進展していない教員養成系大学・学部の再編
難航している再編・統合
国立大学の大胆な再編・統合と教員養成系大学・学部の縮小・再編を、独立行政法人化への移行に先駆けておこなうという強硬な政策を示した昨年の6月「大学の構造改革の方針」(「遠山プラン」)にこの一年間ほとんどの国立大学が翻弄されることになった。しかし、それから一年以経過した現在、統合合意に達しているのは、2002年度10月から統合する図書館情報大学と筑波大学、山梨医科大学と山梨大学の2組、2003年度後期からが単科医科大学と近隣の総合大学、あるいは単科大学同士の組み合わせで10組にとどまっている。県境を超えて統合されるかと話題をよんでいる総合大学同士の統合や全国規模で迫られた教員養成系大学・学部の再編・統合は、この夏をすぎてもほとんど進展をみせていない。
その中でも、「大学構造改革」の目玉とされてきた教員養成系大学・学部の再編・統合が展開しているところは、8月初旬の段階でわずかしかない。鳥取大が島根大に統合の方針を決めている他、福島大、山形大の教育学部が宮城教育大に一本化の動きがあり、富山大は富山医薬大、高岡短大と統合の過程で教育学部を廃止し、その定員を新大学構想に活用する方向を表明している。滋賀大、滋賀医科大、京都教育大、京都工芸繊維大は統合した新大学にひとつの教員養成学部を設置の計画と、教員養成学部の定員を新大学構想に活用する方向を表明している程度である。
県境を超えた大型統合の第一号にどこが名乗りをあげるかと注目されている滋賀大+滋賀医科大+京都工芸繊維大+京都教育大、埼玉大+群馬大、弘前大+秋田大+岩手大の組み合わせ、7国立大学を有する四国の大学を統合する様々なプランなどは、いずれも、教育学部の統廃合問題がネックとなって暗礁に乗り上げるか難航している。その他にも、弘前大学と秋田大学、岩手大学がひとつとなる「北東北大学連合」構想や、埼玉大学と群馬大学との統合をめざした学長懇談会開催、和歌山大と三重大の統合協議などがすすんでいると伝えられるが、いずれも、「統合ありき」の政治的外圧で出発したため、地理的・物理的障害という現実的な問題や見出せない「利害の一致」という矛盾を抱え込んだまま、前にも進めず、後退もままならない苦悩に陥っている。三重大と和歌山大の統合協議も存続を強く望む地域の要望を背景に、相互に教員養成課程の存続を主張してまとまっていない。
文部科学省の焦りあらわに
一県一教員養成学部という政策原理を、構造改革路線にそった国立大学リストラの数あわせとして、将来の教員需給や地元の事情などと関係なく放棄する文部科学省の一連の強硬な姿勢に対しては、日本教育大学協会や国立大学長会議でも批判が続出していた。今年の4月19日に行なわれた全国国立教育系大学学長・事務局長懇談会で徳久高等教育局専門教育課長は、国立大学からの批判や動揺の状況に対して、教員養成系大学・学部の再編統合が国立大学構造改革の基本であり、2002年度中に再編統合の姿を示せと、進まない動きに”発破”をかけた。その内容は、@文部科学省としては、各国立大学が、教員養成系大学・学部の統合・再編プランを提示した「在り方懇」の報告にどのように対応するのかを見守る、A7月に概算要求についての公式ヒアリングを行い、再編・統合についての方向性を問う、Bいわゆる「ゼロ免課程」=「新課程」を原資として新学部を作る場合には、その必要性を示せ、C再編・改革をせずに済ますことはできない、D教員養成と「新課程」の定員をバーターする時には、その関連大学の距離をも考える問題がある、Eいろいろな情報もあるので、地元が望んでいるところを正確に把握することが必要で、それをもとに(どう再編・統合するかは)各大学で判断してほしい、F教員養成担当大学となる(教育学部が生き残る大学)場合、それだけで終わりということではなく、非常に重い荷物を背負うことになると考えて欲しい、というものであった。
