今年も,日本は環境NGO「気候行動ネットワーク」から「世界で一番化石燃料に公的資金を拠出している国」として化石賞を与えられた.日本政府の脱化石燃料に背を向ける姿が世界の市民にも歴然だったようだ.12月号の特集の中で,島村論文は石炭火力に執着する日本政府の姿勢を浮き彫りにしている.そこで全国の石炭火力でアンモニアを20%混焼するだけで世界の全貿易量ほどのアンモニアが必要になるとは驚きである.
確かに政府の脱化石燃料政策はお粗末でごまかしが多い.政府は,世界が2030年までの期間に総力を注いで取り組まなければならない脱火力発電については横目で見ながら「火力発電を主要な供給力であり再生可能エネルギーの変動性を補う調整力」だとし,2030年時点でも石炭火力の比率を19%レベルで保有するとしている.しかし,これは主たる電源構成を再生可能エネルギー依存に向けてきっぱりと舵を切りきれないことの裏返しであり,原発への回帰が整うまでの時間稼ぎとも思える.
(栃木支部・宇田靖)
12月号の特集は「実効ある気候政策を迫る」である.従来の気候変動という言葉から,最近では気候危機という言葉を聞くようになった.「気候危機は待ったなし」だと.しかし,一般市民の中に“危機感”はあまり感じられない.気候危機は核戦争よりも確実で悲惨なものなのかも知れないが,それでも“危機感”が浸透しないのは,核戦争に比べ悲惨な状況を想像しにくいということではなかろうか.すなわち,私たちはヒロシマ・ナガサキで核戦争の悲惨さは充分学んでいる.しかし世界の平均気温が2℃上がると具体的にどのような状況になるのか頭の中にイメージが描き切れていない.
今回の特集でははじめに編集委員会により,気候危機をめぐる国際的合意や「日本の科学者」のこれまでの取り組みがまとめられ大変分かり易い.QRコードによるカラー図版表示も有効である.温度上昇を抑えるために必要な温室効果ガス排出削減目標もよく理解できる.しかし,この目標が達成できなかった場合はどのような危機的状況になるのかをもう少し具体的に示して欲しかった.
島村論文,市村論文ではアンモニアを火力発電に使うことの理不尽さが明示された.また和田論文では蓄電池変電所・蓄電所の有効性・重要性が実証された.これらは正に特集のまえがき「気候政策に科学を」にふさわしい論文である.
(東京支部・大松重雄)
島村論文では,脱石炭火力政策の問題点が述べられている.文中で,いつどの程度実現するかわからないCCS(CO2回収・貯留)の導入,との指摘があり,よくわからないので調べたところ,日本の科学者2020年9月号の「言葉の玉手箱」に人為的CO2除去手段として様々な問題点が要約されていた.和田論文の,再生可能エネルギーを生かし切るために蓄電池システムを導入すべし,という指摘は全国規模でも検討されるべき重要な提案だと思われる.
角田・竹本論文では,エネルギーの地産地消を目指して市民主導の取り組みが紹介され,企業,市民運動,消費者が連携し,電力エネルギーが市民の管理できる真の意味での公共財に生まれ変わるという展望を描いている.この方向での発展系が,『人新世の「資本論」』(斎藤幸平著)で紹介されているスペイン・バルセロナの気候非常事態宣言に至る取り組みと思われる.是非このような国際的に優れた経験を特集で取り上げてほしい.
(神奈川支部・北山宏之)
『日本の科学者』12月号の特集「実効ある気候政策を迫る」は,時宜に適った好企画であった.日本政府の(脱)石炭火力政策を扱った島村論文を,国際的な気候変動対策に関する編集委員会の巻頭論文や,アンモニア燃料に関する市村論文とあわせて読むと,残念な現実が見えてくる.島村氏は,アンモニアを混焼するのは石炭火力延命の口実としか思えないと結論づける.
もちろん,パリ協定,グラスゴー合意,気候変動に関する政府間パネル(IPCC)なども,万全でない.2点だけ指摘すれば,パリ協定が依拠するINDC方式は,温室効果ガス削減目標をトップダウン的に割り当てる京都議定書とは異なり,各国の申告する目標をボトムアップ式に積み上げる.聞こえはよいが,下からの自発性に頼るやり方で遠大な目標を達成できるのかという疑問は残る.さらに問題なのは,気候変動対策のためにこそ原発推進という論者が,IPCCの有力委員の中に少なくないことである.今や,CO2を出さない原発というのが原発推進派の最大の謳い文句であり,この動向を見誤ると「原発=エコ」言説を論破できない.
すなわち,IPCCやパリ協定などの国際的枠組みも限界を抱えているが,それに照らして「さえ」日本の環境政策は貧弱ということである.ではどうすればよいか.世界(特にアメリカ)における気候訴訟に関する大坂論文や,四国を中心に実践例を紹介した和田論文と角田・竹本論文は示唆的である.私個人的には,原発とワンセットのものとしてよいイメージを持っていなかった揚水発電が,時間的変動の大きい再生可能エネルギーのバックアップ機能を持ち得るとのことで,認識を新たにした.揚水発電や蓄電所にしても,自然環境への負荷を伴うため,どのように使っていくかは脱炭素社会を構築する上で重要な論点になる.
