『日本の科学者』読者の声

『日本の科学者』掲載論文・記事への感想,科学と社会に関わる意見, 研究・教育・社会活動の現場からの声などをお待ちしています. 本欄掲載の「声」への応答・コメントも歓迎します.

「読者の声」への投稿は, までお寄せください.

2021年3月号特集「今,井尻正二に学ぶ」を読んで

本特集は,右傾化する現状の中で「地学団体研究会」(以下,地団研)創立に携わった井尻正二から学ぶ今日的意義について述べたものです.私は学生の頃,丹波地帯団体研究グループに参加し,地団研に育てられました.また,地団研総会での大コンパのあと,井尻さんの家でコンパを続行し夜が明けたことも思い出します.

本特集は,日本科学者会議の科学運動においても,数多くの教訓を与える内容となっています.斎藤・金井・小林論文では,団体研究について,「リーダーはテーマの提案者」から出発すれば団体研究は開始できる,と簡潔に述べられており,この原則は今も地団研で受け継がれています.なお,気になったのは,かつて地団研の「現在」(注:1998年頃)の会員の状況について,創設期(注:1947年頃)のほぼ全員貧農状態から中農と富農志向者の集団に変わり,大学教授クラスが脱落している,と指摘されていた点です.私も反省し,否定的精神で闘う気概を持たねばと改めて思いました.

後藤論文を読むと,現代生物学の手法を古生物学に導入し,科学的方法論を深めた経緯が述べられています.また,ヘーゲルまでさかのぼって哲学の勉強をしたのは,生物進化などでの弁証法を極めるためであり,理論の学習の大切さがよくわかります.

近藤論文では,野尻湖発掘は井尻の「まず実践」の精神で発掘が始まり,事実から次を類推し,発掘を科学的に予想することを提起し,弁証法的感覚の重要性がわかります.また,原論文では,子どもの文化性の発達について,這い這いなど系統発生を反復し,6歳頃から人間が創り出した文化を継承しており,早すぎる教えを戒めています.

以上,井尻から学ぶ今日的意義として,「ともに学ぶよろこび」を合言葉に,「まず実践」の精神で,創造・普及・条件づくりの精神を受け継ぐ活動の大切さを改めて教えており,私たちを感動させ奮い立たせます.

(兵庫支部・田結庄良昭,2021年3月16日)

2021年3月号特集「今,井尻正二に学ぶ」を読んで

特集を興味深く読みました.私は「地学団体研究会」(以下,地団研)の会員です.専門家というより,地学の普及活動を主として高校教員等の皆さんと行う教師グループに参加していました.

同じ地団研ですので,井尻さんの本はよく読みました.記事に取り上げられている以外に子どもの本で『生きている化石』,『たのしい化石採集』などは,とても読みやすく今も大切に保管しています.

『日本の科学者』では,当然,井尻さんのプラス面が書かれていますが,少しはマイナス面も正当に書く必要があるのではないかと思いました.

一つは,井尻さんたちのグループは地質学においてもかなり党派的な主張をされて,都城秋穂さんなど優秀な科学者を実質排除されたこともあったようです.都城さんは,その後2002年に「変成岩の理論的研究およびそのテクトニクス論への寄与」で日本学士院賞を受賞しています.当時,地質学は現象科学の面が強かったので解釈論を主張される止むを得ない面もありましたが,科学はあくまで仮説-実験の世界だと思います.また,このことに関わる地団研派のマイナス面は,プレートテクトニクス論を当初,正当に評価しなかったことです.このことは,泊 次郎著『プレートテクトニクスの拒絶と受容』(東京大学出版会,2008年初版,2017年新装版)にも詳しく書かれています.この本に対する上田誠也の書評と地団研のコメント(日本地球惑星科学連合ニュースレター:JGL, Vol.5, No.2, p.8 (2009)およびVol.6, No.1, p.14 (2010)),「地質学者・都城秋穂氏を偲ぶ」(後藤仁敏,地学研究第57巻第4号,1頁,2009年1月)などを読み,考えさせられました.

長い歴史の中にはいくつかのマイナス面もありますが,地団研の「国民と共に歩む活動」,「普及活動と団体研究」の主張は,他の団体には無いすばらしい成果だと思っています.専門家と大衆を結び付ける活動としてその意義は大きいと考えるものです.東日本大震災の10周年の日を前にあらためてそう思いました.

