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大学の「構造改革」と私立大学の現状

新村洋史(中京女子大学)

 

大学破壊の枠組みと守るべき大学像

 4年前、1998年10月に大学審議会答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について-競争的環境の中で個性が輝く大学-」が出され、2001年夏には大学版「構造改革」(遠山プラン)が出された。さらに、2002年3月には文科省・調査検討会議の「新しい『国立大学法人』像について」(最終報告)が提出された。

 これらの大学政策は、国大についても単純にアウトソーシングして設置形態を法人化、「民営化」するということには留まらない大学(制度)像の根本的改変を狙うものであることを宣明した。私大については、18歳人口の減少という不可抗力な要因が「私大の危機」ではなく、政治的・政策的意図や基準をもって私大を淘汰することこそ「真の私大危機」であることを示すものである。こうして、日本の大学は国公私大の区別なく財界・政府の「国策」を基準に政治的・財政的に大学の研究教育を誘導し支配統制する装置(市場・競争システム)のなかに囲い込まれることになった。

 大学像の根幹といえば、言うまでもなく学問の自由と大学の自治である。これこそは大学の本来的役割や仕事内容の在り方を想定したところの「大学の理念」=大学像である。これを否定するのであれば、もうそれだけでも「理念亡き大学像」というに十分でさえあり、それが大学破壊の基本的枠組みにほかならない。

 

教育基本法の全面改悪と大学政策

 2000年の教育改革国民会議(首相の私的諮問機関)の報告書を受けて、2002年11月には中央教育審議会の教育基本法全面改悪を狙う中間報告がなされた。全面改悪とは、同法の「前文」を含む改変である。大学(教育)の理念や教育目的もまたこの教育基本法が示す理念のなかに位置づけられるものである。しかし、この点の自覚は大学においては不十分であったといわねばならない。大学の大衆化時代が進行し大学の教育的機能が強調されるなかで、それへの関心が向けられるようになった。ところが、大学「構造改革」は、大学教育の経済的価値のみならず、教育法改悪の意図が示すように政治的・国家統制的価値の観点から、その教育的機能を歪め収奪する事を企図している。学生の学習権保障もまた危機に瀕している。

 それは新自由主義的政策による統治形態(レジーム)を補完する役割を担わせるために、新国家主義的統治を全社会規模に及ぼそうとするものである。教育法と前文の歴史的意味は、平和主義を打ち立てること、「平和国家」「文化国家」(前田多門元文相)を建設することを教育(学校・大学)の根本理念とするものであった。従って、教育法の前文を含む全面改悪は、これを否定して「戦争国家」へと方向転換を図ることを意味する。

 アメリカの一極的支配という世界戦略は経済的・政治社会的・軍事的なグローバリズムを蔓延させた。小泉「構造改革」はアメリカの世界戦略のなかにそれを位置づけ、新自由主義は国家主義(ナショナリズム)を煽り、教育では愛国心・日本人としてのアイデンティティなどを押しつけ、そのような国家社会体制を翼賛する「心の教育」や管理主義教育の強化を図っている。この方向は、国連・ユネスコの「高等教育世界宣言」や「平和の文化」国際運動(戦争の文化、暴力の文化と決別し、平和の文化を創造する)と対極をなすものである。この運動や教育基本法の理念こそが「公共(の精神)」の本質と在り方を明示するものであり、私たちは、これを21世紀の大学像・大学の理念として発展させ実現したいと切望する。

 

私大における「構造改革」の表出

 大学「構造改革」は私大において、どのように表出しているかを簡潔にみよう。

 (1)政策誘導、財政誘導は第1に私大助成に表れている。文科省の2003年度概算要求での私大への経常費補助は02年度比100億円増の3297億5000万円で、その内の一般補助は前年同額(2225億4900万円)に対して、政策的研究教育費である特別補助は25億2800万円増の352億4800万円となっている。また、文科省が直接配分する「私立大学教育・情報高度化推進特別補助」と「私立大学学術研究高度化推進特別補助」との合計は74億7200万円増の719億5300万円と増額されている。このような政府による直接配分は私立学校振興助成法に反するものであり、私大の国家統制につながる。

 (2)第2の私大「構造改革」は、私大経営者団体である日本私大連盟の方針に表出されている。同連盟は、02年3月、「学校法人の経営困難回避策とクライシス・マネッジメント」(報告書)を発表した。それは先の大学審議会答申の「私大版」であり「個性輝く私立大学」を展開する。それは、理事会の専断体制を促進するものであり、教授会の自治や教職員の雇用・身分保障にはまったく言及していない。反対に、業務のアウトソーシング、経営主義的な効率化、人件費の削減、経営管理の強化等を至上命令とする。この路線を後押ししているのは、経済財政諮問会議「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2002」(02.6閣議決定、所謂骨太方針第2弾)や、総合規制改革会議(内閣府)「中間とりまとめ・経済活性化のために重点的に推進すべき規制改革」(02.7)である。前者では、大学を「経済活性化戦略」、すなわち企業の利潤追求活動に直接に従属させること、その為に大学と教員・事務職員を競争的環境に置き、「能力主義」を徹底せよとする。後者では、@人材の育成と供給に関する規制緩和の為に、労働基準法を抜本的に改正(解雇基準・ルールの明示)し、裁量労働制を拡大し、大学教員の勤務条件の弾力化(任期制の拡充、企業での兼業の促進)せよとする。A医療・福祉・教育(学校)・農業の各分野に株式会社の市場参入を拡大する。B特区をつくり利潤追求を目的とする企業の参入(規制改革)の先導的実施をする、とする。

