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2023年

2023年12月号特集「公害・環境問題の現在」を読んで

特集の特に前半を読んで,原爆の黒い雨訴訟にしてもそうだが,機械的に「ここまで降った」と区切ることで,補償をするしないを区切る.実際に被害を受けた人がいるにもかかわらず補償しない.原発事故の時に東電が補償をしたけれども,原発から何km(30 km,60 km…)という形で,一回ぽっきりの補償金を行った.お金の問題ではないのだけれど,母の実家が福島で,原発から60 kmほどで,8万円の補償だった.家にひびが入ったので8万円では足りなかった.親戚はりんご農家だったが,1年間の作付け禁止だった.そのような問題があるのに,なぜ機械的に区切るのか. (東京支部・土肥有理) 私が大学の教員だった時に公害問題に関する講義をしていたので,非常に関心を持って読みました.10数年前に富山大学で学会があったときに,当時の学長が挨拶で「富山県はイタイイタイ病で有名だが,今は市民の調査で神通川がきれいになっている.」との話をしていて印象に残っていましたが,今回の論文でその詳しいことを知ることができました.まだまだ,世界では,途上国を中心に重金属の公害が問題になっているので,このような画期的な対策が普及していくようになるといいと思いました. また,この次の水俣病の論文を読んで,イタイイタイ病の被害者補償では問題は起こらなかったのか知りたいと思いました. (岐阜支部・太田和子)

2023年12月号 横畑泰志「富山県内における自然保護運動と行政の関係の変化」を読んで

ここでは今まではあまり見られなかった行政と企業,市民団体が協力して保護運動に取り組む姿が記述され未来に明るい展望を感じた.それは自然保護が特定の住民のためではなく,あらゆる人にとっても守り抜かねばならない貴重な財産であるという立場をすべての人々が共有できたからである.これからの活動に期待し,自然保護の模範となることができたらよいと思った. (三重支部・菊谷秀臣)

2023年11月号特集「平和を望むなら平和に備えよ」 三宅裕一郎「軍事力依存という呪縛からの脱却に向けて―軍事力によらない平和の構想」を読んで

2023年11月号特集論文 金子勝「21世紀の平和理論と日本国憲法」を読んで

ここに記載されていることは,間違っているというわけではない.しかし,日本国憲法を世界のどれだけの人が知っているのだろうか.世界の状況は日本国憲法によって動いているのではない.戦争と平和の問題は国際法が大きくかかわっているのだ. 本論文でも国際法について触れられているので,これは考慮する必要がある.自衛戦争を違法とする国際法を制定することが不可欠というなら,ロシアによるウクライナはどういうことになるのか.ウクライナは自衛のための戦争をしてはいけないことになる.中国人民解放軍が沖縄を攻撃しながら侵略してきても日本は自衛の権利を行使してはならないことになる.これでは,日本国民の支持は得られないだろう.国連憲章は第2条4項で絶対平和主義を打ち出している.これは自衛のための戦争もいけないという条文である.本論文は自衛戦争を違法とする国際法を提唱しているが,国連憲章ではそれが明記されているのである.しかし,だからといって侵略という事態が起こらないとは限らないので,国際連合憲章42条で集団安全保障を明記している.しかし,この42条が効力を発揮する前に惨劇は起こってしまうこともある.一方的占領という事態になる恐れもある.そこで,集団安全保障が働く前に行使されるのが国連憲章51条による個別的自衛権と集団的自衛権である.侵略に対しては,自国でこれに対抗しなければならない.しかしその力がないということであれば,それに対抗するためにとられる対応策が集団的自衛権なのである. 安保法制はこの国連憲章51条の集団的自衛権に根拠をおいて制定されている.だから,集団的自衛権を法制化した安保法は国連憲章にのっとっているのである.戦争と平和を考えるなら,憲法ではなく国際法で対処しなければならない.. 私が心配しているのは,憲法9条さえあれば絶対に戦争にはならないと考えている人々がいることだ.これが事実であるのなら,どこの国でも,より力の弱い国であればなおさら9条を憲法に取り入れるだろう.ウクライナに9条がありさえすればロシアはウクライナに侵略しなかったことになる.しかしそれはとても認めることはできない.戦争は国際的なもので,国内法で解決できるものではないだろう.9条があるから中国は尖閣に来ないで下さいと9条の会が中国に言えば中国はこないだろうか. 私たちは空想的平和主義者であってはならない.そのためにも,企画として「国際法」をお願いしたいと思っている. (三重支部・菊谷秀臣)

