバンクをやっている人が,困っている人に提供せよと言っていたのに,オリンピック・パラリンピックでさえ,それは実現されなかった.勤務先の専門学校の教室にSDGsのポスターが貼ってあるのに,余ったものを全て捨てた話には誰も反応していなかった.意識の低さをどう変えたらよいのかだろうかと思った.

(東京支部・土肥有理)

2021年11月号 特集「感染症大流行時代の人と動物の関係」 神里達博論文を読んで

全体的な感想として,学問分野の扱う範囲が広くなっていることである.人間の生活が,人間の生活で完結しておらず,動物などとリンクしている.学問分野も,包括的に研究しようとすると,専門性だけでなく周辺的知識を要する.高校の教科書の記載では,自然を支配する,自然と共生するなど,年代による自然観が変化が示されているという文章を見たことがある.日本財団の調査によれば若者の関心は,環境問題まで行っていなくとのことだ.日本だとどうしてなんだろうと思った.要求それ自体がないわけではなく,一定の意識はあるようで,惜しいと思う.

(東京支部・川口力丸)

2021年11月号 特集論文 神里達博「BSE問題の経緯から読み解く科学と政治の関係性」を読んで

本論文は,BSE問題の歴史を通して,社会的課題に対する科学者の在り方を教えてくれる.

研究所で最初にBSEが見逃された経緯より,研究者あるいは組織がまったく新規の問題に遭遇したときにどう備えておくかが強調されたが,現在の大学を考えると実に難しいと感じた.このような備えは日頃からの余裕が必要である.しかし備えがなくて研究所所長のように問題の隠蔽に走るのも恥ずかしい限りである.科学者としての誤謬を避ける慎重さといえば聞こえはいいが,改ざん・ねつ造などと裏腹の研究倫理上の問題である.隠蔽の動機は畜産業に対する経済的打撃が大きいことに逡巡したためでもあったが,政治や経済界への忖度の問題といえる.いずれにしても,最悪を想定した生命の最優先の原則が科学でも政治でも貫徹することが重要だと感じた.

専門家による政府の諮問機関の設置の際に,学会の権威といわれる著名な研究者を優先して効果的な提案ができなかった経緯も教訓的である.失敗を恐れる専門家と経済を優先する行政側の慣れあいは何も生まない.

最後に,未解明のマイナーな分野のリスクに対応するために提案された次の2点はJSAの存在意義や活動の在り方を考えさせてくれた.(i) 業績にはこだわらない専門家の集団が必要で,通常の真理追求型の学会集団とは異なる.(ii) 未解明な部分が多いほど,行政と科学の力関係が行政に偏りやすいことを認識すべきである.

(京都支部・前田耕治)

2021年10月号 特集論文 岡村眞「南海トラフ地震に備えて-高知県の防災施策と安心安全」を読んで

本論文は,今月号で一番考えさせられた論文でした.「前回の南海地震からすでに75年が経過した」とありますが,その当時の記録は残っていないのでしょうか.残っていたら,そこから学ぶということは価値が無いことでしょうか.東日本大震災から教訓を引き出そうとされているようにも思われます.東北と高知県とは同じではありません.ですから,75年前の高知の経験も大切にする必要はないのでしょうか.

東日本の震災の前に貞観の津波について述べられています.この時のことは「契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 波こさじとは」(清原元輔)と歌によまれていますから,よく知られているかもしれません.この大津波は,明治29年(1896年)青森,岩手,宮城の3県を襲っています.死者の数26360名というのですから,今回の東北大震災よりはるかに多い数です.これがどうして今回の大震災が1000年に一度などということになるのでしょうか.本論文では,1000年に一度とか,貞観から東北大震災の間にこういう大津波はなかったとは書かれていません.でも,明治の今回を上回るともいわれる明治の津波に対しても記述がないのは不思議です.

それとも今回の東北大震災を1000年に一度だからやむを得ないことだと思わせたい勢力?がどこかにあるのでしょうか.私はこの論文とは関係がありませんが,10000年に一度という言葉にある種の作為を感じているのです.

明治の津波については,吉村昭に作品があります.さらに本論文では,震災の時逃げなかった人についても述べられています.これもずっと私が気にしていたことでした.これを読んである程度は納得しましたが,現代は科学や技術が進歩し社会も発展しているから,逃げなくてもよいのではないかという安心感はなかったでしょうか.逃げようとはしなかった人が,科学技術に対しあまりにも過信したことが一番大きかった気がします.もし防潮堤がなかったら,多くの人は先を争って逃げたかもしれないとも思います.学校での対応,教育現場での実態,まさにこのとおりです.

最後に「過去の災害を分析評価することで,その「想定外」を少なくすることは可能である」とあって,これには本当に納得できました.

(三重支部・菊谷秀臣)

2021年10月号 特集を読んで――南海トラフ巨大地震と日本各地の受け止め方

昨年10月号のこの巨大地震特集について,愛知支部ニュースで私なりの見方を紹介した.約1年以上前,ある大新聞の一面に大阪市における被害予測が掲載された.私が驚いたのは,大阪は南海トラフが注目されている地域から離れていると考えていたのに,甚大な被害状況が見積もられており,もしこの地震が起きれば大阪は世界最貧国レベルに転落するという内容だった.

これによれば名古屋を中心とする東海地方にはさらに危機的な状況が発生するはずと考えられるのだが・・・.ところがこの報道の後,愛知では巨大地震にかかわる情報がほとんどなかったようだ.大阪の記者がこれほど危機感溢れる報道を展開しているのに,なぜ愛知の住民は知らぬふりをするのか.それで私は何人かの愛知住民にこのことに関するわたしの疑問をぶつけてみた.結論的に言うと,反応はおおむね穏やかで,特に危機意識が増大しているようでもない.ある方は愛知の人々も危機的状況にあることは感じているが,話をしても何も前進しないから沈黙しているのだろうという解釈だった.私は,関東で教員をしている元ゼミ生に聞いてみた.彼によれば,南海トラフはあまり話題になっていない,むしろ富士山の噴火,東京の直下型地震に危機感を覚えるということだった.