本特集は総花的で「まとまりがない」との印象もあるかもしれない.だが「まとまりのなさ」こそが,専門分野を超えた学際的思考を要求する環境問題の特徴なのである.学際研究は口で言うほど容易ではない.だからこそ,専門分野を超えた対話の努力と,そのための「場」が必要なのである.
(福井支部・小野一)
リニア中央新幹線計画は問題だと思っていましたが,これほどまでとは知りませんでした.東京と大阪間の移動時間を短縮するのに,なぜ膨大な財政投融資資金を融資するのかという程度の認識でした.桜井論文から技術の海外輸出をもくろんでいることがわかりました.オンラインによる会議の日常化で出張が激減しており,今後その傾向が強まるわけで,リニアの必要性は説得力を失うでしょう.
それにもかかわらず強行するのは許されません.南アルプスや大井川の水問題,「明かり区間」の騒音,シールドマシンによる住宅地の地下トンネル,残土処理など多くの問題があり,各地で訴訟が行われていることが所収の各論文からわかりました.「行政訴訟の99%は住民が敗訴する」(樫田論文)そうですが,世論の動向が裁判に影響することもあると思います.
かつて作曲家の中田喜直さんが禁煙権を提唱した時「変わり者」扱いされていましたが,受動喫煙の被害が知られるようになると潮目が変わりました.巨大な税金が投じられた国策が途中で断念された例として干拓事業があります.「事故待ちジャーナリズム」に取り上げさせるには,インスタ映えする取り組みを拡散することも有りかと思います.
(大阪支部・井ノ口淳三)
多角的にリニア新幹線計画の問題点を洗い出した良い特集だと思う.まえがきの,「分散型国づくり・格差是正」で若干触れられていたが,リニア新幹線が仮に完成したとしても直接恩恵に与れず,工事費だけをむしり取られる地方都市の立場に直接立った記事があっても良いと思った.
(沖縄支部・大倉信彦)
リニア新幹線についての反対運動が一定の成果をあげてきたように思われる.しかし,その一方でこれを歓迎している国民もまたいることを忘れてはならない.この問題は,福島原発事故のことを思い出させる.事故が起こる前までは,安全神話がまかり通っていた.しかし,危険であると警告していた人々はいたのだ.その意見は生かされず大惨事になってしまった.今回のリニア新幹線が再び福島のような事故を起こすことはないと言い切れるのだろうか.私は疑問を持っている.
(三重支部・菊谷秀臣)
非常に面白かった.物理・化学などの自然科学の世界における非常に簡単な確率論的モデルのモンテカルロ・シミュレーションにより,さまざまな状況が,擬似的とは言え,再現できるというのは,経済・社会分野でも科学的な分析ができる可能性を示していると思う.フリードマンらの経済理論が経済を科学にしたという評価でノーベル賞を受賞したが,かの理論は実際には非常に単純化した理論に立脚しているように思っている.ナオミ・クラインのショックドクトリンで示されているように,「理想的な経済活動」が民主主義的制度を疎外・排除しながら現在も進行中である.歴史的な現場で何が起っていたのか,現在わが国では何が起こっているのか,現在の後進国化が進む閉塞状況をどう脱するか,未来の展望はどうか,このようなモデルをもとに再現・予想できるかもしれない,と妄想が膨らんだ.
(福井支部・小倉久和)
本論文では3つのことに注目した.その1つは,災害に対する事前復興を意識した自立分散型ネットワーク社会への展望である.災害に際して,起こった後のことをしっかり見据えて行動することの大切さを知らされた.災害では,予想されないことが起こる.だからこそ,いろいろな場面を想定して日ごろから考えておくことが大切であろう.
2つめは,土中環境の改善についてである.こういう観点から考えたことはなかったので,内容がとても新鮮だった.
3つめは,文明が進めば進むほど被害が大きくなるという記述であった.こういう考え方は,以前から気にかけていたので納得できた,などいろいろ考えさせられた論文であった.
(三重支部・菊谷秀臣)
コロナウイルス禍の休校明け,先生は子どもに勉強が遅れているから勉強勉強と言っていた.しかし,子どもはずっと友だちと遊べなかったから,いっぱい友だちと遊びたいといったという.それを聴いた先生は,「ほんとやな,ごめんごめん」と言葉をかけると子どもに笑顔が戻ったという.子どもの声を丁寧に聞き取り,不安や悲しみ,小さな喜びに共感してくれる先生が友だちの存在が今ほど求められる時はない.小学生だけではなく,大学生もそうだ.だから土佐さんは作文に自分の気持ちを正直に書かせて,子どもの表現から子どもの気持ちを読み取ることが大事だという.クラスの子の書いた作文をクラスの子どもたちに共有したり,学級のお便りに載せてきたそうだ.それを読んだ子どもや保護者はその子をかわいそうだという捉え方をし,その子のために手を貸すなど協力的になった.作文は,子どもが口では表しいくいことも,字で書くことで正直な気持ちを表しやすくなる.先生はその作文から子どもの気持ちを読み取ることが大事だと言うことを読み取った.