(大阪府在住・西村寿雄,2021年3月9日投稿)

2021年2月号特集「持続可能な社会のためのベーシック・インカム」を読んで

コロナ禍もあり,現代社会が抱える構造的問題が顕在化してきた今,「持続可能な社会のためのベーシック・インカム」という特集が組まれたことはタイムリーな企画であった.本稿では人びとの不平等に帰結する「格差」という社会現象に焦点を当てて,特集論文を論評してみたい.

ベーシック・インカム(以下,BI)とは「全ての個人に対し無条件に定期的に現金を給付する」社会保障制度である.具体的な金額として,8万円,3~5万円の言及もある.OECD諸国の中でも極めて高い相対的貧困率を示す日本で,BIの導入がどれほどの格差是正効果をもつのだろうか.自明のことであるが,BIにより全ての個人に対して同額の給付がなされるならば,それだけでは格差の解消にはつながらない.

そこで提案されるのが,公的雇用の創出,教育無償化,富裕層に対する増税,等の同時実施である.なるほど格差の是正に効果はあろう.しかし,株価配当への金融課税,法人税,逆累進税制の是正,さらには急拡大する軍事費の削減等,現状の金融・財政の全般的な見直しが先行されるべきであるとの主張にどう反論できるのだろうか.それ自体不公平性を持つ消費税を財源にすることは格差是正に逆行するのではないか.

急激に進むAIがもたらすであろう労働環境の変化をBI導入の論拠にする主張もある.AIは労働時間の短縮を推し進め,一部の人びとを除いて労働が免除される社会が想定され,労働に発しない給付としてBIが必要になってくる,とされる.しかし,働けるのに働かない人びとの生活が幸せだといえるだろうか.減少するとはいえ残った労働と,自由時間を含む成果物を多くの人びとが分かち合う社会の仕組みも構想されるだろう.必ずしも,すべてのものを働かずに手に入れられる社会が楽園だとも思われない.労働に即した新しい社会保障のあり方としての,ワークフェア(workfare),マイナスの所得税(negative income tax)も検討に値するであろう.

こうした議論をふまえれば,BIの導入を前提にするとしても,基礎年金の強化に加えた,若者版・農業版・地域版BIの部分的導入の提案は,格差是正へ向けた現実的議論として意義があるように思う.

社会的所有に媒介された個人的所有の実現という観点から,BIの補完的活用が構想されているが,こうした人間・社会の根源的在り方を問う構想と,BIの提案内容との相互検討が必要である.

(鹿児島支部・岡田 猛,2021年2月16日)

重さと質量について

物の重さについて,小学校3年生の算数では,「重さの単位はg(グラム)である」と習う.しかし,これは正しくない.gやkgは質量の単位であり,重さは力の単位であるN(ニュートン)で表す(古くは,g重・kg重などの単位もあった).

重さと質量は関係があるが,異なる.例えば,月面上では地球上より重力が小さいので,物は軽くなる.しかし,そのことでその物自体が目減りしたわけではない.小学校の学習指導要領にある,「重さの単位g」は,誤った記述である.

それでは,私はどう習ったのだろうと思い,改めて昔の教科書「小学校 さんすう 三年下」(1958年,学校図書)を広げてみた.やはり,同じように,「『kg』は,『キログラム』と読みます.重さをはかる単位です」とあった.このような重さと質量の混同を,どう考えればいいのだろうか.

日常生活では,天秤以外の一般的な秤が,地球上の重力を前提に測った重さを質量に換算して目盛を振っているところにも,重さと質量を混同する原因があるのかもしれない.重さと質量の学習はどうあるべきなのか.重さの単位はgであると学習した小学生たちは,重さと質量の正しい概念をどのように獲得してゆくのであろうか.理科教育の立場からコメントをいただければと思う.

(東京支部個人会員・本間一郎,2021年2月10日)

2020年10月号特集「持続可能な農山村の地域づくり」を読んで

とても重要な,そして中国地方・日本海側の魅力ある農山村の持続可能な地域づくりというテーマで大変よかった.地域色豊かで,今後こうした地域色のあるテーマも欲しい.

(愛知支部・牛田憲行,2020年10月16日投稿)

2021年2月号の高木論文「生存権保障としての「健康で文化的な最低限度の生活」とは何か」を読んで

本論文は,副題に「生活保護引き下げ違憲訴訟名古屋地裁判決を考える」とあるように,判決に対する批判である.しかし,判決内容を決めた担当裁判官の氏名が一切示されていない.判決文末尾には,「裁判官 角谷昌毅(裁判長)および裁判官 後藤隆大」と記され,裁判長の添え書きとして「裁判官佐藤政達は,転補につき署名押印することができない」とあり,担当した裁判官3名の氏名が明記されているにもかかわらず本論文には記されていない.