仙台市の近くのある地域の住民は先の東日本の地震は大きなものではなかったと言う.その理由として,建物が壊れなかった,お墓の石碑が倒れなかった,死者が出なかったことを述べている.このように,災害大国日本も地域によって異なる見方をしているようだ.高知市の取り組みはすばらしいのだが,各地域ごとに独自の取り組みが求められているのではないだろうか.

(愛知支部・垣内伸彦)

『日本の科学者』を授業に活用して

ここ数年,大学院の「環境化学特論」という討論形式の授業で,『日本の科学者』の特集論文を題材として活用しています.これまでに,「超伝導磁気浮上式『リニア新幹線』の徹底解剖」(2014年)「『有明海・諫早湾』で何が起こっているのか」(2015年),「泉南アスベスト訴訟勝利の意義」(2015年),「東南アジア島嶼部熱帯林の保全と再生」(2017年),「気候変動とその対策,自然エネルギーと省エネの社会実現に向けて」(2018年),「持続可能な水インフラをつくる」(2019年)などを取り上げています.不思議なことに,どれも数年前の論文ですが,時代遅れの題材にはなりません.特集課題がいまだに解決していない社会問題を先見的に取り上げていることを実感させられます.

授業では,背景や用語などの質疑応答を行ったうえで,著者の主張に同意する点,疑問,反論について意見を交換します.全般的に学生にとって新鮮だったのは,労働者や住民の視点で科学をとらえるという視点のようです.たとえば,パーム油の原料であるアブラヤシ産業の担い手である東南アジアの小農家のRSPO制度からの排除問題,泉南地区のアスベスト生産労働者が国の経済発展の犠牲になった点,水インフラの持続可能性と人口の集中・過疎問題の関係などについて活発に議論がなされました.リニア新幹線を造るメーカーに就職内定が決まっていた学生からは,「ちょっとショックでしたが,住民の視点を忘れないように頑張ります」とありました.通常の理工系教育では,このような視点を語ることはないので『日本の科学者』の面目躍如です.ただし,理工系学生らしく,エビデンスとなるデータをしっかり示してほしいという要望が多かったことも付け加えておきます.

(京都支部・前田耕治)

2021年9月号 特集「コロナウイルス禍の外国人労働者の権利」を読んで

日本では,高校までで社会保障教育がきちんとされていないから,おそらく,「福祉を使う」ということのイメージが,歪んでいたり,狭かったりするのではないかと思う.日本の場合,社会保障制度の中心は社会保険だということが非常に重要だ.したがって問題は二本立てで考えるべきである.第一に,短期的には,生活保護を使えるようにすること.現時点では,外国籍の方は,在留資格によって,一部の方しか生活保護を使うことができない.しかし,大人食堂の報道などからも明らかなように,かなり多様な国籍の方が貧困に苦しんでいる.ことに,非正規滞在者の場合,就労もしてはいけないし,生活保護の受給も認められていないために,生活する手法が社会制度として存在していない.これはありえない.したがって今すぐにでも,生活保護の要件を,国籍に関わるもの(実際には滞在期間と在留資格)に関してはなるべく限定して,広く使えるようにすることが必要である.第二に,上で述べたように,社会保障の中心は社会保険であること.社会保険は,基本的に申請主義ではない.なぜなら,社会保険は強制加入であって,拠出をしているのだから給付もされて当然であり,申請を要しないはずだから.中期的・中核的には,医療,年金,介護を中心に,社会保険の適用拡大をすることで,社会保険諸制度の枠内で,外国籍保持者をカバーしていくことが大事である.

(東京支部・佐藤和宏)

キーワード「包摂」(inclusion)は移住労働者権利擁護だけではなく,多民族共生社会の為の基本的人権尊重のキーワードであると思った.日本社会が多民族の人達をいかに受け入れるかが問われている.北海道ではアイヌ先住権問題で訴訟が起きているが,すべての人に基本的人権があり尊重されるべきである.和人が独断で定めた漁猟法を網羅的に適用するのではなく,先住民権を持つアイヌの人達が主張する漁獲権を具体的に場所と期間限定で認めるべき事が訴因であろう.台湾で絶滅危惧種オオタニワタリが先住民農民の畑で栽培されているのを見たことがある.多民族共生はインクルージョンから始まるものだと思った.

(北海道支部・高畑滋)

2021年9月号 談話室 片山実記「サイエンスカフェ伊丹」を読んで

中学生や高校生の理科離れが問題になったことがある.これは今でもかわらないかもしれない.またここでも指摘されているが.女性の理科離れが問題になることもある.でも,こういったことはどこまで真実なのだろうか.それより,現代日本の大人たちの理科離れこそが問題ではなかろうか.今回の新型肺炎コロナウイルスについて,大人たちがどこまで科学的知見をもっているのか心許ないかぎりである.いろいろなニュースを見ても,とても正確とは思えない報道がなされているように感じられる.なおそれより怖いのは,政治家たちがあまりにも自然科学の基礎知識が欠如していることではないのか.このコロナの流行をきっかけに,私たちはウイルスとは何かを真剣に学ぶことにしたらどうだろうか.さらにこれを機会に,いろいろな自然科学関係の本が読まれるようになることを私は願っている.このカフェをきっかけに,より多くの人が科学に目をひらかれていくなら,この活動の意義は素晴らしいものとなるだろう.

