政府は2022年12月6日、「日本学術会議の在り方についての方針」を閣議決定し、①重点的に取り組む事項の法定、②会員に求める資質の法定、③会員選考過程への第三者の参画、④外部評価対応委員会の機能強化などを軸に、日本学術会議法(昭和23年法律第121号)を改正する方針を固めた。この改正案は今通常国会に上程される見込みである。
日本科学者会議は、政府に対して日本学術会議法の「改正」を断念するよう求めるとともに、科学者の代表機関である日本学術会議の独立性を尊重しつつ、「行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させる」(日本学術会議法第2条)という日本学術会議法の趣旨を実現させるべく、政府にこそ自己改革を求める。
日本学術会議は1949年1月、日本学術会議法に基づき、「科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命と」(日本学術会議法前文)する国の機関として設立された。日本学術会議法は、①科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること、②科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させることの2つを日本学術会議の職務とし、内閣総理大臣が所轄する国の機関として設置しつつ(第1条第2項)、これらの職務を政府から独立して遂行する権限を日本学術会議に与えている(第3条)。日本学術会議の使命遂行は短期的な政治的・経済的な利害によって歪められることがあってはならない。政府の改正案は、日本学術会議を政府や産業界の意向に添わせようとするものであり、日本科学者会議はこれを容認することができない。
日本学術会議法が1948年に制定されたとき、政府を代表して同法案の提案理由を説明した森戸辰男文部大臣(当時)は、日本学術会議設置の目的について、「科学者の総意の下に、我が國科学者の代表機関として、このような組織が確立されて、初めて科学による我が國の再建と、科学による世界文化への寄與とが期し得られる」と述べ、「科学者みずからの自主的團体たる日本学術会議を設立する」必要があるとした。その際、「日本学術会議が政府の諮問的、審議的機関としての性格を有するが、その活動は飽くまでも科学者の自主性、独立性に基いて行われることを明記して、その職務及び権限を謳いました」と述べ(第2回国会参議院文教委員会1948年6月15日、第2回国会衆議院文教委員会1948年6月19日)、衆議院文教委員会での「この『独立して』というのはどういう意味であるか。」との質疑に対して、答弁に立った政府委員は「日本学術会議は(中略)内閣総理大臣の所管になっております。しかし学術のことにつきましては、この日本学術会議が各省の制肘を受けないで、独立した形において自由にその職務を行うという考えでございます。」と答弁した。この当時、政府は政府からの独立性を確保してこそ、日本学術会議が本来の役割を適切に果たせることをよく理解していたと言えよう。今回、政府は法改正を通じて日本学術会議の審議や組織運営に行政や産業界などの意向を反映させることを狙っているが、これは日本学術会議を国の機関として設置した日本学術会議法の精神を捻じ曲げるものであり、容認されない。
また、日本学術会議法第4条には、政府は、①科学に関する研究、試験等の助成、その他科学の振興を図るために政府の支出する交付金、補助金等の予算及びその配分、②政府所管の研究所、試験所及び委託研究費等に関する予算編成の方針、③特に専門科学者の検討を要する重要施策、④その他日本学術会議に諮問することを適当と認める事項、を日本学術会議に諮問できるとしている。1948年の国会審議では、「独立制を認めるものであるならば、なぜ諮問せねばならぬとしないか。」との質疑に対して、政府は「科学に関することはこの会議に必ず諮問するというような、実際的な運営でまいりたい。」と答弁して理解を求めた(第2回国会衆議院文教委員会1948年6月30日)。つまり、政府が科学に関する政策を決定するときは、日本学術会議に諮問しその答申を尊重することを基本とすることとしていたのである。
日本学術会議は1999年以降だけでも、4回の勧告(日本学術会議法第5条)を行ったほか、審議依頼への回答12回、要望11回、そして数多くの提言、報告、会長談話を公表している。日本学術会議は全国の科学者による学術研究の成果を人類社会の福祉増進に活かすべく努力してきたのである。ところが、同じ時期、政府は科学技術に関する多くの重要政策を策定してきたにもかかわらず、日本学術会議に対しては3回の諮問しかせず、日本学術会議法にしたがって科学者の知見を政策決定に活かそうとしてこなかった。政府はこの態度こそ改めなければならない。