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jjs:readerscomments2021

文書の過去の版を表示しています。


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2021年

特集論文 鈴木宣弘「国際農産物流通とSDGs」を読んで

2021年12月号

貿易自由化が世界全体の経済的利益を最大化するとの市場原理主義的経済学は,寡占が蔓延する現実市場では,事実に基づかない空論であり,貧困と飢餓を増幅するだけである.この事実を,国際的な農産物買い叩きの寡占化を数値で「見える化」して実証したこの論文には,年来の霧が晴れたような思いを抱いた.「理論は実証によって検証される」は至言である.

喜寿を前に,JJA誌の積ん読が多くなり,退会を考えていた気持ちを一新してくれたこの論文に感謝したい.食糧問題を危惧しながら家庭菜園にいそしむ年金者会員に,活動の勇気と自信を与えてくれる内容である.

鈴木氏のご意見は,TPPの危険性を説く新聞記事などで拝見してきたが,この論文によって,無制限な貿易自由化の害悪がいっそう明確になったと言える.

アダム・スミスやリカードの貿易自由化論が幅を利かせてきた従来の経済学に,現実を対比して違和感を覚えて続けてきた私達に,理論的・現実的な対応策を提示してくれている.寡占下での貿易自由化と規制緩和ではなく,協同組合のような共助組織による国際農産物流通への転換など,国民の健康と食料自給への改善に取り組む人たちへの指針となる内容である.ぜひ国民世論や政党の政策にまで広げていきたいものである.

(千葉支部・佐々木正元)

特集論文 宮﨑崇将「日本の流通から見た食品ロス問題」を読んで

2021年12月号

最近,牛乳がとれすぎて大量に廃棄せざるを得ないというニュースがあった.何年か前も,白菜がとれすぎて,つぶしているというニュースがあった.食品ロスのどの種類に該当するのだろうか.特集全体にも関わるが,値引き商品や訳アリ商品を活用するなど,取り組み自体はあると思うので,それによってどれくらいロスを減らせるのかが気になった.

オリンピック・パラリンピックの給食で13万食分が廃棄されたとのことだった.選手村ではアイス食べ放題もあったが,捨てられもした.フードバンクをやっている人が,困っている人に提供せよと言っていたのに,オリンピック・パラリンピックでさえ,それは実現されなかった.勤務先の専門学校の教室にSDGsのポスターが貼ってあるのに,余ったものを全て捨てた話には誰も反応していなかった.意識の低さをどう変えたらよいのかだろうかと思った.

(東京支部・土肥有理)

特集「感染症大流行時代の人と動物の関係」 神里達博論文を読んで

2021年11月号

全体的な感想として,学問分野の扱う範囲が広くなっていることである.人間の生活が,人間の生活で完結しておらず,動物などとリンクしている.学問分野も,包括的に研究しようとすると,専門性だけでなく周辺的知識を要する.高校の教科書の記載では,自然を支配する,自然と共生するなど,年代による自然観が変化が示されているという文章を見たことがある.日本財団の調査によれば若者の関心は,環境問題まで行っていなくとのことだ.日本だとどうしてなんだろうと思った.要求それ自体がないわけではなく,一定の意識はあるようで,惜しいと思う.

(東京支部・川口力丸)

特集論文 神里達博「BSE問題の経緯から読み解く科学と政治の関係性」を読んで

2021年11月号

本論文は,BSE問題の歴史を通して,社会的課題に対する科学者の在り方を教えてくれる.

研究所で最初にBSEが見逃された経緯より,研究者あるいは組織がまったく新規の問題に遭遇したときにどう備えておくかが強調されたが,現在の大学を考えると実に難しいと感じた.このような備えは日頃からの余裕が必要である.しかし備えがなくて研究所所長のように問題の隠蔽に走るのも恥ずかしい限りである.科学者としての誤謬を避ける慎重さといえば聞こえはいいが,改ざん・ねつ造などと裏腹の研究倫理上の問題である.隠蔽の動機は畜産業に対する経済的打撃が大きいことに逡巡したためでもあったが,政治や経済界への忖度の問題といえる.いずれにしても,最悪を想定した生命の最優先の原則が科学でも政治でも貫徹することが重要だと感じた.

