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見解・声明など | PDF

声明

日本学術会議法案(学術会議解体法案)の廃案を求める緊急声明

2025年5月16日

日本科学者会議富山支部

「日本学術会議法案」(以下「法案」)は、実質的審議が十分とは言えないまま衆議院を通過し、 参議院での審議に移された。この法案は、現行の日本学術会議法を廃止し、それと名称が同じ新た な日本学術会議法を制定しようとするものである。同じ名称とはいっても両者の意義や規定内容は その根幹においてまったく異なるものであり、法案は、これまで国の機関ではあるが「特別の機関」 (内閣府設置法 40 条 3 項、国家行政組織法 8 条の 3)として高い独立性が認められていた学術会議 を「解体」し、時の政府の政策の立案・実現の一手段とするべく「特殊法人」としての学術会議に 変貌させることを企図するものと言わざるを得ない。われわれはこうした事態を憂慮し、今こそ本法案の廃案を求める声を挙げるべきだと決意した。

現行の日本学術会議法には他の法律にはあまり見かけられない「前文」が存在する。この法律が「憲法具体化法」とされるゆえんなのであるが、「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の 学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される。」というのがそれである。

この前文は、現在の学術会議の存在理由と基本的性格をよく表している。国民に惨禍をもたらした戦争に学術研究者・科学者(または学術・科学)が動員され、加担したことへの反省から、現行 の学術会議は、「科学が文化国家の基礎であるという確信」に基づき設立された。そうであるから、 学術会議の「使命」は、「わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献」することおよび「世界の学 界と提携して学術の進歩に寄与すること」とされるのである。そしてまた、そうした学術会議は、 「科学者の総意」によって設けられるものとされていることが重要である。

ところが、法案は、この前文を削除するとしている。学術会議の歴史的意義および国民や社会に 対する学術・科学の使命を示し、当該法律の各条文の解釈の基準として働く前文を削除するという ことそれ自体が、名称は同じでも新法の下での学術会議の性格が異なるものとなることを示している。また、それは「憲法具体化法」としての学術会議法ではなくなることをも意味している。

さらに、新法における学術会議は実態として「科学者の総意」の下に設立されるものとは言えず、 それどころか学術会議の審議を経ないまま法案作成がなされたこと自体が、「科学に関する重要事項」を政府から独立して審議することを学術会議の職務としている現行学術会議法 3 条に反するものだと考えられる。

政府説明によれば、法案は「学術会議の独立性、自律性を抜本的に高めるもの」だとされる。しかし、法案を読む限り、そのようには解されず、むしろ逆に、学術会議の独立性、自主性・自律性 は事実上?奪または否定されることになろう。

第1に、特殊法人化すれば、独立行政法人と同様に、主務大臣(この場合は内閣府の長としての 内閣総理大臣)によるさまざまな内容の監督が行われることになり、学術会議の独立性が著しく毀 損される。

第2に、新法の下での学術会議は、「業務」を実施する団体とされ、学術会議自身が定めなければ ならないとされる「中期的な活動計画」(以下「中期活動計画」)やそれに基づく「年度計画」によ って“拘束”される。学術会議の業務全般を監査する「監事」の内閣総理大臣による任命、学術会議自身に義務づけられた「中期活動計画」の策定とその実施に係る「自己点検評価書」の「日本学 術会議評価委員会」(以下「評価委員会」)への提出、「自己点検評価書」に対する評価委員会による 調査審議および意見表明といった規定が新設され、それらが相まって学術会議の運営における自主性・自律性が強く制約されるかまたは否定されることになる。

第3に、会員選任手続において、会員以外の者からなる「会員選定助言委員会」の意見に基づく 「会員候補者選定委員会」(以下「選定委員会」)による選定方針の決定、これに基づく選定委員会 による会員候補者の選定が行われることとされ、会員選任における学術会議の自主性・自律性が損 なわれる。

第4に、学術会議の財務・会計処理が企業会計原則に基づき行われることになり、それに伴い財 務諸表の「承認」・積立金処分の「認可」といった諸々の内閣総理大臣による監督を受けることになる。また、現行の学術会議は各国からも学術的に日本を代表するナショナルアカデミーとして認め られてきているのであるが、学術会議の経費を「国庫の負担とする」という現行法(1 条 3 項)が 廃止され、「政府は、・・・その業務の財源に充てるため、必要と認める金額を補助することができる」 とする新法(48 条 1 項)に取って代わられることになると、今日の民主的な国家に共通して認めら れる「ナショナルアカデミーが備えるべき要件」の1つとしての「国家財政支出による安定した財 源基盤」が保障されないことになりかねない。

このように、財務面・財源面からしても、国家(政府)による監督と統制が強まる仕組み、つま り学術会議の自主性・自律性を危うくする仕組みが形成されることになる。

学術会議をめぐるこの法案の問題は、単に「学者の世界の話」として済ませられるようなもので はない。そもそも学術・学問研究や科学研究はそれぞれの研究者の学問の自由の発露として行われ るが、その営みがめざすべき目的は、平たく言えば、当該研究から得られた知見を国民・住民個々 人が人間らしく豊かに生きることに役立てること、また、そうしたことができる社会を創り出すこ とにある。学術研究者・科学者(以下「研究者」)の存在意義または役割は、その点にこそ見出され る。それは研究者集団の組織である日本学術会議やその他の学協会であっても同様である。今回の 法案は、学術会議を、時の政府に都合のよい政策の立案・実現の一手段としようとするものであり、 上記のような学術会議や研究者の存在意義・役割に反するものと言える。

学術会議の独立性・自律性が?奪または否定される方向に向かい、時の政府の政策の立案・実現 の一手段とされるということは、当該政府が「好ましいと考える政策」に利用できるとみなされる 学術・科学が優遇(「動員」)され、そうしたものとはみなされない学術・科学またはその研究者が 冷遇・否定される途を開くことになりかねない。そうなれば、学術会議という研究者集団の範囲を 超えて、個々の研究者にも、また、国民・住民個人へも、学問の自由のみならず、広く思想・良心 の自由、言論・表現の自由といった憲法上の人権の国家による否定や民主主義の否定につながる危 険をもたらすということになるであろう。その行き着く先が為政者による専制や戦争であるという ことは、歴史の教えるところである。

そうであるからこそ、われわれは、そうした専制や戦争への途に扉を開くことになりかねない今 回の法案を看過することはできない。

学術会議の 76 年にわたる学術的提言等の活動は、第2次大戦後の日本の優れた学術・科学の発展 の歴史と深く結びついており、さまざまな政府の政策判断に寄与してきている。また、学術会議は、 これまで政府との「対話」を行いながら、その役割の発揮のための「自己変革」にも努めてきており、そのことは時々の政府も認め、受け入れてきたところである。つまり、現段階において、学術 会議を「特殊法人」化しなければならない理由は見当たらない。

われわれ日本科学者会議富山支部は、学術研究者・科学者としての使命と社会的責任を重んじる 立場から、今回の学術会議法案は廃案とされるべきであることを、ここに強く訴える。 より多くの方に、われわれのこの呼びかけに応え、われわれと共に声を挙げていただければと願う。

statement/250516toyama.txt · 最終更新: 2025/05/17 20:46 by mikasatoshiya

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