相互の信頼関係の下に個人のプライバシーに踏み込んで行われる生活保護利用者の聞き取りによる実態調査に対して,「調査の客観性,公平性,中立性には疑問の余地がある」との判断をしたのは上記3名の裁判官である.

本論文のように,裁判所の「不当判断」批判のみに限定し,裁判官の判断に対する批判を避けるという裁判批判における今日的な手法は,市民からの直接的な裁判官批判を避けるために,法曹界が市民社会に対して設けた壁であると考えられる.憲法第三章「国民の権利及び義務」の条項に限らず,憲法を暮らしの中に生かし,裁判の公正を取り戻すためには,この壁を取り払い,市民の直接的裁判官批判の活発化を図る必要があるとの思いを一層強く感じた.

(京都支部・富田道男,2021年1月19日)

誰もが加害者,被害者となっているプラ公害

いくらレジ袋や包装を断っても,毎日次から次へと出てくるプラスチックごみ.何もかもがプラスチックで包装されているので,一回の食事作りだけでもかなりのプラごみが出ます.この数十年,かつては地表資源から作られていたものが次々に石油製品へと置き換わってきた結果,見回せば暮らしはプラ製品で飽和状態.プラ誕生からわずか数十年でプラスチックなしでは成り立たない社会と化したことが恐ろしくてならず,今と比べれば格段に不便だったとはいえ,このような愚かなごみを出さなかった昭和30年代の暮らしを思い出さずにはいられません.

昨年の本誌3月号の特集「プラスチックごみ等による海ごみ問題」が警鐘を鳴らしたように,世界中でプラスチック公害は悪化の一途.しかも,生産規制どころか,コロナ禍でマスク,防護シート,ポリ袋,手袋,医療用防護服等々,さらにその生産量は世界規模で激増中.全世界で生産抑制の英断をしない限り,破局は近づくばかり.リサイクルなど小手先の対症療法,問題の先送りに過ぎません.

日々刻々とプラスチックが人体や他の生き物たちの健康,命にとって脅威の度を増しつつあるとは悪夢のような時代.後世に対して申し訳なくてなりません.不便でもいい.「なければないでないなりに」,子孫の時代を侵さないそんな暮らしがしたいです.

(東京支部・中嶋由美子,2021年1月11日)

2020年11月号特集「高齢者の社会的孤立と生涯発達」を読んで

11月号特集を読み,とくに石田論文「『社会的孤立』研究の到達点と課題」及び「編集後記」(元橋)に惹かれました.このことをご報告し,併せてお願いを書きます.

編集後記には,本特集について,「…,さらには社会的孤立が隠されてきた背景にはいかなる社会観や人間観の『歪み』があるのかを多角的に考察できるようになっている」とありますが,私は多角的に考察できないもどかしさの中にいます.「高齢者の社会的孤立や貧困」がなぜあるのか,どのようにして顕在化して来たのかも重要ですが,それが「隠されてきた背景に社会観や人間観の『歪み』」があるという指摘に,驚愕し,目が覚めました.

そこで,1年後から2,3年以内にもう一度,「社会的孤立が隠されてきた背景としての社会観や人間観の『歪み』」に焦点を当てた特集を組んでもらえることを希望します.その時の論文執筆者には,11月号に登場したような現場をよく理解できる人が良いです.

このことが,すなわち「社会的孤立が隠されてきた背景としての社会観や人間観の『歪み』」が問われないままに,それが国民的課題であることが認識されないままに,私たち日本人が時をやり過ごすとすると,「日本はどうなるのか?」,「日本特有の閉塞状況はなお悲惨なものになるのではないか」を論述し,解き明かしてほしい.『日本の科学者』に期待します.

(全日本年金者組合(大分県)・佐藤文人,2021年1月10日)

2020年11月号特集「高齢者の社会的孤立と生涯発達」を読んで

坂本による「特集まえがき」は,最初の5パラグラフで特集の意義をわかり易く述べた後,5つの特集論文の位置づけを概観しており,特集の組み立てが理解しやすかった.藤本の特集論文では,著者の実生活における体験の告白を交えた内容に,大いに引き付けられた.