専門家による政府の諮問機関の設置の際に,学会の権威といわれる著名な研究者を優先して効果的な提案ができなかった経緯も教訓的である.失敗を恐れる専門家と経済を優先する行政側の慣れあいは何も生まない.

最後に,未解明のマイナーな分野のリスクに対応するために提案された次の2点はJSAの存在意義や活動の在り方を考えさせてくれた.(i) 業績にはこだわらない専門家の集団が必要で,通常の真理追求型の学会集団とは異なる.(ii) 未解明な部分が多いほど,行政と科学の力関係が行政に偏りやすいことを認識すべきである.

(京都支部・前田耕治)

<h2> <a href="https://jsa.gr.jp/04pub/0401jjs/2021contents.html#m2021-10">2021年10月号</a> 特集論文 岡村眞「南海トラフ地震に備えて-高知県の防災施策と安心安全」を読んで </h2>

本論文は,今月号で一番考えさせられた論文でした.「前回の南海地震からすでに75年が経過した」とありますが,その当時の記録は残っていないのでしょうか.残っていたら,そこから学ぶということは価値が無いことでしょうか.東日本大震災から教訓を引き出そうとされているようにも思われます.東北と高知県とは同じではありません.ですから,75年前の高知の経験も大切にする必要はないのでしょうか.

東日本の震災の前に貞観の津波について述べられています.この時のことは「契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 波こさじとは」(清原元輔)と歌によまれていますから,よく知られているかもしれません.この大津波は,明治29年(1896年)青森,岩手,宮城の3県を襲っています.死者の数26360名というのですから,今回の東北大震災よりはるかに多い数です.これがどうして今回の大震災が1000年に一度などということになるのでしょうか.本論文では,1000年に一度とか,貞観から東北大震災の間にこういう大津波はなかったとは書かれていません.でも,明治の今回を上回るともいわれる明治の津波に対しても記述がないのは不思議です.

それとも今回の東北大震災を1000年に一度だからやむを得ないことだと思わせたい勢力?がどこかにあるのでしょうか.私はこの論文とは関係がありませんが,10000年に一度という言葉にある種の作為を感じているのです.

明治の津波については,吉村昭に作品があります.さらに本論文では,震災の時逃げなかった人についても述べられています.これもずっと私が気にしていたことでした.これを読んである程度は納得しましたが,現代は科学や技術が進歩し社会も発展しているから,逃げなくてもよいのではないかという安心感はなかったでしょうか.逃げようとはしなかった人が,科学技術に対しあまりにも過信したことが一番大きかった気がします.もし防潮堤がなかったら,多くの人は先を争って逃げたかもしれないとも思います.学校での対応,教育現場での実態,まさにこのとおりです.

最後に「過去の災害を分析評価することで,その「想定外」を少なくすることは可能である」とあって,これには本当に納得できました.

(三重支部・菊谷秀臣)

<h2> <a href="https://jsa.gr.jp/04pub/0401jjs/2021contents.html#m2021-10">2021年10月号</a> 特集を読んで――南海トラフ巨大地震と日本各地の受け止め方 </h2>

昨年10月号のこの巨大地震特集について,愛知支部ニュースで私なりの見方を紹介した.約1年以上前,ある大新聞の一面に大阪市における被害予測が掲載された.私が驚いたのは,大阪は南海トラフが注目されている地域から離れていると考えていたのに,甚大な被害状況が見積もられており,もしこの地震が起きれば大阪は世界最貧国レベルに転落するという内容だった.

これによれば名古屋を中心とする東海地方にはさらに危機的な状況が発生するはずと考えられるのだが・・・.ところがこの報道の後,愛知では巨大地震にかかわる情報がほとんどなかったようだ.大阪の記者がこれほど危機感溢れる報道を展開しているのに,なぜ愛知の住民は知らぬふりをするのか.それで私は何人かの愛知住民にこのことに関するわたしの疑問をぶつけてみた.結論的に言うと,反応はおおむね穏やかで,特に危機意識が増大しているようでもない.ある方は愛知の人々も危機的状況にあることは感じているが,話をしても何も前進しないから沈黙しているのだろうという解釈だった.私は,関東で教員をしている元ゼミ生に聞いてみた.彼によれば,南海トラフはあまり話題になっていない,むしろ富士山の噴火,東京の直下型地震に危機感を覚えるということだった.