2023年10月号 藤田安一「今こそ「国家の安全保障」から『人間安全保障』への転換を」を読んで

国家の安全保障,人間の安全保障が大事だとは分かっていたし,うっすらと理解はしていたけれど,国家の安全保障とそれに対立する人間の安全保障がまとまって情報提供されていることが分かって,自分としては整理ができた.自分の理解では「国家の」安全保障とは「国家のための」であって,リバタリアン的な国家を否定することによる自由ではなくて,「国家による」人間のための安全保障というのがあるんだなということを考えさせられた.コロナをつなげて理解できているかは怪しいけれども,その点について勉強になった. (東京・小泉洋樹)

2023年10月号 小林緑「ポリーヌに魅せられて-社会システム転換と医療整備」を読んで

テーマに比して軽快で,思わず引き込まれてしまった.氏の分野が「音楽とジェンダー」とあり評者には,関心はあるがかなり遠い世界で,殆ど知らない分野である.『ポリーヌに魅せられて』は手元になく読んでないが,小林氏に興味がわいてネットで検索すると,NPJ通信というサイトにこの談話室と同様のテーマで,2008年から2014年まで興味深い論考が幾つも掲載されていた.別のサイトでは,NHKの経営委員会委員に任命され,2期(2001~07年)務められていて,当時の海老沢勝二会長の3期目に強く反対したが氏の発言は無かったことにされたこと,経営委員退任後にも,安倍首相が送り込んだ安倍応援団を公言する経営委員(長谷川三千代,百田尚樹の各氏)が,あの籾井勝人会長を選出したことを批判したことなどが紹介されていた.これらの批判も非常に説得力を持って表現されている.このような氏の文章にはあこがれるが,残念ながら高すぎて峰がかすんでいる. (小倉久和 福井支部)

2023年10月号 保母武彦「地域発展と自治体の役割」を読んで

COVID-19流行時の保健・医療業務の崩壊状態,経済的弱者層への被害集中は行政改革とアベノミクスによる人災,ポストコロナの時代は「地域医療構想」の再構築など地方分権を活用・活性化させ,新しい地域づくりが必要との課題提起である.かつていくつかの自治体の政策づくりに参加した経験からいえば,国の示してきた方針に沿った改革をやらなくては補助金が受けられないなどで結論ありきの議論が進められ,コンサル業者がマニュアルを持ちこんで文書づくりを補佐(リード)する動きまで見られ,地方自治はどこにある?と思わせられることも多かった.こうした圧力をはねかえして「内発的発展」(p.18,多田論文)を実現する住民運動の事例が保健・医療・福祉分野でも提示されれば励ましとなると思う.大震災時の神戸での市職員や教職員の懸命な働きを想い起し,コロナ禍でも同様の働きが命を守ったと思う.働きが報われる職場づくりを望みたい. (京都支部・清水民子)

9月号特集「日本におけるインクルーシブ教育の動向と発達保障」を読んで

「インクルーシブな社会とは何か,排他しない社会にはどういう構造が必要なのか」という部分を本特集でもっと追及して欲しかった.「2022年4月27日文科省局長通知」は,この分野に詳しい読者には常識かもしれないが,この分野に詳しくない読者には何が問題なのか分かりにくかった. しかし,石垣雅也「通常学級におけるインクルーシブ教育と発達保障」は,現場の実践にも触れており,とても具体的でわかりやすかった.実際の教育現場では,授業の画一化が進んでいて,インクルーシブ教育どころではなくなっているようだ.子どもの学習の事実に注目していこうという教師の実践や学びあいが,現実を変えていく希望だと思う.もちろん,少人数教育・教員の増員など環境の改善も車の両輪として重要だと思う. 加茂勇「21世紀の障害児をめぐる教育の変化と課題‐発達障害児から肢体不自由児までの子どもの姿を通して」では,文末の注の中で用語解説をしてくれていて,専門外の読者である私にとってはありがたかった.特殊教育から特別支援教育に変化していった歴史の解説がよかった.通常教育のゆがみや学校で起こるトラブルに対する安全装置として,支援学級が利用されているというところがショックであった.これは分断であり,インクルーシブ教育ではないと思う. (岐阜支部・太田和子) このような教育分野を私は殆ど知らなかった.新生児・幼児から大学までの教育とりわけ公教育が,「新自由主義」のもと,教諭・教員・運営スタッフや予算および制度は貧弱化し,その結果,保育園・幼稚園(こども園)から大学まで,教育はますます弱体化してきている.公立の入試まで民間に丸投げするに至り,これは「亡国への道」である,と内心憂いていたが,本号で特集されたインクルーシブ教育分野ですら「公から民へ」の方針が貫徹してきているのに非常に驚いた.「亡国のゴール」が見えてきているのではないかとすら思ってしまう. (福井支部・小倉久和)