(沖縄支部・大倉信彦,2020年11月16日)

『日本の科学者』をいつも読んでいます

8月号特集「足尾銅山鉱毒事件を捉えなおす」を読んで:公害の原点でもある足尾銅山鉱毒問題には若い頃から関心を持ってきた.興味深い特集であり,この事件から学ぶことはまだまだたくさんあるという思いをあらためて強くした.とくに心に残ったのは,「いのちと生活をまもるのは人民の闘いによってしかできない」という言葉だ.今,この精神が本当に生かされているのかと,不安になるときがある.読者に勇気を与えてくれる特集だった.

10月号<ひろば>を読んで:小林論文「イージス・アショアに立ち向かう市民と科学者の役割―秋田からの報告と今後の課題」は,科学的見地から述べられていて説得力がある.こういう運動に,市民だけでなく,科学者が参加することには大きな意味がある.ただ何でも反対,というだけでは運動は盛り上がらない.熱い情熱を支えるものは冷めた透徹した科学的・合理的精神だ.この運動が成果をあげることができたのも,科学的真理に立脚して行動できていることを忘れてはならないだろう.北朝鮮のミサイル問題は決して軽視してよいことではない.しかし,いくら防衛のためとはいえ,そこに住んでいる人の生活をおびやかすことがあってはならない.これを科学的見地から解明したすばらしい論文だった.

河合論文「大学におけるワークルール教育の意義と課題」は,今の働く若者にとって一番必要な問題を取り上げている.私は,悲惨な労働それ自体の問題もさることながら,これらの労働者たちが精神も蝕まれていることに注目してきた.どのような労働条件に置かれようとも,人間の尊厳を放棄してはならない.こういう知識を得てこそ働く者に幸せがやってくる,それを認識することの大切さを感じた.

10月号<科学者つうしん>を読んで:「原水爆禁止2020年世界大会・科学者集会 in 福井」の基調講演(井原JSA事務局長)が「戦争が科学技術を発展させるなどとする論理は間違いであることを明らかにした」,という言葉に注目させられた.戦争に協力するような科学や技術を私たちは許してはならない.

10月号<読者の声>を読んで:それぞれの声が的確に本質に迫っていると感じた.独立行政法人のメリットは「次年度に予算が残せること」と説明を受けたことや,「世間と学問の世界の隔たりは大きい」,「理系から文系に変わる文転」という言葉などに,いろいろと考えさせられた.こういうことがあるので,<読者の声>も大切だと思う.

(三重支部・菊谷秀臣,2020年7月27日(8月号),2020年9月26日(10月号))

2020年12月号 チンチンとカネタタキ鳴く秋夜長

12月号<談話室>「鳴く虫文化の復活を夢見て」を読んで,子どもの頃に原っぱで虫捕りに興じたことを懐かしく思い出した.そんな折,庭先でチンチンと鳴く小さな虫の声に気づいた.音を頼りにしばらく探すと,いたいた,アボガドの枝から葉へとカネタタキが動いては止まり鳴いていた(アボガドは,庭に種を埋めておいたら勝手に芽を出し,数年で2メートルほどの高さになっている).

さっそく捕まえて小さな虫かごに入れ飼育しているが,体長1センチメートルほどで長い触角をもち,小さな翅をこれ見よがしに立てて鳴く姿はなんとも可愛らしいものである.12月中旬になってもまだ,朝から夜まで思い出したようにチンチンと鳴いている.久しぶりに暮らしの中に秋が来た思いに浸ることができた.

そう言えば,千年以上前に書かれた「春はあけぼの」で始まる『枕草子』に,「秋は夕暮れ.夕日のさして山の端いと近うなりたるに,からすの寝どころへ行くとて,三つ四つ,二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり.まいて雁などのつらねたるが,いと小さく見ゆるは,いとをかし.日入りはてて,風の音,虫のねなど,はたいふべきにあらず」という一節がある.また,夏の夜のホタルの光り飛ぶ美しさも讃えている.<談話室>に言うように,小さな虫に耳や目を留める人は昔からいたのだ.

ところが気象庁は,1953年から続けてきた「生物季節観測」を2021年から大幅に縮小すると発表した.それによると,セミやホタル,コオロギなど23種24項目の動物季節観測はすべて廃止.34種41項目ある植物季節観測はサクラの開花と満開など6種9項目だけになる.気象庁観測整備計画課の担当者は,「…人員削減や予算がらみの処置ではありません.動物については,気象台の周辺の生息数が減ってきたことが理由…ここ20年で気候が大きく変動し,動物や植物が初めて鳴いたり現れたことを観測できた時点で,すでに季節が移り変わっている…観測から四季の移り変わりを読みとれなくなった…」,と説明している(『女性セブン』,2020年12月17日号,小学館).定点観測は続けることに意味があり,もし観測できなかったということであれば,それ自体が気候変動や都市化などの自然や環境の変化を反映しているのではないか.さまざまな花の開花や虫の声,ウグイスの初鳴き,トカゲやツバメの初見などを通して四季の移り変わりを感じ取るなどということは,もう必要ないと言うのだろうか.それは違うでしょうと,私の側でカネタタキのチンチンと鳴く声がしている.