(三重支部・菊谷秀臣)

2021年9月号 特集論文 榑松佐一「外国人技能実習生への支援――SNS外国人実習生相談室から」を読んで

ここではベトナムのことが出てきているが,国による違いはあるのだろうか.日本へ来た外国人労働者に対して,どこが責任をもつべきなのか,それがはっきりしていない気がする.法的整備の遅れもあるかもしれないが,まずは受け入れる側の責任ある行動が必要ではないか.また,問題が起こったとき送り出した国の対応はどうなっているのか知りたい.責任の所在があいまいなまま,安易に外国人労働者を受け入れてきたという気がしてならない.

(三重支部・菊谷秀臣)

2021年8月号 ひろば 長野八久「オンライン化がもたらす大学教育の転換―専門基礎科目「化学熱力学」の経験から」を読んで

毎度のことながら長野さんの面目躍如か.小生長年1,2年時の理系物理学の講義を行ってきて,熱力学のところは一番おもしろく,また準静的過程(朝永流にじわじわとした過程),カルノーサイクル,エントロピーのところがカギと思う.朝永先生『物理学とは何だろうか上・下』(岩波新書)は熱学を学ぶ上の必読書.物理学というのは,じぶんでコツコツ学ぶ,なかまと議論しながらやるのが一番.川村清氏のわかりやすいいい本(東京教学社)などあるから自学自習.教える方も,黒板で式を展開しながら進めるのが一番.パワーポイントでまとめてさっさと進めるのはいかがなものか.最後の6行そのとおり.あらためて阿部謹也先生をしのぶ.

(愛知支部・牛田憲行)

投稿

フランスのマクロン大統領は9日(2021.11)のテレビ演説で,従来は原発への依存度を下げる立場を取ってきたが,2050年に温暖化ガス排出量の実質ゼロを達成するために原発は必要と説明し,国内での原子力発電所の建設を再開すると発表した.しかし,1979年3月28日の米国スリーマイル島原発,1986年4月26日の旧ソ連ウクライナチェルノブイリ原発,2011年3月11日の日本福島原発が放射線被害を伴う苛酷事故を起こして以来,原発は危険な設備と見られている.また,日本科学者会議の原子力問題研究委員会は,原発の問題点:各地の原発事故(2001年の静岡県浜岡1号炉の配管破断など)・故障などについてシンポジウムを開催・検討し,2015年には国際シンポジウム(INES「地球的責任のための技術者・科学者の国際的ネットワーク」と共催)を催し,再生可能エネルギーの導入可能性の報告および再生可能エネルギーを如何に普及させるか,について世界の専門家や市民ら約80人が議論を行った.以上の日本科学者会議の活動を踏まえ,フランスのエネルギー政策について提案したい,即ち,河川域に危険な核ゴミ(使用済み核燃料など)を排出する非再生可能エネルギー源の原発設置ではなく,例えば,河川の所々に堰による流れの停帯留部を設け,太陽光エネルギーにより川の水を電気分解して水素ガスを製造し,ボンベに貯蔵・搬送し温室効果ガスを生じない再生可能エネルギー燃料として利用するのが望ましいと思われる.

(秋田支部・今清水雄二)

2021年8月号 「コロナウイルス禍における大学教育」を読んで

大学教員の私にとって,時宜を得た興味深い特集であった.例えば,「コロナウイルス禍の下での小学校・中学校・高等学校教育」という企画も,多くの会員や読者の興味を引くのではないだろうか.

(沖縄支部・大倉信彦)

『日本の科学者』の講読の中で

『日本の科学者』は,論文執筆者の為だけにあるのではないと思う.著者と読者が作り上げていく雑誌であると私は考えている.「読者の声」もその一環ではあるだろう.会員の一人一人が,本誌を自らの知的財産として運用されることを私は願っている.また,本誌はそれだけの魅力をもっているのではないだろうか.本誌を手にされる会員の方々には,本誌を丁寧に読んで欲しい.といって,私に丁寧に読んでいるのかと聞かれたら自信があるわけではないのだけれど.7月号も読みながらいろいろ考えさせられる論文が多かった.とくに鈴木論文の民主主義と立憲主義については,とても本質的な問題提起だといえよう.私は,この機関誌を通して自ら考え自分の考えを確立していくという観点で本誌を読んでいこうと思っている.

(三重支部・菊谷秀臣)

JSAの講読の中から~資料整理はムズカシイ

丸1日かけてJSA関係の資料の大整理をしました.5年前に入会して以来,専用コーナーにはさまざまな資料がたまり「このままにしないで~」と声なき声を上げていました.毎月の編集委員会の議事録作成は交代制でしたが,担当でない時も意義ある発言や自分の感想をまとめたマイ議事録を作っていました.それらが4年分.提出した月例調査票,他の方々の参考になる月例調査票(5年分),メール,その他,総学や科学シンポジウムの資料,メモ,会場で撮った写真など,後学のヒントになると思って残しておいた資料が箱別にたまっていました.それらを精選し,ファイルに収め,閲覧しやすくしたのです.作業をしながら,さまざまな思いが錯綜しました.電磁波特集,リニア特集など,再読したいバックナンバーもあれこれ.情報整理はオモシロイけれどムズカシイ.会員の皆様がJSA関係の資料に限らず,どのようにご専門の資料(それこそ,膨大な量でしょう)を整理されているのか,知りたいです.「後世の人たちにも読んでもらえるような情報誌を」との長野編集委員長の言葉に共感します.

(東京支部・中嶋由美子)

2021年7月号 ひろば 三上直之「国内初の気候市民会議をオンラインで開催」を読んで

2021年7月号 ひろば 「国内初の気候市民会議をオンラインで開催」を興味深く読んだ.さらに注で示されたURLを開いて「気候市民会議さっぽろ2020最終報告書」も読んだ.札幌市民でありながらこのような市民会議が開かれたことを知らずにいた.課題解決を志向した実践的研究の一つだというが,画期的な市民議会として,もっとマスコミや市民団体を通じて周知されても良かったと思った.地球気象危機に関する大規模な世論調査と連携して,社会全体に関心が高まった状況を背景に行われたら効果的だったのではないか.市民会議参加者20人が無作為に選ばれたが,対面で議論する場合なら少人数でなければならないが,オンライン議会ならもっとふやしても良かった気がする.脱炭素社会への転換が必要なことは理解されたが,政策立案にどのように利用されるのかは不透明と言わざるを得ない.市民議会と言われる程度に盛り上がり広がることが期待される.