2023年9月号 近藤真理子「不登校児童生徒の増加の背景とインクルーシブ教育」を読んで

近藤論文の指摘から,不登校児童・生徒が増加しているきっかけの半数が,無気力や不安に占められている点について,その原因にコロナ禍の影響やいじめを含む人間関係もあるが,校則の厳しさもあるのではないかと思った.また「発達障がいがある子に対して支援学級で学習させれば支援をしたということにはならない」と指摘にあるが,私も同じように障がいのある子が必要としている支援を理解し,生徒同士で助け合いながら学習に参加できるようにしていくのが大切だと思った.だからといって無理やり教室で授業を受けても本人にとっては辛い苦しいと思うかもしれないのでその配慮も必要だと感じた. (大阪支部・黒河一歩)

2023年8月号 下田正「核兵器とは―文系学生たちに語ってきたこと」を読んで

本論文が指摘しているのは,核兵器に反対している学生の核に対する知識のなさが問題ということだろう.こういうことは,核兵器に対する知識ということだけでなく,いろいろな分野でも取り上げられる必要があるのではないだろうか. 物事を解決していくためには,熱い心だけではなく解決できるための冷静な頭がいる.まさに,「知は力である」ということを忘れてはならないことを論文は示唆している.

(三重支部・菊谷秀臣)

下田氏の書かれたものはよくできているが,ヴァイツゼッカーの評価についてナチスドイツの外務次官の息子ということだけでは誤解を生む. 『自然』1977年2月号「ハイゼンベルクの物理学」p37,『数理科学』2012年9月号 特集ハイゼンベルクなど参照.言うまでもなく『部分と全体』(みすず書房,1974年)は必読文献.中でもp.350「政治と科学における論争―1956―1957年」. 西独の核武装化に反対してハイゼンベルクらとともに最も中心的に運動したり,父の評価についても,弁護の意見書も評価されるものがある.

(愛知支部・牛田憲行)

第16回オンライン読書会「核兵器とは―文系学生たちに語ってきたこと」に参加して

私も数年前に小さい私立大学の教養教育の教員をしていて,大学の教養改革のころは教養教育学会(後の大学教育学会)に参加して,「あるべき大学教育とは」などの大学教育について考えていました.しかし,その後改革の名のもとに,教養教育は軽視され,縮小されていったように思います.勤務していた大学でも少子化のもとで大学存続のために,知識詰込み,資格取得重視,国家試験中心の専門学校化していったように感じます.ぜひ大学の教育や学生の変化などについても特集してください. 数日前のNHKのクローズアップ現代で広島の平和教育の資料からはだしのゲンをはずしたことについて放送していましたが,教員に取材した中で,あえて教育委員会の方針に反対しないと言っていたのが気になりました.岐阜支部ではかつては高校教員の方もJSA に参加して民主的な教育活動に熱心でした.現状はよくわかりませんが,今は個々の教員が多忙の中ばらばらで,上に管理されているのかなあという印象を持ちました.そういうことが,高校教育にも影響しているのではないかと読書会を聞いて思いました.