「いろいろな情報もあるので」地元の了解を得られるように再編・統合を進めよ、とは、後述するように、地元から教員養成学部がなくなるかもしれないことが、該当する県での住民反対運動を高め、県議会で反対の表明がなされたり、県知事による文部科学省への直接的な要請がなされたりという動きが表面化し政治問題化してきた背景があった。「各大学で判断してほしい」とは、一県一教員養成の原則を放棄した政策がもたらす矛盾のツケは、中央政府に持ち込まないように地元で処理しろ、という文科省責任回避のための布石であった。また、教員養成担当大学として生き残る大学に対して、「非常に重い荷物を背負うことになる」とは、生き残れたということで安堵するようでは甘く、政府の教員養成政策を重点的に担う責任を自覚せよということと、就職状況などが厳しく点検され、非効率的運営であれば、厳しい評価がくだされるぞという脅しの先渡しでもある。
6月6日にも行なわれた残りの大学を対象とした全国国立系大学学長・事務局長会議でも、同様の趣旨が本間教育大学室長からもっと厳しい形で言い渡された。その内容は、@再編・統合への大学同士の合意形成は2002年度中に行い、A2004年度の独立行政法人化までに細部を煮詰めるか、細部合意ができていない場合でも法人化の概算要求に合意を記載し、2004年度10月に再編・統合を実現し、2005年度春より学生受入れも考えられる、B非教員養成学部に教員養成を残すということについて明確な理由があるところを(ヒアリングで)聞いていない、C現職教員の再教育のために教員養成学部を残す必要があるとするならば、学生定員を残す必要はなく、現職教員の再教育の部分だけを残せば良いと、各大学の教育学部存続要求や動かない統合動向を睨んで牽制球を投げたものとなった。
さらに、6月13日の国立大学長会議において遠山大臣は、「今回の再編・統合は、都道府県と言う枠や既得権益的な思惑を乗り越え、我が国全体の教員養成機能をいかに充実し、これからなお初等中等教育を担うのに相応しい人材を輩出していくかという観点から検討されるべきものである」と、具体的に再編・統合が進まない状況に対し、かなり厳しい口調で踏み込んだ発言をした。大学再編の強行論者である工藤高等局長も、いつもながらの高圧的な口調で、「教育学部、獣医学科だけでなく、すべての大学で再編・統合を考えて欲しい」、「教育学部も今のままでよい、ロースクールは作りたい、というのではダメ」と迫った。
こうした文部科学省関係者の強行な発言の背景には、7月半ばから行った再編・統合に関するヒアリングが思わしい結果をうまず、48の教員養成系大学・学部の中の11でしか再編・統合にむけた話が進んでおらず、その中でも具体的に統合協議が進展しているところは冒頭に掲げたところくらいという“動かない大学”の現状があったからである。
教員養成系大学・学部が再編・統合にむかって進まないのは、そうした大学・学部の単なる”生き残りエゴ”からではない。教員就職状況が極めて低く、経営効率の悪い「大学不良債権」のリストラとして迫られてきた再編・統合であったが、都市部における子どもの急増、教員定年退職者の激増、
30人学級実施などによって、近年、教員採用数を引き上げる地方自治体が増えることにともなって、教員養成系大学・学部卒業生の教員採用率も上昇してきている。新卒採用状況は、昨年度比において、大阪府が3.2倍、京都が3.15倍、千葉県では1.67倍、埼玉県でも1.5倍と好転している。さらに、
将来にわたって教員需要は急増する地域もあり、現状の学生定員ですらまかなえなくなるのではないかという懸念すら予測されている。例えば、若手層が急増している埼玉県では、2003年度の小学校教員新卒採用予定数600名、2004年度800名、2005年度1,000名程度が予定されており、埼玉大学教育学部の入学者全員が採用されても間に合わないという現実が生まれようとしている。教員養成定員を10年前の半分の10.000人に抑制し、地域から教員養成機関をなくすという政府の「計画養成」政策それ自体が、すでに破綻をしているのである。
各地で高揚する教育学部存続の運動
教員養成系大学・学部の再編・統合政策は、国立大学独立行政法人化への移行を前に、大学の軽量化をはかる「大学構造改革」の手法である。旧帝大系と一部の重点大学を除いて、地方国立大学は、独立行政法人化に対応する準備に右往左往させられているが、しかし、その法的根拠は全くない。共産党の石井郁子議員は、8月7日の文部科学委員会でこの点を厳しく批判した。すなわち、国立大学は2004年度に独立行政法人化というのは閣議決定での「目処」にすぎず、国会承認もなく、「日本の大学の一大変革…大転換だという話」なのに「国会で法律も決まっていない、その本体も、そして政省令も決まっていない、大学がどのくらいの裁量を持って何をするのかもわからない、こういう段階でどんどん事をすすめていいのか」。「あなた方は大学が自主的にやっていますと言いますが」「こういう国会を無視する、まだに行政サイドの暴走としか言いようのないようなやり方というのは絶対見とめられない」(第154回国会文部科学委員会「国立大学独立行政法人化問題の諸問題」議事録、2002年8月7日)と。