(大阪・黒河一歩)
様々な分野の方々がそれぞれの視点から高度な科学性をもった反対論を展開した11月号であった.理系的素養がないため理解できない箇所も多々ありましたが,どの論文も文章は読みやすく,主張も明確.阻止への強い意志も伝わって来ました.中には存じ上げている方も数人おられ,その方々のお顔を思い出しつつ,時間はかなりかかりましたが,納得と共感が連鎖し,一気に通読しました.計画以来の経緯がわかり,さまざまな疑問が解決され,次々に真実(リニアの非)がわかってくるので実に痛快でした.どんな推理小説よりもオモシロイ(語弊がありますが)そんな高揚感もありました.(と同時に同じ強さで推進側への怒りも)
日本国土の自然と生態系の破壊をこれ以上看過してはならないという環境保全の意志,安全性への危惧,不採算性の指摘など,科学者としての責任感が構築した学際的で精緻なリニア反対論.「言葉の玉手箱」と「読者の声」が外部化されるほどページ数が増えていましたが,読み進むほどに,まさに『日本の科学者』の真骨頂!本領発揮!と感動を覚えました.地球に寄与する情報を凝縮した11月号は「良い氣」を発してもいます.
(東京・中嶋由美子)
ひきこもりの当事者の手記とその解説を組み合わせたもので,今までに出会ったことのないタイプの記事として興味深く読んだ.ひきこもりの一例と理解するべきであろうが,本人と周辺の大人との関係性の重要さががよく理解できた.また著者の一人で解説者の近藤氏との信頼関係もうかがい知れた.
(沖縄支部・大倉信彦)
ひきこもりの類型は,森長さんの記述から,経済的な困窮している例,二つ目に本人・家族に経済的要因も含めてケアが必要な例,三つ目に束縛型のように整理できるのかなと思った.「子どもにとって居心地の良い学校」を再構築するとあるが,それは難しいのではないか.教員の人権もまともに保障されていないし,その中では子どもの人権もまともに保障されない.昔から管理教育がある.学校は,社会の縮図だとする理解がある(特別関係論).ここから,子どもは大人に従わせるべきだ,という振る舞い方がでてくる.学校が社会の縮図・反映でもあって,少なからずある現実を反映させている.
教員を増やすことも大事だけれども,社会的な事情を抱えることのできる専門的な対応者が必要ではないか.根本的な原因はずっとネオリベ的なやり方が,30~40年続いてきていて,競争主義的なものが染みついてしまっているから,いったんレールから外れてしまうと,戻れなくなってしまうことではないか.
(東京支部・土肥有理)
サリネンれい子氏の特集論文で,「hikikomori」が,zangyo, karoshi などと同様に,そのままで英語あるいは各国語で使われていることを知って驚いた.試しに wikipedia の英語版を検索してみると,確かにhikikomoriの項目が独立していたし,イタリア語やスペイン語でも,またロシア語でも,そのままの綴りで取りあげられていた.Wikipediaによれば「ひきこもり」はもともと英語のアメリカ精神医学会編纂の『DSM-III』におけるSocial Withdrawalという用語だったとのことだが,本特集でも触れられているように,日本での厚生労働省の定義を超えた「ひきこもり」の状況が,世界でも広がってきているのだろうか.
(福井支部・小倉久和)
9月号特集「社会的ひきこもりの人々の今日的課題」の論文執筆者,サリネンれい子さんをゲストに迎え,特集論文の概要と書ききれなかったことの報告のあと,参加者との質疑で議論が深められた.
スウェーデンの場合は,福祉国家として「税金を払ってくれる国民,民主的な社会の構成員」でないことは社会的損失であるという原理のもと,若者の就職・就学を支援するために,生活保護支援課,こどもと若者課などの地域行政,精神科医師,学校の特別支援担当,社会保険庁,雇用庁が連携する体制が敷かれている.これにより「ひきこもり者」の半数近くが社会に復帰している.
質疑では,スウェーデンとの比較により,ひきこもり者が非常に多い日本の問題点があらためて浮き彫りになった.家族が当事者の面倒を見るべき,自己責任だという意識,同調圧力の強さといった社会的・文化的な背景があることが共有された.また,移民の若者のひきこもりの問題は,日本でも意識されるべき課題であることが指摘された.
(編集委員・富樫幸一)
私は1980年代に千葉川鉄公害訴訟に取り組み勝利し,この時自然科学の側面から理論的な公害発生原因論などの解明に科学者会議に属する研究者の貢献は大だった.2011年の福島原発事故以来,千葉県で環境放射線強度の測定を続けている.河合弘之氏の「原発訴訟のパラダイムシフト」は,折しも原発事故株主代表訴訟で7月13日東京地裁が東電の経営責任を認め約13兆3210億円の賠償を命じた初の司法判断を下したことと重なり,タイムリーであった.しかし政府や規制委は原発推進政策を進め,トリチウム汚染水の海洋放出をしようとしていることは問題である.科学余話の老木成稔氏のカリウムチャネル,ナトリウムチャネルの話は表紙のモデル図とともに生体電流の仕組みを知る上で面白い研究の紹介であった.