(岐阜支部・太田和子)

2023年7月号 特集「天文学・宇宙物理学30年の進展」を読んで

今号の特集のタイトル「天文学・宇宙物理学30年の進展」で難解であることが予想されたが,読んでみて改めて,本特集論文の多くは『日本の科学者』が想定していると思われる読者層(評者も含めて)にはなかなか理解が難しく支持が得られ難かったのではないかと思われた. 評者は曲がりなりにも学生時代は「物理学」を専攻してきたし,宇宙論も関心があった分野で,専門の物理分野を離れた後も新書などの解説はいくつか読んできている.この30年の宇宙物理の,コンピュータ科学・技術の発展と宇宙論的精緻化に支えられた進化には目を見張るものがあるし,本特集でもそれを実感した.しかし,本誌の読者に寄り添った視点が薄い気がするのはいかがなものか.過去半世紀にわたる生物学や情報科学の進展・進化は凄まじいが,それらに比較すると宇宙分野はやや身近さの点で異なる気がする.本誌の特徴に沿って,もっと読者に配慮した内容,特に記述の工夫,が欲しかった.図表も,論文からの引用ではなく,もっとわかり易いものにする必要があったのではないか.本特集は,興味深い分野が選ばれたと思うので,一層このようなことが望まれるのではないか.

(福井支部・小倉久和)

原発汚染水(ALPS処理水)の海洋放出について

岸田首相は,国内外でIAEAから原発汚染水(ALPS処理水)は「国際安全基準に合致」していると喧伝している.汚染水の海洋放出を危惧する者としては「どうすればよいのか?」研究者の意見を求めたいところだが,原子力市民委員会は,7月18日見解を発表した.「IAEAは,原子力利用を促進するための機関であるため,・・環境保護や人権といった観点からは必ずしも中立的機関とはいえない.IAEAは,海洋放出以外の選択肢について評価しておらず,海の生態系や漁業への長期にわたる影響を評価しているわけでもない」と批判している.更に,8月22日には緊急声明「関係者との合意を無視した海洋放出決定は最悪の選択である」を発した.そして,以前から主張していた陸上での大型タンクでの保管,またはモルタル固化による処分を選択すべきと提言している. 『日本の科学者』2014年1月号の本島勲論文は,「増え続ける汚染水を安全に保管」「汚染水を増加させている地下水の流入の抑制」が前提で,「地域住民・漁民の声,科学者・研究者の総意を結集する場」を求めていた.8月9日,JSA原子力問題研究委員会は「「海洋放出」に代わる「大型タンクによる陸上での保管」などの科学的な他の方法を検討すべき」と声明している.「科学的な他の方法」について,詳細な提言を検討すべきではないかと思う.

(東京支部・増澤誠一)

2023年6月号 若松倫夫「「行動する人々」を描き続けて」を読んで

いつも美しい表紙挿絵をありがとうございます.QRコードによってカラーで見ることができるというのは驚きでした(若い人には常識でしょうが).複雑なグラフは白黒ですと判別しにくいのですが,この手法を是非取り入れてほしいと思いました.

(岐阜支部・中須賀徳行)

2023年6月号浅岡美恵「気候危機と人権-気候危機を回避するための挑戦」を読んで

本論文で「イベント・アトリビューション」という手法を知った.統計学で,2つの集団に対し,同じ確率変数に対するそれぞれの分布の特徴を比較検討するとき,平均値や分散などの特徴量の異同を検定したりする.このとき,外れ値(異常値)はデータから除かれることが多い.イベント・アトリビューションでは,分布の外れ値の値や頻度などついて積極的に評価し,2つの集団間で差異があるか区別できるかどうか検定している(この場合は,非温暖化と温暖化のそれぞれの仮定の下でのデータ集団)ように見える.この理解が間違っていなければ,評者の知らなかった,外れ値を積極的に使う統計的検定手法として新しい手法のような気がして,非常に興味を覚えた.

(福井支部・小倉久和)

2023年6月号中嶋哲彦「教育基本法「改正」の認識論と解釈論――民主教育のための戦略」を読んで

教育基本法は,改定されてしまった.教育基本法の悪くなった面ばかりがクローズアップされることが多いのは事実である.悪くなったことを批判する論考は多く存在する. しかし,本論文では悪くなったから全く価値がないというだけでよいのかという問題提起をしているのだ.これは,私にとって意外な観点であったし,考えさせられるものであった. 著者は,新教育基本法を逆手に取って,民主教育を推進していくにはどうしたらよいのかという問題提起をしている.この見解は,新教育基本法の件ばかりでなく,いろいろな場面でも必要だ. そういえば,著名な心理学者のアドラーの「大切なことは,何が与えられているかということではない.与えられているものをどう使いこなすかだ」と言っていた言葉を思い出す. 教育基本法は変えられてしまって,やや反民主的になった面はあるだろう.しかし,その使い方によっては私たちの武器ともなりうるのだ. 本論文は,「新教育基本を,我々が望む方向へと活用しようではないか.」と力強く呼びかけている.教育を法という立場から論じるにあたって優れた内容をもっており,それゆえ教育に携わる人々の指針となることは間違いないだろう.