(大分県在住・田中理子,2020年12月15日)

2020年10月号特集 「持続可能な農山村の地域づくり」を読んで

「持続可能な農山村の地域づくり」の「特集まえがき」に,「各論文で取り上げられる事例の取組の内容や方法は千差万別である.①それぞれの地域がどのような課題に直面しているのか,②その課題を克服するために,どのように取り組んでいるのか,③住民自治がどのように機能しているのか,という点に注目していただきたい」との提起があり,論文を読み進めるとき大いに参考になった.「言葉の玉手箱―キーワード解説」もわかりやすく書かれていて,中山間地域が日本の国土面積の7割を占めることに改めて驚き,「空き家バンク」にも興味を持てた.解説に自らの見解を述べているのもよかった.

谷口論文は,世界規模でグローバル化が進行する中での日本の農業から島根県の農業へ,さらに島根県雲南地域の農業へと論を進めている.日本の農業の現状は,過疎・高齢化の中での小規模経営が特徴である.衰退して行く農業において,雲南地域の農村振興活動には注目すべき点がある.それは,地域のリーダー的農園の活動が核となり,地域にある農業の多面的価値を活用して生産・販売技術の創出・組織化が図られ,自治体からの支援も得て農村振興を実現してきていることである.こうした取り組みを牽引するリーダーの存在には大きなものがあると改めて感じた.

(三重支部・菊谷秀臣,2020年9月26日)

2020年9月号 レビュー論文「珍味なホヤのマッチョな発生生物学」

本レビューは,最後の部分にある通り,高校生向けの講演をまとめたもので,要点が非常にわかりやすく書かれていた.同じ専門分野の読者を対象とした比較的難解な論文も勿論あって良いが,専門外の読者を対象にした,高校生でも読めるわかり易い論文の価値は,本誌にとって極めて高い.本レビューは,高度な内容を平易に著した素晴らしいものであると思う.

(沖縄支部・大倉信彦,2020年9月17日)

2020年9月号 特集「待ったなし,気候危機を回避するために」

気候危機回避に積極的でない国に贈られる不名誉な「化石賞」を2度も受賞した国である.「編集後記」が述べているような,マーラーや李白の“永遠に続く世界観”を共有する政治家は 日本には少ない安倍が去り誕生した菅新内閣に「我が地球よ 永遠に」を実現する政策は見えない.「今までになかった水害やわ台風やね」と恐れつつもその原因を生み出しているCO2排出削減のために 強力な政策を望む声はまだまだ弱い本号がそれに貢献することを願っている.

(大阪支部・小笠原京子,2020年9月16日)

2020年9月号 特集「待ったなし,気候危機を回避するために」

日本科学者会議の真骨頂が発揮された本特集は,出色の出来だと思います.どの論文も優れていて,読むのに大変時間がかかりました.この号は,すべての政治家と官僚,いや市民の皆さんにぜひ読んでほしいものです.「編集後記」を読み,思わず,久しぶりにマーラーを聴き(いささかうるさいですが(笑い)),新潮社のカラー文庫版『マーラー』と岩波新書『グスタフ・マーラー』を紐解きました.特集に関わられた皆さんのご活躍を多とするものです.

(愛知支部・牛田憲行,2020年9月16日投稿)

2020年9月号 レビュー論文「珍味なホヤのマッチョな発生生物学」

興味をもって,一気に読んだ.生物の発生機構はまだまだ不明なことが多い.比較的単純で,細胞数が少ないホヤを用いることで,胚発生の仕組み:筋肉決定因子を同定した.この研究の最初のキーとなる発見,卵の黄色い細胞質成分を本来筋肉にならない胚細胞に移植すると筋肉が形成された.筋肉形成因子の存在を確認した西田氏は,ひとり祝杯を挙げた,と記している.シンバルをジイヤ~ンと打ち鳴らすような高揚感にあふれていたのでしょう!!分子生物学方法を用いて,筋肉形成因子がmacho-1 mRNAであること,macho-1 mRNAに指令されるタンパク質は筋肉遺伝子発現のスイッチをonにする作用を持つことが明らかにされた.面白い研究報告をワクワクして読ませていただいた.ホヤの発生機構はほぼ解明されているとのことで,将来の再生医療に貢献できる可能性が示唆されている.スゴイですね.