(千葉支部・朝生邦夫)
2022年は沖縄の日本復帰50周年である.いま多くの沖縄県民の思いは「こんなことなら日本へ復帰するべきではなかった」である.7月11日投票の参議員選挙では,辛くも伊波洋一さんが議席を守った.運動した私たちの率直な気持ちは,今度は危ない,というものだった.ごり押しの日本政府による埋め立て工事は強行され,ゲート前で抗議する私たちを機動隊が強制排除し工事は進められている.本土からの支援活動もすっかりなくなり,県内の島ぐるみ会議の毎日の抗議動員も中止に次ぐ中止をやむなくしている.抗議の中心メンバーは75歳を越え,月曜から金曜まで毎朝辺野古の工事ゲート前に15名前後が集まるのが精一杯の情況が続いている.ロシアによるウクライナ侵略の痛みを,日本人の中で痛みと共に感じているのは沖縄戦体験を持つ沖縄県民だろう.しかし,昨年の名護市長選挙で見たとおり,日々の家族の生活のためには保育料を無料にし,給食費無料化,高校生までの医療費を無料にするという政府の県民分断策に,貧しさに耐えてきた名護市民の「背に腹は代えられない」という投票行動につながった.私たちは,たとえ一人になろうと諦めずにたたかう.もう一度,地元市民の平和への想いを全国で共有していただきたい.
(沖縄県・村上有慶)
かつて栃木県下都賀郡にあった谷中村は1906年強制廃村となり,藤岡町に合併させられた.多くの住民は近隣の町村に移住したが,一部の人々は県北や遠く北海道佐呂間に移住した.ただ一部は藤岡町の南端に新しい下宮地区を作って移り住み,子どもたちは田中正造の分骨埋葬地があった北川辺西小学校に通った.
その時の真意は想像を出ない部分があるが,下宮の有力F家の息子が戦後,担任から「お前は田中正造さんの慰霊式に出席してはいけない.」と言われ,式典の間中廊下で水の入ったバケツを持たされたという.そのためF氏はこれがトラウマとなって,以後田中正造関係の行事には参加しなくなったという.
担任の考えについて推測であるし,一般化も難しいが,敗戦まで天皇主権であったのが,新憲法により国民主権となって,F家のような権威はむしろ排されるべきだ,そのためには人民のために戦った田中正造の慰霊式にF家は排除されるべきだと考えたのではあるまいか.事実であれば当時の学校のシステムや考え方は批判されるべきものである.このような考えのもとの行動がどのような結果をもたらすかは,F氏のトラウマを知れば分かる.個々の人権を考えず,民主主義はあり得ない.
(栃木支部・高際澄雄)
最近の傾向として良くないなと個人的に思うのは,Society5.0,IT・IoTなどの話で,情報(科)の教員が完全に不足して,そのために,パソコン教室の先生を臨時任用してなんとか補っているという問題が指摘されていることだ.マスコミ報道などもあり,ある程度認知された.それはそれとして問題があるが,AIやIoTなどの技術的要請に,学校が前のめりになっていることに対し,それは学校がやらなければならない教育内容なのかと疑問を感じている.もちろん,子どもがパソコンを使えることはいいことである.しかし産業界から求められているから学校で取り入れようとし,さらにそうするにしてもあまりに計画性がないがために,人材の育成・調整さえ間に合っていない.その結果として,即戦力としての教員ばかりが求められることになる.
教職大学院の制度が新設され,大学院も含めた教職課程が考えられたにも関わらず,それが重視されず,結局,即戦力に飛びつく教員養成の実態になってしまっている.この論文や特集「学校教育における実践知を問う」全体を通して,上記のような教育政策の問題を再認識させられた.そのうえで,本論文の問題意識には深く同意する.
今回の掲載論文に加えて,用語の解説が示されているページがあった.このような,その分野に必ずしも詳しくない読者を,置き去りにしないよう配慮した丁寧な構成からも,親切さを感じた.
(東京支部・小泉洋樹)
ロシアによるウクライナ侵攻が続く中でプーチン氏が恐れていると言われている「民主化」が再び注目を集めており,私自身も民主主義とは何かを改めて考えている時期でもあったので,「現代民主主義を問う」というテーマはとても興味深かったです.
特に興味深かったのは,「原発訴訟のパラダイムシフト」と「高校生4人が選択的夫婦別姓制度の導入を求めて請願,宇治市議会が採択」です.前者は文理の壁を越えてよりわかりやすい説明をする姿勢が.後者は高校生が自分たちの力で一から活動を行ったことが,とても印象的でした.私は,講義などで気候変動や戦争,貧困などについて考えることが多いのですが,考えたことを行動に移すことのできない自分がもどかしくなることがあります.しかし,今回実際に行動を起こしている方々の記事を読んで,自分にも何かできるのではないかと勇気づけられました.
また,カリウムチャネルについての「科学余話」は,人間の体の面白さに触れることができ,楽しく読ませていただきました.
(大阪大学理学部・荒牧咲)
8月号は興味深い内容とわかりやすい文章で読みやすく面白かったです.存在は知っているけれど,詳しく知らなかったことについて理解が深まりました.例えばAAの具体的な状況,特に外国での状況についてや辺野古をめぐる各機関の動きについてなどです.また,IPCCを初めて知りました.新しい知恵と考え方を得ることができました.もっと世の中の動きに敏感になっておかなければならない,自らアクションを起こさなければならないとも強く感じました.