(北海道支部・高畑滋)

2021年7月号 特集「東日本大震災から10年目の課題」を読んで

復興の名の下で大型投資をして,経済をV字回復させるんだ,という生活の実態からズレたことをやってしまっている.これに類似の問題性はコロナ対策にも出ていると思われ,十年目の課題を明らかにすることが,コロナ禍での政策決定を分析する上でも重要であるという印象を持った.特に,生存権の問題,住まい・生活基盤については,今後には災害が起きる確率はあるし,パンデミックも起こり得る.真っ先に生存権が保障されないといけない,ということを見出していくというのが重要なのだろうと,全体的な感想として持った.

(東京・川口力丸)

2021年7月号 「東日本大震災から10年目の課題」を読んで

岩手県沿岸部被災地で産業と雇用の再生に関わってきた者には10 年という節目に復興過程の全体像を整理するとてもよい機会となった.水産加工業の労働市場問題,養殖業を主とする沿岸漁業の担い手問題に取り組んできたが,いずれのアプローチを進めてもそれまで生業と居住地が重なり合ってきた沿岸部コミュニティの再生・再建や持続可能性に関わる問題に向き合わざるをえないと感じてきた.

特集では「創造的復興」と「人間の復興」が対置され,前者は「惨事便乗型開発主義復興政策」,「過剰復興」であり「復興災害」をもたらしていると鋭くその問題性が指摘されている.東日本復興構想会議が指針として示した「創造的復興」に対し,被災地現場の重要課題として住まい,生業,雇用の回復があり,「県や市町村レベルの復興計画において「創造的復興」と「人間の復興」の要素が混在し,せめぎ合うこととなった」という遠州論文の指摘は,まさに現場感としても腑に落ちた.政・官・財複合体の施策として被災地に投下される「創造的復興」政策を受け止めるしかない県・市町村自治体,その中でも積極的推進にまわる宮城県と,知事が「答えは現場にある」,「幸福追求権を保障する」と「人間の復興」を混在させた岩手県とが対比されている点は,水産復興の過程を見てきた者として頷けるところが大いにある.創造的復興のもとまちの造り変えが進められ,結果は分断と流出であるという片山論文の指摘が基調をなすものの,一県一漁協合併を進めていた宮城県と比べ岩手県では地区ごとの漁協単協が漁村地区で機能して「人間の復興」要素を維持したコミュニティも多いと受け止めている.

しかしながら「創造的復興」事業に異議を唱える選択肢はどの県・市町村自治体にもなく,大震災からの復興と日本経済の再生を密接不可分なものとした復興基本法において,復興の題目がレトリックとして利用され,「人間の復興」が劣位に置かれても被災自治体として疑問の「声」を上げることは封じられていると感じてきた.ここを乗り越えられないために,原発災害は福島の課題と括り出されて他の被災県,ひいては日本全体で課題共有に向かわず,事実上の分断に傾いているのではないだろうか.「人間の復興」は,福島,被災地に限らず日本全体の政治的重要課題であり,新自由主義的思考様式が日常化する日本の社会哲学の貧困を示していると思った.

(岩手支部・杭田俊之)

2021年7月号 特集「東日本大震災から10年目の課題」をめぐって

7月号をめぐるオンライン読者会に参加した.話題提供者の鴫原敦子さんのお話を伺うと,ハード面,経済面が重視されるあまり,生身の被災者に寄り添った復興支援になっているのか,行政側の単線的な避難者政策では多様なニーズに応え切れないのではないか,などさまざまな問題点を再認識させられた.復興の道半ばにしてこの間状況は大きく変わった.国内外で頻発する自然災害や,コロナのような予期せぬ事態の発生.誰がいつ避難者になるかわからない.もしそうなった場合,どのような支援をどう提供していくべきなのか.例外状況における「施し」ではなく,日常生活を支える社会的インフラないしは人権保障の問題として避難政策を考えるべく,発想の転換の時期にさしかかっている.

新しい課題への対処には,総合科学的な知見が必要である.もとより『日本の科学者』はそのような志向性を持った総合学術誌であるが,分野横断的研究は口で言うほど容易ではない.掲載される論文がかなり専門性の高いものになることも少なくない.専門的知見や方法論の違いを前提に分野を超えて対話する努力を意識的に行わない限り,分野横断的研究はなかなか進展しない.オンライン読者会は議論も活発であり若手の参加者も多く,それを可能にする貴重な場であると感じた.よりいっそうの周知を行い参加者を増やしていくことが望まれる.オンライン読者会のますますの活性化を期待したい.

(福井支部・小野一)

2021年7月号 「読者の声」本間一郎「重さと質量について」を読んで

7月号の本間一郎氏の声について,一言補足したくてペンを取りました.私も昔息子の教科書を見たとき困ったものだと思った経験があり,本間氏の指摘はもっともだと思いましたし,未だに続いていることにあきれているところです.

しかし,これはここだけの話ではないのだと思うのです.小生はエンゲルスの科学観を批判しているのですが,その中にやはり重さの問題点を指摘しているからです.それはヘーゲルに始まるのですが,ヘーゲルやエンゲルスは物質は重さを持っていると信じていたので,彼らの運動論はとても奇妙なものになっているのです.日本の唯物論者達も同じだと思うのですが,恐らく世界の哲学者達もそう思っているのだと思います.ヘーゲルやエンゲルスの物質観に異を唱えたものがいないことからも解るというものです.彼らは,人工衛星での無重力状態をどの様に受け止めているのでしょうね.

