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jjs:readerscomments2021 [2022/05/03 00:47] michinobumaedajjs:readerscomments2021 [2022/12/21 18:33] michinobumaeda
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 (東京支部・中嶋由美子,2021年3月15日投稿) (東京支部・中嶋由美子,2021年3月15日投稿)
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 +<html>
 +<h2>
 +<a href="https://jsa.gr.jp/04pub/0401jjs/2021contents.html#m2021-03">2021年3月号</a>
 +特集「今,井尻正二に学ぶ」を読んで
 +</h2>
 +</html>
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 +本特集は,右傾化する現状の中で「地学団体研究会」(以下,地団研)創立に携わった井尻正二から学ぶ今日的意義について述べたものです.私は学生の頃,丹波地帯団体研究グループに参加し,地団研に育てられました.また,地団研総会での大コンパのあと,井尻さんの家でコンパを続行し夜が明けたことも思い出します.
 +
 +本特集は,日本科学者会議の科学運動においても,数多くの教訓を与える内容となっています.斎藤・金井・小林論文では,団体研究について,「リーダーはテーマの提案者」から出発すれば団体研究は開始できる,と簡潔に述べられており,この原則は今も地団研で受け継がれています.なお,気になったのは,かつて地団研の「現在」(注:1998年頃)の会員の状況について,創設期(注:1947年頃)のほぼ全員貧農状態から中農と富農志向者の集団に変わり,大学教授クラスが脱落している,と指摘されていた点です.私も反省し,否定的精神で闘う気概を持たねばと改めて思いました.
 +
 +後藤論文を読むと,現代生物学の手法を古生物学に導入し,科学的方法論を深めた経緯が述べられています.また,ヘーゲルまでさかのぼって哲学の勉強をしたのは,生物進化などでの弁証法を極めるためであり,理論の学習の大切さがよくわかります.
 +
 +近藤論文では,野尻湖発掘は井尻の「まず実践」の精神で発掘が始まり,事実から次を類推し,発掘を科学的に予想することを提起し,弁証法的感覚の重要性がわかります.また,原論文では,子どもの文化性の発達について,這い這いなど系統発生を反復し,6歳頃から人間が創り出した文化を継承しており,早すぎる教えを戒めています.
 +
 +以上,井尻から学ぶ今日的意義として,「ともに学ぶよろこび」を合言葉に,「まず実践」の精神で,創造・普及・条件づくりの精神を受け継ぐ活動の大切さを改めて教えており,私たちを感動させ奮い立たせます.
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 +(兵庫支部・田結庄良昭,2021年3月16日)
 +
 +<html>
 +<h2>
 +<a href="https://jsa.gr.jp/04pub/0401jjs/2021contents.html#m2021-03">2021年3月号</a>
 +特集「今,井尻正二に学ぶ」読んで
 +</h2>
 +</html>
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 +特集を興味深く読みました.私は「地学団体研究会」(以下,地団研)の会員です.専門家というより,地学の普及活動を主として高校教員等の皆さんと行う教師グループに参加していました.
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 +同じ地団研ですので,井尻さんの本はよく読みました.記事に取り上げられている以外に子どもの本で『生きている化石』,『たのしい化石採集』などは,とても読みやすく今も大切に保管しています.
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 +『日本の科学者』では,当然,井尻さんのプラス面が書かれていますが,少しはマイナス面も正当に書く必要があるのではないかと思いました.
 +
 +一つは,井尻さんたちのグループは地質学においてもかなり党派的な主張をされて,都城秋穂さんなど優秀な科学者を実質排除されたこともあったようです.都城さんは,その後2002年に「変成岩の理論的研究およびそのテクトニクス論への寄与」で日本学士院賞を受賞しています.当時,地質学は現象科学の面が強かったので解釈論を主張される止むを得ない面もありましたが,科学はあくまで仮説-実験の世界だと思います.また,このことに関わる地団研派のマイナス面は,プレートテクトニクス論を当初,正当に評価しなかったことです.このことは,泊 次郎著『プレートテクトニクスの拒絶と受容』(東京大学出版会,2008年初版,2017年新装版)にも詳しく書かれています.この本に対する上田誠也の書評と地団研のコメント(日本地球惑星科学連合ニュースレター:JGL, Vol.5, No.2, p.8 (2009)およびVol.6, No.1, p.14 (2010)),「地質学者・都城秋穂氏を偲ぶ」(後藤仁敏,地学研究第57巻第4号,1頁,2009年1月)などを読み,考えさせられました.
 +
 +長い歴史の中にはいくつかのマイナス面もありますが,地団研の「国民と共に歩む活動」,「普及活動と団体研究」の主張は,他の団体には無いすばらしい成果だと思っています.専門家と大衆を結び付ける活動としてその意義は大きいと考えるものです.東日本大震災の10周年の日を前にあらためてそう思いました.
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 +(大阪府在住・西村寿雄,2021年3月9日投稿)
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 +<h2>
 +<a href="https://jsa.gr.jp/04pub/0401jjs/2021contents.html#m2021-02">2021年2月号</a>
 +特集「持続可能な社会のためのベーシック・インカム」を読んで
 +</h2>
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 +コロナ禍もあり,現代社会が抱える構造的問題が顕在化してきた今,「持続可能な社会のためのベーシック・インカム」という特集が組まれたことはタイムリーな企画であった.本稿では人びとの不平等に帰結する「格差」という社会現象に焦点を当てて,特集論文を論評してみたい.