(大阪大学人間科学部・中塚優奈)
日大の林真理子理事長が就任の記者会見で,記者の「作家が大学の経営が分かるのか?」の質問に,彼女は「大学は儲けるところではない」と答えた.だが,今大学は利益を上げることを求められているのではないか.法人化以降,大学は,公的予算が減らされる中,自らの経営手腕が問われている.一方,「選択と集中」方針の下で国の希望する研究・学問には紐付きの予算が下りる.10兆円の大学ファンド,卓越研究大学,経済安保法等々.
視野を広げると,「理系重視」「一般教養軽視」「高校の国語教科書での小説軽視」など,目先のことだけを重視して(利便性),将来のことを考えない姿勢(基本的な考え方軽視)などにぶつかる.
国が考える「基本方針」に基づいて,強引に引っ張っていく姿勢に大いなる危惧を感じる.象徴的な事件は学術会議会員の任命拒否だと思う.一方,大学人が声を上げることが困難になっている.そして,庶民はそんなことに関心が行かない.『日本の科学者』でもあらためて「大学と学問の危機」の特集を希望する.
(新潟県・酢山省三)
本論文は,学習権に焦点をおいて論じられている.これはきわめて大切な視点である.論文は,不登校や登校拒否の問題点を最初に提起している.また,本論文からうかびあがる教育の問題点は,学習意欲に重点をおくか,知識の獲得,技術の習得に重点を置くかということである.これはある面において,対立する概念ではないだろうか.楽しい授業を追求すれば,場合によっては知識の獲得がおざなりになりかねない.しかし,知識の獲得に重点をおけば,学校の授業が楽しくない子が出現する.この2つをどう統一するかということである.
今,登校拒否(不登校)に陥っている児童生徒は20万を超えると言われている.これをこのまま放置してよいだろうか.筆者は,なぜ子どもは学校へ行けなくなってしまうのかという原因について,ただ1つ,それは学校が楽しくないからであると言う.
学習権も大切であるが,当面我々は,この膨大な登校拒否(不登校)児童生徒の問題を解決しなければならない.そのために,私たちは,面白おかしい教育ではなく,楽しい教育を目指す必要がある.孔子もどこかでいっていた.「これを知る者は,これを好む者に如かず.これを好む者は,これを楽しむ者に如かず.」と.学習権を保障するために,子どもの側に立った自主性を重視することの大切さを述べている.これが保障されてこそ,この問題は解決へと向かうだろう.
(三重支部・菊谷秀臣)
私自身,専任のポストを得るまでの道のりは長く苦しいものだった.当時(90年代)は,就職は指導教員の思し召しに期待するしかなかった.それに比べれば,今はWebで公募情報も得られ,多様なポストも用意されるようになっている.しかし,「改定労働契約法」の下,勤続10年を超えた研究者の無期雇用転換が始まる来年4月を目前にして,国立大学・国立研究機関だけでも非正規雇用の4500人がその直前にも雇止めにあう可能性があるなど,大きな問題になっている(先の通常国会では,国立大の研究力低下が,私立大学以上に深刻な非正規化の影響を示すものではないかとの質問もなされていた).
齋藤悦子論文「女性研究者の家庭生活―年齢別,世帯別の分析」にあるように,「仕事」か「生活」かというWLBの問題は,不安定雇用ではライフサイクル展望だけでなく,研究テーマの展望・計画自体も持ちにくくさせる.とくに20代・30代の女性研究者の状況は深刻だ.しかし,それ以上の世代でも,受けた支援の負担感や単身者のWLBへの配慮がないなど悩みはつきない(調査で50・60代の常勤者の話が聞けていないのは残念!!).
一方,研究という職業は,大なり小なり,正規のポストを得るまでは苦労や不安が高いことが共通項としてあるから,後輩の苦労にも思いを馳せやすい職場なのかもしれない.京都地区読書会でも「出産・育児に携わる場合は,任期の10年を延長できる規程を大学として作った」などの事例も紹介された.
上記論文に「先輩研究者の何気ないアドバイスがあったからこそ研究を続けられた」という語りもあった.研究者養成教育の早い段階で,若い研究者の「不安」を「希望」につなぐべく,こうした幅広いノウハウにまで触れられる機会・教育が提供される必要も感じさせられた(もちろん,科学技術・大学の情勢・政策の現状と課題をきちんと学べることが大前提だが).
(京都支部・瓜生淑子)
私は不安定雇用の女性研究者の一人です.4月号の特集を読んで,一口に不安定雇用の女性研究者といっても,分野や雇用形態等によってまったく状況が異なり,同じ大学にいても見えてこないものだと感じました.今回の質的調査は,大規模な量的調査では見えにくい具体的な実態を明らかにし,個々の研究者の状況をイメージしやすいものであり,大変意義のあるものだと思います.笹倉論文の中で,女性が研究者の道を進む上で周りの理解やゆるやかなネットワークに励まされたとありました.孤立しがちな環境の中で,仲間を作っていくことは重要であり,そのようなプラットフォームに科学者会議はなる必要があると思います.一方で,そのような理解のある指導者や同僚との出会いをある種の運に頼っていては,状況は改善されません.大学や研究機関において差別や偏見への対策をとり,また安定した雇用環境を整えることが重要であると考えます.