(福岡支部・竹之下芳也)

2021年6月号 特集「人権としての特別支援教育」を読んで

教員免許取得希望者は特別支援学校での実習2日間(結構重要だし,自分がその配置になるかもしれないのでもっとやってもいいと個人的には思っている)が課されるが,その経験から言って(たまたま受け持ったクラスがそうだったのかもしれないが),特別支援学校では重複障害を抱えている子どもが多いように感じた.特別支援学校の教室や教員配置の基準を求める運動や国会質問もあるように,現状圧倒的に予算も人でも足りていない(特別支援学校に限ったことではないが).しかも七生養護学校事件のように,発達に合わせた性教育を問題視し,介入する事件も起きている.生徒と教員が十分向き合えているかといえば,教員の過重労働によるところが大きいのではないか.

(東京支部・土肥有理)

2021年6月号 特集「人権としての特別支援教育」を読んで

海外の学校にいた頃は,親が成績のことは言わなかったが,帰国してからは,親自体が競争主義的な教育で勝ってきたという自負を子どもにも言うようになってきた.学校も,成績の順位や変動を出す形で,そのような親からの要請に応えている.このことは表裏一体として幸福追求権に内包されるかは分からないが,本人の人生のための教育になっているのだろうか.特別支援教育に外国籍(日本語があまりできない子どもなども)の子を入れることはコストカットのために一緒くたにしているように感じる.ひとりひとりが生きていくための教育に置き換えていかないといけない.今の教育は,今の社会に適合させていくための教育だから,改めて教育に向き合わないといけないと思った.

(東京支部・川口力丸)

2021年6月号 特集論文 二通諭「特別支援教育―日本におけるその歴史とひとりの教育実践者の総括と展望」を読んで

特別支援学校の授業が過密状態で行われ,特別教室も確保できないという実態に現場や保護者からかなり以前から切実な声が上がり,今年やっと「設置基準」の作成の動きに入るときく.二通論文の提示する特別支援教育の第1の層,視覚・聴覚ほかさまざまな「障害」をかかえる子どもたちへの教育は古くからの歴史があり,優れた実践の蓄積もあるにもかかわらず,教育条件の基本さえ整えられていなかったのであり,「人権」を守る支援教育とはいえない.対象の第2の層として,「通常学級において理解されにくい」「知的な遅れのない発達障害」は2007年文科省通知により加わり,著者自身の実績をふまえた教育方法論の提起は「障害」を子ども一人ひとりのスペシャル・ニーズとしてとらえ,肯定し,「通訳者」「コントロール・タワー」の役割を重視する.第3の層として2018年文科省提示により「障害はないが特別の教育的ニーズのある」マイノリティや貧困層の子どもたちが加わることとなった.「多様性」を認め,包摂する「インクルーシブ教育・保育」「共生社会の実現」の理念は世界の教育者・保育者がすでに共有し,日々実践している.土台となる条件づくりを国と自治体は実行してほしい.

(京都支部・清水民子)

2021年6月号 特集論文 二通諭「特別支援教育―日本におけるその歴史とひとりの教育実践者の総括と展望」を読んで

本論文は実践記録をもとに記述されているので,具体的でありよみやすかった.生活綴方教育が個人を基本に据えているのに対し,全生研は集団の中での個人をとらえようとしている.人間は集団の中で本領を発揮できる存在だ.この視点は鋭い. 特別支援教育においては<認める>ことの大切さが指摘されている.しかしこれは,特別支援教育ばかりではなく,普通学級においても大切な教育の要素である.こういう教育の本質を理解してこそ,教育内容は深まりを見せるだろう.また,緘黙児の指導は,精神面・心理面も考慮されたと思うがもう少し詳しい説明があればもっと良かったかもしれない. 

(三重支部・菊谷秀臣)

2021年5月号 重松公司の特集論文「教員養成学部における研究不正とその背景――教員免許制度・学習指導要領への寄生が生む不正」を読んで

1998年の教育職員免許法改定(①教科に関する科目の急減,②中学校の「教職に関する科目」の急増,③教職科目の新設)が何をもたらすか,2000年刊のJSA大学問題委員会編の『21世紀の大学像を求めて』の「教員養成問題」に以下のように記した.「これからの教師には,専門分野の学問的知識よりも,教え方や子どもとの「ふれあい」の心をもつことだとする.この制度で育成される教師は,専門の学問分野の知識や教科の力量は低下せざるを得ないことは不可避なのではなく,むしろそうなることが設計されている.となれば,特定の教科や科目にも通じておらず,免許教科についてオールラウンドな知識や技術をも欠く教員が大量に養成され,子どもに対して学ぶことの興味を伝えることや専門性に裏づけられた説得ある授業の展開に期待が持てなくなることは杞憂ではないだろう.そういう危惧を感じとる親たちは,おそらく,新自由主義のふりまく「選択の自由」と「自己責任」(自らの経費負担で)において,「ふれあい」だけしかない公立学校から,きちんと基礎学習を保証してくれるエリート学校へ子どもを脱出させる道をたどるようになるだろう.…」と.学術研究とは言えないものがはびこる由縁である.本論文は事例が中心だが歴史的な考察もほしい.

(愛知支部・牛田憲行,2021年5月16日投稿)

2021年5月号 重松公司の特集論文「教員養成学部における研究不正とその背景――教員免許制度・学習指導要領への寄生が生む不正」を読んで

非常に衝撃的な内容で驚いた。初等中等教育の機能が低下してきていることは,大学における教育機能も例外ではなく,いろいろに指摘されてきている.私自身も日本の教育の質の低下を憂えていたが,初等中等教育課程で教育する人材自身の育成機能の質が,これほどまでに劣化しているとは想像していなかった.