 これらは、私大を公共的組織(公教育制度)から企業組織へと転換させ、学生・学習者を消費者の地位に貶める営利企業的大学像・大学制度への改悪である。

 (3)私大「構造改革」の第3は、理事会の専制支配、教授会の自治の破壊、事務職員の経営管理職員化、教職員や組合の権利に対する侵害、人減らし・リストラや解雇事件の続発、教員管理としてのFDの推進、人事考課(査定)などが強行されていることである。これについては、以下、項を改めて述べることにする。

 

大学の内側に向かう私大「構造改革」

 以上の点に加えて、私大では、大学「構造改革」が大学の内部に向かって展開されていることが特徴であり、国大法人化がなされれば、私大の内部的構造改革の現実がそこでも展開されることは必定である。私大経営者は国大法人化を睨み、それとの競争を意識して、民間企業における経営管理手法で管理を強化しているといえる。そのいくつかを以下に紹介する。

(1)定員割れ等とリンクした不当解雇

 東海地区でいえば、2000年3月、大垣女子短期大学の理事会は新設したばかりの国際教養文化学科の定員割れを見て、この間の成果を検証することもなく同学科の廃止を決め、所属の教員12人全員を終局的には解雇した。廃科になっても授業を担当できる教員もいたのに全員解雇とし、新たに4人の教員を採用した。組合潰しの意図をもったこの処分に対して1人の教員は訴訟を起こし、岐阜地裁大垣支部は教授会の審理をへない同解雇は無効との判断を示した。これを不服として理事会側は名古屋高裁に提訴して現在係争中である。理事会は地裁係争中にあらためて教授会を操作して12人の教員解雇を決議させている。名古屋高裁では岐阜地裁が踏み込まなかった理事会側の整理解雇として正当であるとの主張の部分も含めて審理中である。

 東京地区私大教連に加盟する教職員のいる昭和学院大学の理事会は、01年12月、「学生が減って教職員に過員が生じた」として教員13人、事務職員2人の解雇案を提出した。この後、組合を結成し東京私大教連に加盟し、団交を申し入れたが地労委斡旋があってもこれを理事会は拒否しつづけている。02年3月、同上案に対して解雇対象者を絞り教員4人、職員1人の合計5人(内、組合役員4人)に解雇通告した。組合は4月、千葉地裁に地位保全の仮処分申請をなした。組合は同事件は不当な整理解雇であるとし、文科省と千葉県に財政資料公開を請求し財政分析を行った。それによれば、同学院全体の財政状況は超健全で整理解雇の必要性がないこと、解雇回避の努力を怠っていること、非解雇者の選定にも合理性がないなど整理解雇の要件を満たしていないことを立証している。

 この他にも私大教連が支援する事件がある。東京神学大学では、1人の職員が職員不適格として退職に応じなければ解雇するという事件がおきた(01年12月)。東洋大学では、工学部の環境建設学科の改組とカリキュラム改訂に伴い9人の教員(8人が組合員)を新カリキュラムを担当できるにもかかわらず新学科に所属させないまま、新たに4人の新採用教員の募集をおこなった(02年11月)。

(2)教職員・組合への権利侵害の続発

 以上の事件には、背後に組合敵視政策の意図があることが明瞭と読みとれる。これ以外にも教職員や組合に対する権利侵害の事実が多くあらわれている。団体交渉の拒否、その他の組合に対する不当労働行為、組合員の差別(降格・降任)、財政難を口実とする解雇や労働条件の一方的な切り下げ、などである。

(3)大学運営組織の官僚制化とトップダウンの運営の一般化・日常化

 規模の大小を問わず、私大の運営は、学問の自由、大学の自治を形骸化させ、学問や教育研究の共同体などとは到底いえない状況が作られてきている。これについても書くべきことは多々あるが、簡潔に述べる。上述した政策的背景のなかで次のように私大の構造改革が進行している。

@                        理事会の専制支配が強まっている。大規模私大でも、学園・大学運営は理事と部局長との会食の席で決まってしまうといわれる現状になっている。

A                        理事会が経営と教学との両面にわたって決定権を掌握し、教授会はその方針を伝達されるのみで、大学の重要事項を審議するという慣行は消滅している私大が多くなっている。

B                        大学の事務局もまた、理事会の機能を担わされ「教育研究の支援業務」ではなく、「経営管理」の職員としての専門性を求められている(上記Aと一体化している)。

C                        意思決定機関は、〔理事長・学長・学部長・事務局長〕とする私大もある。

D                        教員の「意識改革」の名のもとに教員管理がすすめられている。

E                        授業公開・参観が、職務命令同然に全教員に義務として強制されたり、教員の「品質管理」の対象とする動きが目立っている。

F                        教員の長期の自宅研修に対しても「勤怠調査」として研修報告書の提出が強要されるなど、教員の勤務状況がすべて人事考課の対象とされ給与と連動させる私大もあらわれている。

 

学生が主人公の大学づくりを目指して

 こうした教育現場にあらわれた非民主的な大学運営や教職員管理の瑣末主義は、学問と教育研究の共同体を破壊していくものであり「改革」などとは言えまい。じっくり本を読んだり研究する心や時間の余裕もなくなっている。大学の教職員にも精神疾患にかかる人が増えている。

 学生たちに目を転ずれば、自分の現在と未来をどのように生きるべきかと多くの学生が模索している。これらの多くの学生の人生に資する大学にしていくことに対して気を抜いたり、諦めたりする訳にはいかない。大学全体の態勢を財界・政府の「国策大学」から、これらの「学生・国民が主人公の大学」に改革していくことこそ、心ある多くの私大教職員が日々に願っている大学像であると思う。