(愛知支部・菊谷秀臣)

2023年5月号 特集「民主主義」の基盤としての地域アーカイブズ」を読んで

「小樽運河問題-解けない疑問」は知らなかった事が多々あり,さらなる事実の発見だった.学生時代寮の友人らと夜中に札幌を出て朝焼けの小樽着,港で揚げたてのかまぼこに舌鼓を打ち,小樽運河にもよく出かけたものだ.結婚して東京に住んでからも帰省時には何回も子連れで運河やガラス工房などを訪ねた. 親友の画家,佐藤善勇さんは1970年後半から足しげく冬の運河に通い,解体されるかもしれない運河の製缶工場を描き続けた.2020年11月27日の北海道新聞夕刊は見開き2面で『佐藤善勇 私の「小樽運河愛」』を特集した.私の書斎の壁面には佐藤さんから譲り受けた「小樽運河の製缶工場」と題する油絵が架かっている. 長年にわたる市民団体の頑張りで既定の道路計画が中止され保存された小樽運河,運河のない小樽は考えられない.いま,神宮外苑の無謀な開発が進められている.ノッポビルが林立する外苑は想像できない.

(東京支部・橋本良仁)

2023年4月号 特集「科学を戦争の道具にさせないために」を読んで

政府の軍事研究,情報統制は,先端技術に焦点が当たっているかに見えるが,先端技術のみが軍事利用されるわけではない.小生は,放牧地における牛を加害する吸血性アブの発生と周囲の植生との関係を調査したことがある.周囲の植生からアブの発生をある程度推定できる.もちろん,生物多様性の解明や放牧牛の被害軽減のためである. しかし,このような調査も,軍事と密接な関連がある.国内でもアブの大発生によりダム工事がほとんど中止状態になった例があるように,アブの発生は,人の野外行動に甚大な影響がある.アブが発生するような林地や草原で軍事行動を展開するには,アブ対策は重要な要素となるだろう.アブの種類は,地域ごとに特徴があるので,それぞれ地域での綿密な調査はことさら必要となる.とはいっても,極東地域では共通する種は多い. アブの生態解明は,このように軍事作戦と直結する.実はこれに気が付いたのは,日本の最も高名なアブの分類学者が,陸上自衛隊衛生学校に所属していることを知った時だった.うかつであったが,なかなか気づけない.現代の戦争は,総力戦で国のすべてを動員し遂行する.それに抗い阻止するのが,市民そして科学者の役割だ.そのなかで『日本の科学者』の役割は大きい.

(茨城支部・森本信生)

2023年4月号特集「科学を戦争の道具にさせないために」を読んで

軍事研究への研究者の動員体制の整備,米中の経済的・軍事的対立を背景にした経済安全保障制度の導入など,最近の日本政府の動きには危機感を持っており,特集論文執筆者,河村豊さんのお話を聴いてみようと,オンライン読者会に参加しました. この問題では,第二次安倍政権以降の動きが激しいと記憶していましたが,河村さんの報告で,2000年代初頭から動き(現時点から見れば助走だったと言える)があったことが指摘されたので,質問し詳細な回答をいただきました.そういう流れがあって,第4期科学技術基本計画(2011年~15年)に「安全保障」が明記されたのだと再認識しました. 軍事研究と研究者・技術者倫理も話題になりました.研究開発は究極的には人々の幸せのためという位置づけは漠然と共有されていると思いますが,国家間の対立があり,現実に戦争など軍事行動で人命が失われているもとで,自分の研究がどこでどう使われるのか,以前よりも切実なテーマになっているのではないでしょうか.皆さん指摘されていますが,大学など研究現場で議論されることが大事だと私も思います. その際,国家の論理や企業の論理の枠内だけで考えるのではなく,学術の論理あるいは基本的人権と民主主義などを対置させ,それぞれの論理の間の協調や対立を確かめながら議論すると良いのではないでしょうか.この点で,学術会議の2017年声明は重要な示唆を与えてくれていると思います.