(福井支部・小倉久和)

研究倫理教育の大切さが述べられている.不正については,不正であると認識して行っているのか,それともそれと気づかずに不正を行っているのか,これを見極めることも大切かもしれない.不正と気づかなかったとしたらそれこそ問題だろうけれど.研究者自身が追いつめられていることはないのだろうか.成果を短期間に出すことを要請され過ぎていることはないのか.構造的な面も大事かもしれないが,政治が関わっていることを忘れてはいけないだろう.

(三重支部・菊谷秀臣)

2021年5月号 丹生淳郷特集論文「ユネスコ「科学及び科学研究者に関する勧告」とその意義」を読んで

捏造,改ざん,盗用の実例,「我が国では職位の高い教授,准教授による不正が過半数」とは驚愕,憤怒の現実.不正を働いてまでも世に認められたいという歪んだ自己顕示欲は醜悪そのもの.彼らが職位を得た過程自体にも何等かの不正があったのでは,とは誰もが抱く疑問だ.悪事に対して良心の呵責を覚えないような低レベルの人間が学生に何を教えているのか.厳しい受験勉強の結果,薫陶を受けるどころか,彼らの悪しき「気」を有形無形に受けざるを得なくなった多くの学生さんたちが気の毒でならない.

(東京支部・中嶋由美子)

今後の編集企画への提案等

斎藤幸平氏などの著作がベストセラーになるなど,『資本論』その他の社会主義的文献が注目を集め,それは米国における民主党左派に代表されるように,世界的な傾向でもあると聞き及んでいる.その辺りの事情を分かりやすく解説していただければと思う.

(岐阜支部・中須賀徳行,2021年5月1日及び6月14日投稿)

2021年4月号 箕輪明子の特集論文「保育労働の実態と課題」を読んで

待機児童対策として,保育士確保が課題となり,保育士の増加を図っているが,待遇が依然悪いこと,特に賃金の問題と残業について具体的に示されていた.保育環境,すなわち子どもの育ちの場における課題が示されていた.賃金が低く,拘束時間が長い低賃金層の就労であるとされているが,劣悪な勤務環境の中で,離職をすれば,ますます生活は困窮する.残業時間も多く,超勤手当も十分ではない.非正規の保育者も多い.

いわゆる「保育に欠ける」子どもを預かる時代は終わった.かつては高校卒業で専門学校卒等の保育者が大半で,保母として女子どものできる仕事という認識としての賃金体系もあるのだろうが、現在は,専門職としての保育の仕事を捉えなおす必要がある.

子どもを取り巻く課題が山積している.あらゆる子どもの育ちの権利,保護者の労働の権利を十分に保障する最前線として保育所の環境,保育士の処遇が整えられなければ解決につながらない.保育士がかく安心して子どもと関われることは,子どものみならず,働く大人たちにも大きな影響をもたらす.

保育の仕事の成果は見えにくい.専門職として保育所,保育園の保育士のみならず,児童養護施設,学童保育など多くの子どもの育ちの場の処遇についても見直す必要がある.子ども一人にかかる人的コストを減らすのではなく,多くの人が正規職員としてかかわることができること,養成の時から,即戦力の保育者として育てていくことが,労働者としての権利保障のみならず,子ども,保護者,その他多くの人の権利を擁護することにつながると改めて感じている.

(大阪支部・近藤真理子,2021年4月25日投稿)

2021年3月号 特集「今,井尻正二に学ぶ」を読んで

『日本の科学者』3月号の新聞広告を見て井尻正二先生の特集号が出版されたことを知り,先生のことを懐かしく思い出した.

恐竜デスモスチルスの研究で著名な井尻先生が主宰する「デスモの会」というのがあり,そこに毎月,東大,早稲田大,一橋大,上智大などの進歩的学生が集まって「科学論」の勉強をしていた.15名くらいの学生が先生のご自宅に集まっての勉強会.終ると,井尻夫人がお椀にいっぱいの雑炊を作ってくれた.それが何よりも楽しみであった.

その時の勉強会のテキストは,『科学論』(理論社,1954年)であった.私は文学部史学科の学生であったが,歴史学も文系ではなく歴史科学という意義づけから勉強会に参加,約3年間の学びであった.私の社会観,人生観は井尻先生によって育てられ,方向付けされた.

その後,『井尻正二選集』(第10巻,大月書店,1983年)まで購入したが読み切れず,今も本棚に大切に保管している.今回の出版で,井尻先生のことを懐かしく思い出すことができ,感謝の至りである.ありがとうございました.

(神奈川県在住・石村尚一,2021年3月10日投稿)

2021年3月号 特集「今,井尻正二に学ぶ」を読んで

ある個人を特集などで取り上げることについては慎重であるべきだと思う.10年近く前に編集委員をしていたとき,中心になって活動していた有力な会員が亡くなられ,追悼記事を出すかどうかが話題になったことがある.ある人は取り上げ,ある人は載せないとすると,その基準が難しいのでその時は出さないことにした(しかし後に,別の人の追悼文が載ったことがある).

特集を読んで,井尻の幅広い活動の概要については理解できた.特集の「まえがき」に「偶像化させない」とあるが,そのためにも,なぜプレートテクトニクスに抵抗し続けたのか,解説があるとよかった.この理論も完全ではなく,発展途上だとは思うが,日本人が世界に先駆けて発見できた可能性があったという,ある地震学者の話を20年以上前に聞いたことがある.日本が最も地震の起こりやすい地域であり,この3月は東日本大震災の10周年であることを思うにつけ,誠に残念である.

(岐阜支部・中須賀徳行,2021年3月13日投稿)

2021年3月号 特集「今,井尻正二に学ぶ」を読んで

斉藤・金井・小林の特集論文「地学団体研究会と井尻正二」を読んで思うところがあった.地団研の果たした役割は,教員養成系大学での地学教室の教員・学生の活躍を直接見てきて十分認識しているが,負の側面もそらしてはならない.

地団研と井尻正二氏らが,プレートテクトニクスに否定的な態度をとり続けたことは周知の事実.これによって日本の地質学界は10年以上遅れたと言われている.このことについての言及が本特集にはまったくない.物理,化学的思考の欠如ではなかったか,と思う.