(広島支部・久米鏡花)
現役時代には工学部に所属していたこともあって,女性研究者の状況は理解できていなかったことを痛感した.しかしこの10年余りの大学における研究者の状況をみれば,特に若い世代,とりわけ女性研究者の環境はさらに悪化してきているのではないか.この間,大学は学内保育所の設置や研究補助員制度等で子育て女性の支援を行ってきているはずだが,その努力も報われていないのではないか.
ところで,先日公表された日本のジェンダーギャップ指数は146ヵ国中116位だったが,実は教育分野全体の達成度のスコアは1位である(ただし21ヵ国が同率1位.昨年は92位だったが).大学を含む研究者の環境はこの指標のどこに位置付けられているか分からないが,若手間研究者の置かれている環境からみても,研究者分野での男女格差は拡大しているのではないか.また,この格差状況は,日本における研究活動の劣化の主要な要因の一つではないか,とあらためて考えた.
(福井支部・小倉久和)
内容は本質を的確にとらえたものになっており,鋭いと思われた.こういう軍事研究の問題は,一面的に考えてはいけない.それは,科学が技術となって現れる時,平和にも戦争にも使われることが可能という面を持っているからである.
今日本の政治事情は,ロシアによるウクライナへの侵略が影を落としている.日本の大半の国民も,中国による日本侵略のシナリオを考えているかもしれない.軍事費を削減し国民の側にまわせ,などという議論は減少している.
だから,ただ単に軍事費に協力するな,とか軍事に関する研究をするな,と叫んでも国民の多くは耳を傾けないのではないか.多くの国民をひきつけるような,軍事研究反対の道筋をつけなければ国民から遊離しかねない.
また,軍事研究は秘密を必要とする.これは本来の科学研究と矛盾する.科学には自由や公開,公正ということがなければならない.これに反する科学研究だからこそ,多くの研究者は軍事の研究に反対しているのである.このことは,本論文の指摘しているとおりである.
そうだからこそ,防衛対策をどうするかという道筋を明らかにして軍事研究をどうするかということについて考えなければならない時代が到来したのではないだろうか.
本論文は,現代という時代を考える時大切な視点を指摘したきわめて重要な論文であったといえよう.
(三重支部・菊谷秀臣)
ガルトゥングは,安倍元首相を批判している一方で,集団的自衛権の一部行使は容認していると日本の新聞のインタビューに答えていた.軍学共同を進める上で大事なのは,書かれていたように,毒ガス開発したハーパー以来の,自衛のための研究だ,戦争が起こったら科学者が戦争に協力するのは当然だ,という主張である.金の出所が大事だというのはもちろんそうなのだけれど,なぜそれがダメなのか,自分と国家権力を同一視することがいかに危険なのか,という点の両輪で反対を進めていかないと,自衛だからいいだろうということを止められないのではないか.
(東京支部・土肥有理)
中富公一論文にも引用されている駒込武『「私物化」される国公立大学』(岩波ブックレット,2021)を読み,駒込さんのオンラインによる講演会にも参加し,国公立大学の学長たちによる独裁的運営の酷さに驚いた.かつて大きな民間労組で委員長を務めたり,立憲民主党・社民党・緑の党などで重要な位置を占めている人たちとの勉強会でも大学の変化について報告したばかりだったが,こうした変貌は国民にはまだ十分には知られていないと感じたので,今回の特集はとても参考になった.どうしたらまともな大学に戻せるか,市民と共に考えていく必要を感じている.
(岐阜支部・中須賀徳行)
「ブレーンストーミングやディベートの習慣の無い日本の学生には,ある事象に関して問題点を洗い出して討論するという習慣がなく,加えて,社会問題に関する関心も皆無であり,PBLチュートリアル教育でのディスカッションを成立させることには大きな困難が伴う」(p.23~p.24一部改変・省略)という著者の見解には,強い共感を覚えた.私も医学部教員であるが,医学部に入学してくる学生は複数選択肢から正解を選びだす技術には非常に長けているが,幅広い事象から問題点を抽出し,自分(達)で解決策を探し出す訓練をほとんど受けていないように見える.これは,著者が指摘する初等教育からの教育の在り方の根本的問題,特に大学入学共通テストなどマークシート式試験の多用が,悪影響を及ぼしているように思えた.
(沖縄支部・大倉信彦)
大学における労働組合の存在は,学問の自由・大学の自治を中心に据えて展開されねばならない.また,大学における労働組合は国民と広く結びあわなければならない.本論文では,大学入試についても触れられている.この大学入試共通テストが本当に必要なのかという気がしている.こういうことが大学の格差を助長しているのではないだろうか.これは結局,大学の平均化へと道を開き個性無き大学へと変貌していくように思われる.