(大阪支部・小笠原京子,2020年9月16日)

2020年9月号 特集「待ったなし,気候危機を回避するために」

素晴らしい特集に取り組まれた執筆者の皆さんに拍手です.長野氏の<ひろば>「人為的CO2除去技術の欺瞞」は,よく言ってくださいました.編集委員会は,特集テーマについて各党に政策資料の提供を依頼し,「気候危機回避のための各党政策」として取りまとめています.本当に沢山の人に読んでもらいたい特集です.

(大阪支部・本庄孝子,2020年9月6日)

2020年9月号 レビュー論文「珍味なホヤのマッチョな発生生物学」

ある時,蜜蜂の話をしていてそれの筋肉のことに及ぶと,「虫にも筋肉あんのー?!」と驚かれたことがあった.筋肉なしでどうやって動けるのだろうかと,私は不思議に思った.筋肉は動物にとっては超大事なものだ.西田氏の総説は,ゼリーのように透明で一様に見える受精卵が分裂を繰り返す過程で,筋肉細胞が誘導され生じてくる仕組みについてのご自身の研究を解説している.東北地方で珍味として食されるホヤだが,一方で分類学上は脊椎動物に近いこと,その発生がすっきりとして単純であることなど研究材料としての選択が,幸運とも言えそうな研究成果をもたらした一因かもしれない.総説では,胚細胞の発生運命決定に関して,ホヤの卵の中に局在が予想されながら100年以上も謎のままだった筋肉決定因子が何であるかをついに探し出し,それを受け継いだ細胞が実際に筋肉を作ることを報告している.私は,ドラマチックなサクセス・ストーリーを読んだ時のような快感を覚えた.

なおこの総説は,西田氏が高校生向けに講演を行ったものを文章にまとめたというだけに,専門的内容にもかかわらず平易に書かれていて図も美しい.この雑誌にこのような記事もいいなと思った.

(滋賀支部・尼川大作,2020年9月2日)

2020年9月号 レビュー論文「珍味なホヤのマッチョな発生生物学」

西田宏記氏のレビューは,読んでいて楽しかった.それは研究者がホヤの発生の研究を楽しんでやっているからにほかならない.すぐれた研究にはいつも楽しさが伴っている.また,この論文が高校生向けであったということにも注目したい.科学的知識の高度化は大切であるが,その一方啓蒙という面をなおざりにしてはならないと思う.入門書などを研究者が軽視するようなことがあってはならない.さらに,このレビューでは,研究者が問題をときほぐしていくプロセスが記述されているが,これが説明をわかりやすくしているし,興味をかきたてられる要素にもなっている.真理は一人や少数の者の間にだけあっては真理でない.広く社会に受け入れられて本当の真理となる.本レビューは,そのことも私たちに知らせてくれている.

(三重支部・菊谷秀臣,2020年8月24日)

2020年8月号 特集「足尾銅山鉱毒事件を捉えなおす」ほか

編集委員会紹介のDVD『鉱毒悲歌そして今』を観賞しながら,特集を読みました.<足尾,といえば明治の田中正造>との思いがあり,<昔のこと>と捉えていましたが,私自身の生存中にこれらの運動があったかと思うと感慨深いものがありました.

以前に,足尾のフィールドワークに,学生を何人か連れて行くと,テーマが総合的(文科理科の限定ないこと)のためか,誰にも感銘を与え,数名のJSAへの入会があると,東京支部の方から聞いたことがあります.大いに好ましいことだと思いました.菅井論文を読み,感銘は,自分の視野が拡げられたとき,それは,すなわち,歴史を知ったときに得られるのだ,と改めて思いました.つまり,全体観を得た時の感激なのだと思います.

板橋・坂原論文からは,板橋明治氏の奮闘がよく分かります.裁判資料の作成を弁護士に頼まず,という点は,たいへんなことと思いますが,人々が時間をかけて納得する手立てとして正攻法だと思います.映画『鉱毒』も何とかDVD化してほしいです.17年余にわたる土地改良事業については,何メートル掘り下げたとか,除去の土砂はどこに保管かなど,具体的に知りたいです.経費の半分が古河というのは,納得できないです.住民には何も落ち度なく,むしろ警告や要求を伝えてきたのに,半分が公費(県や国)負担というのは,税金ですから.