プレートテクトニクスは,地球物理学者の間では早くから受け入れられていた.1964年発行のNHKブックス『地球の科学―大陸は移動する―』(竹内 均・上田誠也著)や,岩波新書『新しい地球観』(上田誠也著,1971年3月)などに感銘を受けた.また,世間的にも小松左京の「日本沈没」などで知られていた.泊 次郎著『プレートテクトニクスの拒絶と受容‐戦後日本の地球科学史』(東京大学出版会,2008年6月)は読まれるべき本ではないか.

(愛知支部・牛田憲行,2021年3月17日投稿)

2021年3月号 特集「今,井尻正二に学ぶ」を読んで

近藤の特集論文「野尻湖発掘を通して井尻正二から学んだこと―組織づくりと夢づくり」は,科学にロマンをもたらした井尻の活動の素晴らしさが伝わる論文であった.

野尻湖の象については,小学校の教科書にも転載されていて多くの人が知っている.これは,この発掘が子どもから年寄りまで,専門家から素人まで,分け隔てなく一つのことに力を注ぎ成果をあげてきた証である.科学には夢があり,また夢を実現できるよさがあると思った.

(三重支部・菊谷秀臣,2021年2月24日投稿)

2021年3月号 樋口英明の<ひろば>「我が国における原発の耐震性とその危険性」を読んで

「私は,2014年5月21日,大飯原子力発電所運転差止めの判決を言い渡した」と冒頭にあるとおり,著者は元福井地方裁判所裁判長である.原告,被告の双方に毅然とした態度を取っていたため,原告側もその瞬間まで勝利を予想できなかったと続く.それだけに言い渡しの瞬間には勝った原告側は快哉を叫んだことだろう.一方,被告側の関西電力の弁護士は負けを予想していたため,一人も出席しなかったとのこと.さすが推進側らしい無責任さ.この劇的な光景がテレビで報じられていれば,と残念に思う.「はじめに」だけで大意が分かり,その理由を知りたいという思いが湧く.読ませる導入.誘引力がある.本文も解りやすく,ストレートに読み進めた. 著者は,頭脳明晰で生命倫理感があり,法学と物理学の素養を兼ね備え,文章力にも優れた文武両道ならぬ文理両道の方だ.脱原発の流れを加速する決め手となる情報満載である.

(東京支部・中嶋由美子,2021年3月15日投稿)

2021年3月号 特集「今,井尻正二に学ぶ」を読んで

本特集は,右傾化する現状の中で「地学団体研究会」(以下,地団研)創立に携わった井尻正二から学ぶ今日的意義について述べたものです.私は学生の頃,丹波地帯団体研究グループに参加し,地団研に育てられました.また,地団研総会での大コンパのあと,井尻さんの家でコンパを続行し夜が明けたことも思い出します.

本特集は,日本科学者会議の科学運動においても,数多くの教訓を与える内容となっています.斎藤・金井・小林論文では,団体研究について,「リーダーはテーマの提案者」から出発すれば団体研究は開始できる,と簡潔に述べられており,この原則は今も地団研で受け継がれています.なお,気になったのは,かつて地団研の「現在」(注:1998年頃)の会員の状況について,創設期(注:1947年頃)のほぼ全員貧農状態から中農と富農志向者の集団に変わり,大学教授クラスが脱落している,と指摘されていた点です.私も反省し,否定的精神で闘う気概を持たねばと改めて思いました.

後藤論文を読むと,現代生物学の手法を古生物学に導入し,科学的方法論を深めた経緯が述べられています.また,ヘーゲルまでさかのぼって哲学の勉強をしたのは,生物進化などでの弁証法を極めるためであり,理論の学習の大切さがよくわかります.

近藤論文では,野尻湖発掘は井尻の「まず実践」の精神で発掘が始まり,事実から次を類推し,発掘を科学的に予想することを提起し,弁証法的感覚の重要性がわかります.また,原論文では,子どもの文化性の発達について,這い這いなど系統発生を反復し,6歳頃から人間が創り出した文化を継承しており,早すぎる教えを戒めています.

以上,井尻から学ぶ今日的意義として,「ともに学ぶよろこび」を合言葉に,「まず実践」の精神で,創造・普及・条件づくりの精神を受け継ぐ活動の大切さを改めて教えており,私たちを感動させ奮い立たせます.

(兵庫支部・田結庄良昭,2021年3月16日)

2021年3月号 特集「今,井尻正二に学ぶ」読んで

特集を興味深く読みました.私は「地学団体研究会」(以下,地団研)の会員です.専門家というより,地学の普及活動を主として高校教員等の皆さんと行う教師グループに参加していました.

同じ地団研ですので,井尻さんの本はよく読みました.記事に取り上げられている以外に子どもの本で『生きている化石』,『たのしい化石採集』などは,とても読みやすく今も大切に保管しています.

『日本の科学者』では,当然,井尻さんのプラス面が書かれていますが,少しはマイナス面も正当に書く必要があるのではないかと思いました.

一つは,井尻さんたちのグループは地質学においてもかなり党派的な主張をされて,都城秋穂さんなど優秀な科学者を実質排除されたこともあったようです.都城さんは,その後2002年に「変成岩の理論的研究およびそのテクトニクス論への寄与」で日本学士院賞を受賞しています.当時,地質学は現象科学の面が強かったので解釈論を主張される止むを得ない面もありましたが,科学はあくまで仮説-実験の世界だと思います.また,このことに関わる地団研派のマイナス面は,プレートテクトニクス論を当初,正当に評価しなかったことです.このことは,泊 次郎著『プレートテクトニクスの拒絶と受容』(東京大学出版会,2008年初版,2017年新装版)にも詳しく書かれています.この本に対する上田誠也の書評と地団研のコメント(日本地球惑星科学連合ニュースレター:JGL, Vol.5, No.2, p.8 (2009)およびVol.6, No.1, p.14 (2010)),「地質学者・都城秋穂氏を偲ぶ」(後藤仁敏,地学研究第57巻第4号,1頁,2009年1月)などを読み,考えさせられました.