大学に順位をつけるための共通テストを廃止ということは間違っているかもしれない.でも,大学の問題点の1つに入試問題があるような気がする.今大学ばかりでなく,組合の力が大きく損なわれている.今こそ,大学をはじめ,労働者の権利の砦である労働組合を強大にしなければならない.
(三重支部・菊谷秀臣)
4月号の科学余話を読ませていただきました.足柄の山林において30年以上の長期にわたってヤシャブシ林の動態を調査された佐々木園子さんの報告に感銘を受けました.調査を学生のゼミと一体化して行われたことは,教育上,大きな効果があったかと思います.また,調査を継続する上でのマンパワーにもなっていたのでしょう.専門的に見ても,非常に貴重な研究データですので,ぜひとも,専門的な学術雑誌に投稿されることをおすすめいたします.また,この調査を何らかの形で引き続いて継続されることも期待いたします.
(新潟・崎尾 均)
「言葉の玉手箱」の中での義務教育の説明で,これは国民の義務ではなく,国民の権利だとある.これは大切な指摘であり,本特集はこの観点で貫かれていてよかった.この特集で私が注目したのは,汐見論文と新田論文であった.他にも優れた論文があったことはいうまでもない.
まず汐見論文であるが,「戦後教育の概括」を15年区切りでとらえていてわかりやすい.このため,戦後の日本の教育の特性がよくわかった.幼児教育は世界的流れであるという.本論文は,「子どもを歴史を生きる権利主体=市民として見るということ」が大切なポイントであることがよく示されていてよかった.特に,学級崩壊についての小学校教師の報告は鋭い問題提起だ.「家で子どもが自由に自己の感情を表現できない抑圧されている子が,学校でストレスを発散している」との指摘は正しい.
新田論文は,子どもの表現活動がいかに大切かがよくわかる論文であった.吹出物ができていた子どもが,表現活動をした後吹出物がなくなったという記述に驚きながらも納得できた.表現活動を通してこそ,「子どもたちの中に「自尊感覚」「自己有用感」が育つ」との指摘は貴重だ.また,ステージ公演を成功させることができたのは,保護者参画の感染予防などきめ細かい対策ができていたことが大きかったということも重要だ.
この2つの論文に共通するのは,子どもたちの心の葛藤は外へ向かって表現することによって解決できるという方向性を指し示したことである.コロナウイルス禍では,子どもたちは閉塞状態に置かれてしまう.それは子どもにすれば,表現の自由の抑圧にほかならない.だからこそ,私たちは子どもたちに表現する機会を提供せねばならないと思う.子どもが自ら表現できることもまた,義務ではなく権利である.
(三重支部・菊谷秀臣)
1月号の林論文で,ドイツの小学校ではデモのやり方について教えていることに触れているが,それに関わってドイツの政治教育の内容について,自分で調べたことのある,大学進学を前提とするギムナジウムを中心としてお伝えしたい.まず,日本の政治教育の特徴としては,子どもの権利条約の中身が十分に周知されてないという問題点がある.さらに実践においても知識を「覚える」点が重視され,得た知識を実際の社会問題に照らして「考える」ことが妨げられる傾向が強いと言えるだろう.
ドイツでは,政治経済を学ぶとき,知識を蓄積することはもちろん,単元ごとにテーマが設定され,学んだ内容をもとに自分の考えをまとめ,議論をするという形式が重視される.例えば,貧富の格差の原因と,国家による介入をする場合,どのようなものであるべきか,基本的人権と基本法との関連では事例からどのような場合が基本に抵触するのか,極右が伸長する要因は何か,それを防ぐために何ができるのかといったテーマをグループで議論し,さらに各グループで出た提案のうちどれが最も説得的かを議論する,という課題が教科書に設定されている.
また,このような「正しい一つの答え」を見つけるのではなく,意見の違いを多様性として尊重する姿勢(1976年のボイテルスバッハ合意に基づく)に加え,政治教育に関するパンフレットや副教材が豊富なことも特徴として挙げられる.Das Parlamentという,連邦議会が週刊で発行している議会だよりが廉価で入手可能であり,2020年にはそこに付録として,香港の雨傘革命をどう見るかという連邦政治教育センターのパンフレットもついていた.このように,議会で誰が何を質問し,何が議論されているのかも日本に比べると見えやすい.さらには,連邦と各州にそれぞれ置かれている政治教育センターの出版するパンフレットや小冊子は無料もしくは3~5ユーロと比較的廉価で入手でき,政治教育の副教材としても使用ができる.教科書の内容はギムナジウムを例として紹介した.日本でも参考にすべきことは多いように思う.