谷・高際論文を読むと,「鉱毒悲歌」の制作は,彼らが若いころの活動であることが映像から見て取れ,歳月を思わせます.映像作成技術の発展があってこそ,今,私たちが鑑賞できるようになったことが幸いです.このような映像作成経費も,古河が請け負うべきと思います.『襤褸の旗』を鑑賞したいです.また,赤上論文は,田中正造の「住民に教える」から「住民に教わる」への変化は,観念でなく行動で人を判断することができる彼の人柄を思わせます.まさに,最後まで成長したということでしょう.

<談話室>「ヴェネチアン・グラスにみる伝統と革新」は,装飾というものが人間性の根源からの希望であることを思わせられて,興味深い.私は,以前は,“衣食足りてからの装飾”と考えていましたが,そうではなく,石器時代から装飾の要素が生活にあることに気付かされ,進化も同様と考えています.いつも,必要物と付随物は共存するのです.人間性は,知・情・意をいつも全体的に保持しながら発展してきたと理解できるところが興味深いです.何かに突出するのは,特定の(多くは経済的,政治的)強圧による,と思われます.

(岡山支部・白井浩子,2020年8月20日)

2020年8月号によせて

「読者の声」の阪大法学部学生の声を読みました.5月号の古屋論文に大いに納得して,法学部だが生物学も学ぼうと意欲が湧いた,と.文理を超える,それらの背後にある共通の思想を思わされ,視野が広がり嬉しく思ったのだと思います.嬉しいじゃありませんか.このような感想を読者に与えるような書き方をすることは,本当に大事だと思います.

近く,「今 井尻正二に学ぶ」という特集を担当します.彼も,「人に読まれて感激を与える人」だと言われますね.「全体を見る者でいたい」,とは彼の発言です.ヴェネチアグラスの<談話室>もそうですが,今月号は全体を捉えることに嬉しさを思わせられることが多かったです.

(岡山支部・白井浩子,2020年8月20日)

2020年8月号 特集「足尾銅山鉱毒事件を捉えなおす」

江戸時代初期に発見された足尾銅山が,1877年(明治10年)古河市兵衛によって再開発,1885年には生産量日本一,この頃から異変が出始め,1890年鉱毒被害拡大,1988年に完全閉山,が今なお問題を残しているとある.本特集では農作被害が述べられているが,この間に渡良瀬川周辺の人々に及ぼした身体への影響や鉱山労働者への影響等々はどうであったのか.編集後記で中嶋氏による鉱毒被害の一端が記されてあり,精錬過程で排出される重金属・有毒ガス・廃液による農地・農作物そして人々の身体を蝕んだ苦痛が想像される.身体への被害に対する補償はなされたのであろうか.本特集では,運動の経緯が主に述べられているが,鉱害が人や環境に与えた被害の実態は記録に残されているのだろうか.安全を無視したずさんな精錬工場運営や技術者の無知が引き起こした足尾銅山鉱毒問題の構図は,チッソのメチル水銀たれ流しによる水俣病と同じだと思った.

(大阪支部・小笠原京子,2020年8月15日)

2020年6月号 特集「性と人権」

宇野氏の論文「性差:生物学的・歴史的・社会的視点から考える」は,一言で言って,解りやすい良い論文であった.70年ほど前の高校の生物では習った記憶のないSRY遺伝子の話がとても興味深く,勉強になった.また,妊娠8週目の女児の卵巣に数百万個の卵子ができていることなど,初めて知ることができた.そして,「3 21世紀の男女関係」の最後は,「女性として身体的に良い条件にあるときに産める社会,女性であることを否定しなくても良い社会が,男性にとっても生きやすい社会ではないだろうか」という言葉で結ばれている.冷静な女性科学者の視線を感じさせる結びだと思った.

早乙女氏の「性と人権」は,産科医としてご自身の体験に基づく女性の悩みから始まり,末尾に「少子化対策としての性科学や性教育ではなく,個人の人権や人生の質の向上としての性科学をこれからも研究していきたいと思う」と抱負を述べている.読み応えのある良い特集のコラムだった.

中里見氏の論文「性の売買と人権」は,性を売ることについての二つの説,人権侵害説と人権説の特徴を解りやすく解説していて,大変興味深い論文であった.しかし,性を商品として売るのは人間の権利の一つという人権説を唱える人がいることには,いささか驚かされた.論文でも指摘されているが,売春防止法や児童買春・児童ポルノ禁止法が制定されているにもかかわらず,自身の性を売るか売らないかを決めるのは人権の一つだという考えには反対である.性は商品にしてはならない人格の基礎となるものだと考える.