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 +ベーシック・インカム(以下,BI)とは「全ての個人に対し無条件に定期的に現金を給付する」社会保障制度である.具体的な金額として,8万円,3~5万円の言及もある.OECD諸国の中でも極めて高い相対的貧困率を示す日本で,BIの導入がどれほどの格差是正効果をもつのだろうか.自明のことであるが,BIにより全ての個人に対して同額の給付がなされるならば,それだけでは格差の解消にはつながらない.
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 +そこで提案されるのが,公的雇用の創出,教育無償化,富裕層に対する増税,等の同時実施である.なるほど格差の是正に効果はあろう.しかし,株価配当への金融課税,法人税,逆累進税制の是正,さらには急拡大する軍事費の削減等,現状の金融・財政の全般的な見直しが先行されるべきであるとの主張にどう反論できるのだろうか.それ自体不公平性を持つ消費税を財源にすることは格差是正に逆行するのではないか.
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 +急激に進むAIがもたらすであろう労働環境の変化をBI導入の論拠にする主張もある.AIは労働時間の短縮を推し進め,一部の人びとを除いて労働が免除される社会が想定され,労働に発しない給付としてBIが必要になってくる,とされる.しかし,働けるのに働かない人びとの生活が幸せだといえるだろうか.減少するとはいえ残った労働と,自由時間を含む成果物を多くの人びとが分かち合う社会の仕組みも構想されるだろう.必ずしも,すべてのものを働かずに手に入れられる社会が楽園だとも思われない.労働に即した新しい社会保障のあり方としての,ワークフェア(workfare),マイナスの所得税(negative income tax)も検討に値するであろう.
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 +こうした議論をふまえれば,BIの導入を前提にするとしても,基礎年金の強化に加えた,若者版・農業版・地域版BIの部分的導入の提案は,格差是正へ向けた現実的議論として意義があるように思う.
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 +社会的所有に媒介された個人的所有の実現という観点から,BIの補完的活用が構想されているが,こうした人間・社会の根源的在り方を問う構想と,BIの提案内容との相互検討が必要である.
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 +(鹿児島支部・岡田 猛,2021年2月16日)
 +
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 +<html><h2>重さと質量について</h2></html>
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 +物の重さについて,小学校3年生の算数では,「重さの単位はg(グラム)である」と習う.しかし,これは正しくない.gやkgは質量の単位であり,重さは力の単位であるN(ニュートン)で表す(古くは,g重・kg重などの単位もあった).
 +
 +重さと質量は関係があるが,異なる.例えば,月面上では地球上より重力が小さいので,物は軽くなる.しかし,そのことでその物自体が目減りしたわけではない.小学校の学習指導要領にある,「重さの単位g」は,誤った記述である.
 +
 +それでは,私はどう習ったのだろうと思い,改めて昔の教科書「小学校 さんすう 三年下」(1958年,学校図書)を広げてみた.やはり,同じように,「『kg』は,『キログラム』と読みます.重さをはかる単位です」とあった.このような重さと質量の混同を,どう考えればいいのだろうか.
 +
 +日常生活では,天秤以外の一般的な秤が,地球上の重力を前提に測った重さを質量に換算して目盛を振っているところにも,重さと質量を混同する原因があるのかもしれない.重さと質量の学習はどうあるべきなのか.重さの単位はgであると学習した小学生たちは,重さと質量の正しい概念をどのように獲得してゆくのであろうか.理科教育の立場からコメントをいただければと思う.
 +
 +(東京支部個人会員・本間一郎,2021年2月10日)
 +
 +<html>
 +<h2>
 +<a href="https://jsa.gr.jp/04pub/0401jjs/2021contents.html#m2021-02">2021年2月号</a>
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 +<a href="https://jsa.gr.jp/04pub/2021/JJS202102takagi.pdf">高木論文「生存権保障としての「健康で文化的な最低限度の生活」とは何か」 </a>
 +を読んで
 +</h2>
 +</html>
 +
 +本論文は,副題に「生活保護引き下げ違憲訴訟名古屋地裁判決を考える」とあるように,判決に対する批判である.しかし,判決内容を決めた担当裁判官の氏名が一切示されていない.判決文末尾には,「裁判官 角谷昌毅(裁判長)および裁判官 後藤隆大」と記され,裁判長の添え書きとして「裁判官佐藤政達は,転補につき署名押印することができない」とあり,担当した裁判官3名の氏名が明記されているにもかかわらず本論文には記されていない.
 +
 +相互の信頼関係の下に個人のプライバシーに踏み込んで行われる生活保護利用者の聞き取りによる実態調査に対して,「調査の客観性,公平性,中立性には疑問の余地がある」との判断をしたのは上記3名の裁判官である.
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 +本論文のように,裁判所の「不当判断」批判のみに限定し,裁判官の判断に対する批判を避けるという裁判批判における今日的な手法は,市民からの直接的な裁判官批判を避けるために,法曹界が市民社会に対して設けた壁であると考えられる.憲法第三章「国民の権利及び義務」の条項に限らず,憲法を暮らしの中に生かし,裁判の公正を取り戻すためには,この壁を取り払い,市民の直接的裁判官批判の活発化を図る必要があるとの思いを一層強く感じた.
 +
 +(京都支部・富田道男,2021年1月19日)
  
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jjs/readerscomments2021.txt · 最終更新: 2024/05/14 14:31 by mikasatoshiya

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