(東京支部・鈴木剛)

2023年4月号特集小金澤論文「日本の軍事力強化の方針とその危険性」を読んで

米RAND研2021年報告に岸田政権が急対応したのかと思って支部読書会で取り上げたが,その後,24総学の同著者による同タイトルの報告で,7月の防衛白書で防衛3文書の改定が予告されていたこと,および,その安全保障の枠組みを安倍元首相が唱導した「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)であることを知り,未来工学研究所の2011年度以降の年次報告を調べたら,安倍内閣下の外務省の補助金による委託研究が2017?19年度,2020?22年度と続き,それらの成果報告書が防衛3文書改定に直接つながっていた.今の米中対立に煽られた憲法無視の愚かな軍事的対応は,安倍内閣がその方向に大きく舵を切り準備が重ねられていたのだ.未来工学研究所については知らなかったので,人脈等も含めてもっと調べる必要を感じた.

(京都支部・大倉弘之)

新自由主義と軍事大国化

5年で43兆円および敵基地攻撃能力という軍拡は,何によってもたらされているのか.戦後日本の大衆民主主義は自民党政権を変えることはできなかったが,安保闘争によって軍事的小国主義が刻印された.1990年代以降の大転換を背景に,世界的な市場秩序を新自由主義的・権威的に維持するために,対米従属と軍事大国化が強化された.現在,米中対立を背景とした日米同盟強化路線の延長線上で,戦争法および敵基地攻撃能力,改憲への動きが生じている.国鉄解体,総評・社会党ブロックの解体,無党派層の大量創出,小選挙区(比例代表並立)制,自民党幹事長権限強化がこの動きを支える仕組みである.しかしそれだけで,これだけの「暴走」が説明できるのだろうか?

(東京支部・佐藤和宏)

Fermilab,CERN での長年の巨大加速器による国際共同研究を通して

4月号坂本論文の見解に大いに賛同する.参加研究者の出身大学とか所属大学とかよりも,その研究者の役割が一番重要であり,巨大研究組織の民主主義の原則が一番大切であることを身をもって体験してきた.「軍事的安全保障研究」や日本学術会議への政治介入等が顕在化してきた情況において,研究・学問の自由の本源的意義から今日的情況が多面的に批判・分析された本号は,時宜にかなった特集となっており,おおいに学ばされた.

(愛知支部・牛田憲行)

2023年3月号 特集「心理学から考えるジェンダー平等と平和」を読んで

さまざまな場所においてジェンダーバランスの偏りを感じることがあります.社会に居場所をなかなか持つことができないひきこもり当事者同士が交流できるよう設定された場所でさえ,男性が多数派で,女性が社会や家庭と同様に居心地が悪く,安心して参加ができないという話も聞きます.(必ずしも性別のみが理由となっている訳ではないのかもしれませんが)ひきこもりの子どもがいる親同士の交流会では,母である女性が多数であるようにも感じます.子育ての責任は母親であるという風潮がまだ強いのかもしれません.

公的な支援では,多くの場合就労支援という方法で社会参加を促す(居場所作りもその一環として)ということが多いと思います.女性の就業率が高くなった現在の社会の中で,男性のほうがひきこもりの数が多いという点について,男性が進学や就職から逃避する(一方,女性は家庭にいて家事をしているのだから,家にずっといても特段の問題はない)という,男性に働く性のプレッシャーを与えていると見ることができ,そこにジェンダーの影響を感じます.

(京都支部・井上啓)

ジェンダーに関して議論することは難しい.ジェンダーとは何か,という問いは,ジェンダーに関する運動がえてして対立的になってしまうということに結びついていると思う.

そもそも性の在り方は多様である.セックスを自然の性差であるとし,ジェンダーはそれを否定すべく,社会的な性差と掲げた.しかし,ジェンダー研究の発展によって,むしろセックスそのものも作為的な「自然」であって,そこに社会構築性が指摘されるようになった.また身体は男性・女性に分類できないものもあり,性自認は身体的性差に必ずしも一致せず,さらに性的指向は異性愛・同性愛以外にもある.セクシュアリティの議論はものすごく複雑だから,共通の認識を持つのが難しい.

同時に,運動をするとなると,運動としての立場を決めて,問題をカテゴライズして認識することになる.それによって,多様性が縮減・否定される側面がある.政治的に振る舞うことで,本来は合意できるはずなのに,対立的になってしまうということが起こりうる.