(京都支部・富田道男,2020年8月1日)

2020年8月号 特集「足尾銅山鉱毒事件を捉えなおす」

私は幼年時代を旧満州で,小中高を高知県の田舎で過ごした.小中の学芸会では「渡良瀬川」をテーマとするものがよく演じられたので,感慨を持って読ませていただいた.なぜ土佐の田舎でと改めて思うが,それは土佐の自由民権運動と中村高校の先輩に幸徳秋水がいたことに加え,当時高知県では教職員組合が活発に活動していたことも影響していたのではないかと思う.正造の天皇への直訴文は名文家・秋水が書いたものだった.

(岐阜支部・中須賀徳行,2020年7月30日)

2020年7月号 青水論文「科学技術の転倒性 ― 放射線被ばく労働に焦点を当てて」

青水論文はデータに基づいた,しかも文理融合したタイプの論文であり大いに感銘を受けた.さらに考察を深められることを期待したい.実は私も,論文に引用されている髙木仁三郎氏にはずっと昔から注目し,評価してきた.『現代教養文庫 現代の博物誌』(全7巻,社会思想社,1976年)所収の氏の著書『プルートーンの火 ― 地獄の火を盗む核文明』を読んだことがきっかけだった.なお,このシリーズには,ガモフ全集の翻訳や科学啓蒙書の著作で有名な崎川範行氏による3頁にもわたる書評があることをご存知だろうか(『サイエンス』,1977年6月号).

(愛知支部・牛田憲行,2020年7月16日)

2020年7月号特集に寄せて―市民の役割を問う

中間貯蔵開始後30年以内に福島県外で最終処分を完了させる(JESCO法附帯決議).あらかじめ結論が決められているのだから,考えても仕方がない.いや違う.なぜ,議論を尽くして方向性を決めることをしないのか.素朴な疑問がわいてきた.まさに科学者と市民が共同し,未来永劫,議論し続けるべきではないか.7月号特集「原発災害から地域の未来へ」が示すのは,学際的な議論の大切さである.

もっとも,学際的な議論に市民が参加するためには,むしろ各専門領域から論点が明確に示される必要があるだろう.私は市民として,科学者の皆さんに論点整理をお願いしたい立場である.

例えば,管理に170年かかる汚染土(毎日新聞,2016年6月27日)を,最大で99 %再利用する可能性(朝日新聞,2019年2月26日)について.実証事業で安全性が確認されているとして,工事や管理の基準を設ける省令が2020年4月1日に施行される予定であったが,パブリックコメントの結果を受けて施行が見送られた(NHK,2020年3月28日).

私が市民として認識できる問題は大きく二つで,一つは汚染土の危険性であり,もう一つは,汚染土の再利用が「省令」改正で可能になる仕組みである.わからないのは,各問題について,自分は市民として何ができるか,ということだ.

自治体は「国の施策への協力」が責務とされており,国民は国や自治体の施策に「協力」することが責務とされている中で(放射性物質汚染対処特措法),市民や地域は,どのように自らの未来を決めればよいのか.除染等が法定受託事務であることにより既定された垂直的政府間関係と,集権的な財政関係は,自治体の判断全般に影響していないだろうか.

私は市民として,以上のような疑問を持っている.既に科学者コミュニティにおいて議論されていることであれば,市民との共有をお願いしたい.また,そこでの考察や結論において,市民の役割に関しても言及されているのであれば,ぜひ参考にしたい.

(福島県在住・持田夏海,2020年7月10日)

2020年7月号 青水論文「科学技術の転倒性 ― 放射線被ばく労働に焦点を当てて」

この論文は,論理が首尾一貫していて小気味よさを覚えた.資本主義の本質は,論者が指摘するように,その転倒性にこそ存在する.いくら科学・技術が進んだからといって人間が幸せになるという保証はない.社会の仕組みと科学・技術の営みと人の幸せはつながっている.よい社会を作ることなしに人は幸せにならないのだ.こういう考え方が,今あまり問題にされない傾向にあることは残念に思う.

さらに科学者や医療関係者の責任についても論じている.社会において一定の影響力を有する人がどういう行動をするかということは大きな意味を持ち,これも大切な視点である.

(三重支部・菊谷秀臣,2020年6月22日)