仙台市の近くのある地域の住民は先の東日本の地震は大きなものではなかったと言う.その理由として,建物が壊れなかった,お墓の石碑が倒れなかった,死者が出なかったことを述べている.このように,災害大国日本も地域によって異なる見方をしているようだ.高知市の取り組みはすばらしいのだが,各地域ごとに独自の取り組みが求められているのではないだろうか.

(愛知支部・垣内伸彦)

『日本の科学者』を授業に活用して

ここ数年,大学院の「環境化学特論」という討論形式の授業で,『日本の科学者』の特集論文を題材として活用しています.これまでに,「超伝導磁気浮上式『リニア新幹線』の徹底解剖」(2014年)「『有明海・諫早湾』で何が起こっているのか」(2015年),「泉南アスベスト訴訟勝利の意義」(2015年),「東南アジア島嶼部熱帯林の保全と再生」(2017年),「気候変動とその対策,自然エネルギーと省エネの社会実現に向けて」(2018年),「持続可能な水インフラをつくる」(2019年)などを取り上げています.不思議なことに,どれも数年前の論文ですが,時代遅れの題材にはなりません.特集課題がいまだに解決していない社会問題を先見的に取り上げていることを実感させられます.

授業では,背景や用語などの質疑応答を行ったうえで,著者の主張に同意する点,疑問,反論について意見を交換します.全般的に学生にとって新鮮だったのは,労働者や住民の視点で科学をとらえるという視点のようです.たとえば,パーム油の原料であるアブラヤシ産業の担い手である東南アジアの小農家のRSPO制度からの排除問題,泉南地区のアスベスト生産労働者が国の経済発展の犠牲になった点,水インフラの持続可能性と人口の集中・過疎問題の関係などについて活発に議論がなされました.リニア新幹線を造るメーカーに就職内定が決まっていた学生からは,「ちょっとショックでしたが,住民の視点を忘れないように頑張ります」とありました.通常の理工系教育では,このような視点を語ることはないので『日本の科学者』の面目躍如です.ただし,理工系学生らしく,エビデンスとなるデータをしっかり示してほしいという要望が多かったことも付け加えておきます.

(京都支部・前田耕治)

<h2> <a href="https://jsa.gr.jp/04pub/0401jjs/2021contents.html#m2021-09">2021年9月号</a> 特集「コロナウイルス禍の外国人労働者の権利」を読んで </h2>

日本では,高校までで社会保障教育がきちんとされていないから,おそらく,「福祉を使う」ということのイメージが,歪んでいたり,狭かったりするのではないかと思う.日本の場合,社会保障制度の中心は社会保険だということが非常に重要だ.したがって問題は二本立てで考えるべきである.第一に,短期的には,生活保護を使えるようにすること.現時点では,外国籍の方は,在留資格によって,一部の方しか生活保護を使うことができない.しかし,大人食堂の報道などからも明らかなように,かなり多様な国籍の方が貧困に苦しんでいる.ことに,非正規滞在者の場合,就労もしてはいけないし,生活保護の受給も認められていないために,生活する手法が社会制度として存在していない.これはありえない.したがって今すぐにでも,生活保護の要件を,国籍に関わるもの(実際には滞在期間と在留資格)に関してはなるべく限定して,広く使えるようにすることが必要である.第二に,上で述べたように,社会保障の中心は社会保険であること.社会保険は,基本的に申請主義ではない.なぜなら,社会保険は強制加入であって,拠出をしているのだから給付もされて当然であり,申請を要しないはずだから.中期的・中核的には,医療,年金,介護を中心に,社会保険の適用拡大をすることで,社会保険諸制度の枠内で,外国籍保持者をカバーしていくことが大事である.

(東京支部・佐藤和宏)

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jjs/readerscomments2021.1651504883.txt.gz · 最終更新: 2022/05/03 00:21 by michinobumaeda

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