(東京支部・佐藤和宏)

松波知子「身近な暴力が戦争につながる」を読んで

分かりやすかった.性暴力が,戦時下・紛争下で,偶発的に起こるのではなく,なんらかの意図が働いて,権力関係の問題として生じる,ということが指摘されている.おぞましいけれども,現実にあるんだなと思った.ノーベル平和賞をとった,女性支援をしていたお医者さんがいたことを想起した*.親密な関係における暴力に関し改めて数字を見ると,男性も被害があるけれども,女性の被害が多い.

(*https://www3.nhk.or.jp/news/special/nobelprize/2018/nobel2018_01.html)

国際的な流れでは,戦争の中での被害をより大きく受けるのは女性である.だからこそ,女性が紛争の予防や解決,平和構築,平和維持に参加すべきだ,というのは国連安保理でも決議されている.国連の軍縮担当が女性であるというのも,その一つの象徴だと思う.90年代に虐殺のあったルワンダでは,その後,女性の政治参加を重視して,6割ほどに女性議員比率を増やすことで,政情安定化につながったという評価がされている.そこではジェンダーと平和という観点から取り組まれていると思う.

(東京支部・塚田幹人)

2023年3月号 市村正也「水素エネルギーと地球温暖化対策」を読んで

「水素の利用法」の章では,燃焼,燃料電池,水素製鉄が紹介されている.燃料電池の電気エネルギーの変換効率が4~5割程度というのは意外と低いのだと感じた.「水素の製造法」の章では,水素ガスの主な生成方法として,化石燃料から取り出す方法がいくつかあることを初めて知った.しかし,これらはCO2が出てしまうことと引き換えにする必要がある. 「水素利用のエネルギー収支とCO2排出」の章では,化石燃料から水素を製造(最も高く見積もってエネルギー効率が70%)し,これを燃料電池で利用すると,CO2の排出量が増えてしまうという大変ショッキングな内容だった.再生可能エネルギーで発電した電力を使って水を電気分解すればCO2は出ないが,これを利用する場合でも,種々のエネルギー効率を考えると得策ではないということであった.

(栃木支部・荻原明信)

2023年2月号 津田敏秀・頼藤貴志「寝屋川廃プラスチック処理工場周辺の疫学調査結果―環境公害問題における公的機関の機能不全」を読んで

寝屋川市の廃プラスチック処理工場が2004年に稼働し,揮発性有機化合物により多数の市民に皮膚粘膜刺激症状などの被害が生じた.行政は岡山大学や住民などの科学的調査結果を無視し,裁判所や公害調整委員会なども調査結果を否定したことにまず驚いた.科学的根拠に基づく結果でも,日本の公的機関は結果を否定し,環境調査など実施しない行政の無責任な態度は今後の教訓となるであろう.なお,寝屋川の件について行政や裁判所などは何も調査せず,津田らは食品衛生法などを参考に調査し,大気汚染公害についても食品衛生法を参考に分野ごとに法制度を整備すべきと提案した.公害問題による人体影響が想定される場合,どのような調査が行われるべきか日本の法律では定められていない.

このように,今回の疫学調査の経験は我々に,様々な教訓を与えている.同じ2月号の長野晃「寝屋川廃プラリサイクル公害の概要」は状況が時間の経緯とともに記載されており,合わせて読むと理解しやすい.

(兵庫支部・田結庄良昭)

2023年2月号 特集「プラスチック問題を考える」について

寝屋川では地元住民の反対を無視して操業を始めた再生プラ工場が予測通り一大環境汚染源と化し,住民は操業停止を求めて苦戦を強いられ続けているとのこと.プラごみ排出者の一人として残念である.

水越論文を入れると4報5人の研究者の方々が,調査結果を報告して下さっているが,大変な作業だったと思う.プラ問題は私たち現代人にとっては「因果応報」だが,大変なのは「因果を追う方」である.

逆転層による夜間の汚染物質停留も恐ろしいが,それが拡散されていくことも脅威だ.人々が毒ガスに脅える日々を強いられることになるので,これは人権侵害である.イ社が操業を強行したのはプラ再生事業にそれ相応の成算があったからなのか.住民被害を認めない態度からは,地球環境保全のためにプラごみ再利用を目指したとは思えないのだが.住民の訴えを却下した法関係者にも異議を唱える.(もしや,科学的な報告が理解できなかった? 彼らも当事者になれば,被害者として闘い始めるだろう.世界の見え方は立場によって異なる.)