長い歴史の中にはいくつかのマイナス面もありますが,地団研の「国民と共に歩む活動」,「普及活動と団体研究」の主張は,他の団体には無いすばらしい成果だと思っています.専門家と大衆を結び付ける活動としてその意義は大きいと考えるものです.東日本大震災の10周年の日を前にあらためてそう思いました.

(大阪府在住・西村寿雄,2021年3月9日投稿)

2021年2月号 特集「持続可能な社会のためのベーシック・インカム」を読んで

コロナ禍もあり,現代社会が抱える構造的問題が顕在化してきた今,「持続可能な社会のためのベーシック・インカム」という特集が組まれたことはタイムリーな企画であった.本稿では人びとの不平等に帰結する「格差」という社会現象に焦点を当てて,特集論文を論評してみたい.

ベーシック・インカム(以下,BI)とは「全ての個人に対し無条件に定期的に現金を給付する」社会保障制度である.具体的な金額として,8万円,3~5万円の言及もある.OECD諸国の中でも極めて高い相対的貧困率を示す日本で,BIの導入がどれほどの格差是正効果をもつのだろうか.自明のことであるが,BIにより全ての個人に対して同額の給付がなされるならば,それだけでは格差の解消にはつながらない.

そこで提案されるのが,公的雇用の創出,教育無償化,富裕層に対する増税,等の同時実施である.なるほど格差の是正に効果はあろう.しかし,株価配当への金融課税,法人税,逆累進税制の是正,さらには急拡大する軍事費の削減等,現状の金融・財政の全般的な見直しが先行されるべきであるとの主張にどう反論できるのだろうか.それ自体不公平性を持つ消費税を財源にすることは格差是正に逆行するのではないか.

急激に進むAIがもたらすであろう労働環境の変化をBI導入の論拠にする主張もある.AIは労働時間の短縮を推し進め,一部の人びとを除いて労働が免除される社会が想定され,労働に発しない給付としてBIが必要になってくる,とされる.しかし,働けるのに働かない人びとの生活が幸せだといえるだろうか.減少するとはいえ残った労働と,自由時間を含む成果物を多くの人びとが分かち合う社会の仕組みも構想されるだろう.必ずしも,すべてのものを働かずに手に入れられる社会が楽園だとも思われない.労働に即した新しい社会保障のあり方としての,ワークフェア(workfare),マイナスの所得税(negative income tax)も検討に値するであろう.

こうした議論をふまえれば,BIの導入を前提にするとしても,基礎年金の強化に加えた,若者版・農業版・地域版BIの部分的導入の提案は,格差是正へ向けた現実的議論として意義があるように思う.

社会的所有に媒介された個人的所有の実現という観点から,BIの補完的活用が構想されているが,こうした人間・社会の根源的在り方を問う構想と,BIの提案内容との相互検討が必要である.

(鹿児島支部・岡田 猛,2021年2月16日)

重さと質量について

物の重さについて,小学校3年生の算数では,「重さの単位はg(グラム)である」と習う.しかし,これは正しくない.gやkgは質量の単位であり,重さは力の単位であるN(ニュートン)で表す(古くは,g重・kg重などの単位もあった).

重さと質量は関係があるが,異なる.例えば,月面上では地球上より重力が小さいので,物は軽くなる.しかし,そのことでその物自体が目減りしたわけではない.小学校の学習指導要領にある,「重さの単位g」は,誤った記述である.

それでは,私はどう習ったのだろうと思い,改めて昔の教科書「小学校 さんすう 三年下」(1958年,学校図書)を広げてみた.やはり,同じように,「『kg』は,『キログラム』と読みます.重さをはかる単位です」とあった.このような重さと質量の混同を,どう考えればいいのだろうか.

日常生活では,天秤以外の一般的な秤が,地球上の重力を前提に測った重さを質量に換算して目盛を振っているところにも,重さと質量を混同する原因があるのかもしれない.重さと質量の学習はどうあるべきなのか.重さの単位はgであると学習した小学生たちは,重さと質量の正しい概念をどのように獲得してゆくのであろうか.理科教育の立場からコメントをいただければと思う.

(東京支部個人会員・本間一郎,2021年2月10日)

本論文は,副題に「生活保護引き下げ違憲訴訟名古屋地裁判決を考える」とあるように,判決に対する批判である.しかし,判決内容を決めた担当裁判官の氏名が一切示されていない.判決文末尾には,「裁判官 角谷昌毅(裁判長)および裁判官 後藤隆大」と記され,裁判長の添え書きとして「裁判官佐藤政達は,転補につき署名押印することができない」とあり,担当した裁判官3名の氏名が明記されているにもかかわらず本論文には記されていない.

相互の信頼関係の下に個人のプライバシーに踏み込んで行われる生活保護利用者の聞き取りによる実態調査に対して,「調査の客観性,公平性,中立性には疑問の余地がある」との判断をしたのは上記3名の裁判官である.

本論文のように,裁判所の「不当判断」批判のみに限定し,裁判官の判断に対する批判を避けるという裁判批判における今日的な手法は,市民からの直接的な裁判官批判を避けるために,法曹界が市民社会に対して設けた壁であると考えられる.憲法第三章「国民の権利及び義務」の条項に限らず,憲法を暮らしの中に生かし,裁判の公正を取り戻すためには,この壁を取り払い,市民の直接的裁判官批判の活発化を図る必要があるとの思いを一層強く感じた.

(京都支部・富田道男,2021年1月19日)

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jjs/readerscomments2021.txt · 最終更新: 2023/05/11 21:02 by michinobumaeda

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