(東京支部・土肥有理)
ロシア政府によるウクライナへの侵攻に対し,ロシア国内の科学者と科学ジャーナリストが軍事行動に反対する公開書簡を公表した.JSA大阪支部もこの声明に賛同し,オンライン署名を立ち上げた.日本国内の科学者や市民にも,署名行動による連帯を呼びかけた.3月10日大阪支部の事務所近くで,「戦争に反対するロシア人科学者・科学ジャーナリスト」と連帯する署名行動を実施した.Facebookの告知を見て駆けつけてくれた人,感謝していると言葉をかけてくれた若いお母さんもいた.オンライン署名は,大阪支部のホームページ. https://jsaosaka.jimdofree.com/
(今岡良子,大阪大学)
2月24日に始まったロシア軍のウクライナへの侵攻は侵略行動である.納得できる理由はない.国連総会では193加盟国中7割を超す141国がロシア非難決議に賛成していることにも現れている.ウクライナ内外への避難民は1000万人以上,軍事施設を攻撃といっていたが,教会・病院・学校が攻撃され,民間人が多数死傷するなど被害が出ている.また,プーチン大統領は核大国であることを誇示し,世界を威嚇しており,1962年のキューバ危機よりも危険といわれている.ロシアの前身の旧ソ連でも,東欧のハンガリー(1956年),チェコスロバキア(1968年)への侵攻が行われ,傀儡政権を打ち立てた.そうしたことをウクライナでもやろうとしていると思う.それは,東欧諸国を勢力圏として支配しても構わないという考え方が受け継がれていると解釈するしかない.ウクライナのことはその国自身が決めることで周辺国が影響力を及ぼすことではない.即時停戦して交渉により解決されることを望む.世界的に世論で包囲することが重要だ.
(東京支部・増澤誠一,2022年3月20日投稿)
なによりもまず一刻も早く戦闘を止めことが求められている.新聞,TV,ネット等には,ロシアとの戦闘を煽る情報に溢れ,暴力は果てしなく続く様相を呈している.世界世論が冷静に戦争当事者の両国にミンスク合意(ウクライナ東部地域に特別の自治権付与)に立ち返ることを迫ることが必要である.
(東京支部・東森朋秀,2022年3月13日投稿)
ウクライナの,防空壕に退避した人々の映像をテレビで見ていると,今は離れて暮らしている子どもたちや孫たちのことを考えてしまいます.東アジアの軍事的緊張を高め,日本を戦場にしかねない構想を口走る政治家が,ロシアのウクライナ侵略にこと寄せて,日本を軍拡に向かわせようとしているからです.
ぼくは,敗戦から10年目の1955年に,名古屋市南区桜本町の,戦前に建てられた三軒長屋で産まれました.小学校に入学するかしないか,とても小さいころ,年末の大掃除のとき,「ここに防空壕があった」,「この穴は爆弾の破片のあと」などと聞かされました.祖母は,近くに墜落した爆撃機のまだ生きていた兵士を近所の人たちが棒で殴り殺したこと,その兵士がまだ若くきれいな金髪だったことを覚えていました.
南区桜本町は,万葉集の「桜田に鶴(たづ)鳴きわたる 年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし 鶴鳴きわたる」に登場する「桜田」のことです.愛知は「あゆち」に由来するという説もあります.万葉集が作られたころ,名古屋の熱田区から南区の地域は海岸や干潟でした.つまり,この地域は上流から運ばれた土や砂が堆積した平野です.そんなところに住民が手掘りした防空壕がどれほど脆弱なものだったか,想像するのはそれほど難しいことではないでしょう.
今の日本には,大都市にも,郊外にも,防空壕やそれに代わる施設がありません.防空壕がなくても,平和憲法の下で平和に生きる権利を確保できる国にしようと努力してきたのだと思います.日本を「戦争する国」に変えようと考え実際に行動している人たちは,武器を買うことに膨大なお金を使おうとしていますが,国民を戦火から守るために必要な施設を日本中に建設するためにどれほどのお金がかかるか,一度でも計算してみたことがあるのでしょうか.
(愛知支部・中嶋哲彦,2022年3月9日投稿)
今回のプーチン氏によるウクライナへの攻撃は,21世紀にあって常識で考えられない.この事件が勃発した時,私はすぐハンガリー動乱を思い起こした.ハンガー動乱(1956年)はスターリン主義によるものであった.しかし,スターリン批判以後,スターリン主義は克服されたかに見えた.ソソビエト連邦の崩壊以後一定の民主化が進んだようにも思われた.
今回のプーチン氏によるウクライナ侵略は,スターリン主義の再現ともいう事態である.この事件の本質的な問題点は,国家や国民の運命を決定する者は誰かということである.ウクライナの問題は,ウクライナが決める,これが国際社会における常識である.ウクライナの主権はウクライナの国民にある.プーチン氏による侵攻は,ウクライナの主権をないがしろにした.これが一番大きな問題点である.
そうであるからこそ,国際社会はロシアの行動を許してはいけない.ロシアもウクライナも両方に問題があるという論理を絶対に認めるわけにはいかないであろう.ウクライナが,プーチンの大嫌いなNATOに加盟をしていたとしても,それはウクライナの国民が決定することである.ロシア人が決めることではない.このようなプーチン氏の行動を許すことは,国際社会の秩序と安寧を大きく損ねることになる.国際社会は全力をあげ,プーチン氏の野望を打ち破らなければならない.
国際社会が一致団結し,国際社会に平和と秩序が戻ってくるよう人々は力を注ぐ必要がある.人類が幾度も,危機的な状況を克服してきたことは歴史が証明している.今回の事態も,世界の人々が必ず解決の糸口を見出し,実現に向けて行動することを惜しまないであろう.そこに,人類の希望がある.
(三重支部・菊谷秀臣,2022年3月8日投稿)
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