車,航空機からの排気ガスに加え,プラまでもが新たな大気汚染源となった.プラスチックが地球全体の化学汚染源と化すことをプラスチック開発当時は全く予想できなかったのだろうか.

(東京支部・中嶋由美子)

2023年1月号 「科学技術コミュニケーションとシチズンサイエンス―専門家政治と民主政治の断裂を越えるために」を読んで

「科学の成果が市民の日常を左右するようになって久しく,またその影響は日々より甚大になっている」というのはまさにそのとおりだと思う. 専門家政治と民主政治についての著述も考えさせられた.多くの庶民があまりにも自然科学に疎いなら,それは民主主義の危機に陥ることになるだろう.

この論文で,楽しさを強調しているがこれが本質ではないだろうか.大学を出てしまえば,あるいは理系でなければ高校をでてしまえば,自然科学と全く無縁だということになってしまいかねない.

最後に,研究に参加するということに触れられている.これは大切な視点であるが.私はそれ以前での段階で問題だと思う.原発を例にとるならば,裁判官が全く自然科学を知らなかったらまともな判決が下せるだろうか.統一協会を例にとるならば,科学的な知識があればインチキ宗教にのめり込むことはなかったのではないだろうか.国民に必要なことは科学的な高度な知識ではない.基礎学力があまりにも欠如していることが問題でなないか.

(三重支部・菊谷秀臣)

2023年1月号 特集「市民のための科学コミュニケーション」を読んで

私は学問的なサイエンスカフェそのものには興味がありませんでしたが,今回の特集を読んでサイエンスカフェのあり方について改めて考えさせられました.

私は昨年,佐渡島でサイエンスカフェを5回開催しました.佐渡の森林や植物の話題が中心で,1時間ほど私がプレゼンをして意見交換をしていますが,どちらかというと市民向けの情報提供(勉強会)で意見交換が少ない状況です.私からはプレゼンの途中でもいいから質問やお互いのディスカスをと催促していますが,一方的になりがちです.場所は一般のcafeを借り切って,平日の夜の開催です.参加者は年配者が多く,エコツアーやジオガイドの参加が特徴的です.毎回,10名程度の参加者で固定客は半数ぐらいで少しずつ入れ替わっていきます.参加費の中にドリンク代を含めているので,カフェにとっては短時間でまとまった収入になっていますし,時には新聞での告知もありますので宣伝にも一役買っているようです.

開催の情報はカフェのSNSや私のFacebook,これまで参加した人へのDMです.カフェにはプロジェクターやスクリーンが元々設置されていますので,パソコンさえ持っていけば気軽に実施をすることができます.参加者にできるだけ関心を持ってもらおうと,樹の枝や鹿の角など話題と関係するものを持っていきます.

1月のサイエンスカフェは,季節に合わせて雪と植物というテーマで準備していましたが,昨年末の大雪で佐渡市では1週間以上の停電が続きました.その原因が,タケ林の倒木が大きな原因とされていました.急遽,これもテーマに加えて準備をしました.話題がホットであったためか30名もの参加者があり,意見交換も活発に行われました.SDGsの島,佐渡島(SaDoGaShima)からの情報提供でした.

(新潟支部・崎尾均)

2023年1月号 伊藤久徳「「弱者」を主語に」を読んで

非対称関係Ⅰと同Ⅱという2分類が興味深かった.非対称関係ⅠのSC(Science Communication) と教育(初等中等教育と大学教育)が同じ範疇であるという指摘は少々気になった.「教育」における教師・教員と生徒・学生の関係を上下関係・強者弱者関係と位置づけることに違和感があるからである.

評者も「人材」,「人材育成」などという言葉を使うたび,何かもっと適切な言葉は無いのか,という違和感を持つ.筆者はこれに対して「人の育ち支援」を提案されている.和英辞書などには parsons of talent, human resources,manpower,あるいは,cultivation of human resources,training of personnel などとある.これらは,評者の持っている「人材」「人材育成」の語感とはかなり異なっている気がする.「教育」とは何か,「人材」,「人材育成」とは何か,浅薄な知識しかなく困惑している状態である.

(福井支部・小倉久和)