これに対して工藤高等局長は、文部科学省が大学に対していろいろとアドバイスすることがあるが、「それが現場に伝わると、いや、文部省はこれでいけと言っている、あるいはこういう指示をしたとか、こちらの趣旨と違う伝達で、時々不本意に思うことがある」と答えている。この答弁を素直に受け入れられる大学人は一人とていないであろう。独立行政法人化の下地づくりとして脅迫的に迫られている教員養成系大学・学部再編・統合の選択が、学問研究や教育の帰結として、あるいは、地域の事情の帰結として「自主的」になされたものではないことを明白にしている。
教育学部の存続を断念したり、廃止の惧れがでてきている北海道、岩手県、山形県、福島県、栃木県、静岡県、福井県、鳥取県、山口県、高知県、香川県などでは地方議会で存続問題が取り上げられ、県知事も積極的に存続を主張している。橋本大二郎高知県知事は、「教育学部と学校が廃止されますと、地域に根ざした独自の教育改革を進めております本県の教育にとりましても、計り知れない損失になる」(2月県議会)と表明。福田昭夫栃木県知事は、「宇都宮大学教育学部は、本県教育界にとって重要な役割を担う。存続に向けて努力したい」(6月県議会)、と、高橋和雄山形県知事は「地域の歴史と特性を十分に踏まえず、再編・統合をすすめるのは、大きな禍根を残す」(「毎日」6月21日)などと「まじめに統合ありき」の強硬な政策を批判したり反対の表明をして地域における教員養成学部の重要性を強調している。山形県議会は、「山大教育学部の存続を要望する意見書」を採択(6月19日)し、奈良県議会も「国立大学教員養成系大学・学部の存続を求める意見書」を提出(6月28日)した。
北海道教育大学釧路分校の存続問題では、地元商店組合・町内会が10万人に及ぶ存続署名を集めるなど、教育学部存続を希望する地域署名運動が地域教育界をあげて各地で広がっている。山形県では、県PTA連合会を中心とする署名活動がわずか2週間のうちに15万2500名の署名を集め、県教職員組合協議会も1万6000人の署名簿を山形大に提出するなど、さまざまな団体が計18万5000名近い署名を達成。教育学部廃止決定の教授会抗議と撤回要望手紙・葉書・電話攻勢、県内市町村議会での存続要請意見書採択など、県下の一大政治課題となった。こうした地域の声は山形大学教育学部の決定を批判しながらも存続を下支えする大きな動きとなって、県が山形大学教育学部存続の独自試案を公表(8月5日)するという事態にまで至っている。同時に山形県自民党県連の国会議員らが遠山文科大臣に対して教育学部存続の要望書を直接手渡しするなど教育学部存続問題は、政策をめぐる中央と地方の亀裂となって表面化してきた。
地方自治体が、国立大学のありかたのモデルを示すというようなことを大学の自治の観点からどう評価するかは新たな課題だが、こうした地域における存続要請運動の盛り上がりは、国立大学が地域大学であるということの証明であり、最も地域とつながりの深い学部を真っ先にリストラしようとする政策の基本矛盾が噴出したことになる。同時にそのことは、大学という存在が地域によって守られるものであることの可能性と展望を示せる基礎であることを提示している。
揺れ動く文部科学省の方針
先にみたように、6月段階まで、文部科学省は、進まない教員養成系大学・学部の再編・統合にいらだちを隠せない脅迫的「指導」のスタンスをとってきた。しかしながら、地元政界を撒き込んだ山形大学教育学部存続要請行動の高まりの中で、山形新聞の取材を受けた本間教育大学室長が、これまでの強行な「指導」路線を軟化させるとも受け取れる見解を表明するに至った。
山形新聞(8月7日)によれば、本間室長は、@全国的に行なわれている再編協議にタイムリミットを設けない方向である、A法人化後、統合によるメリットを見出せれば、それから協議をはじめることもありうる、B最終的に文科省が再編や組み合わせや担当校について裁定を下す可能性はない、C学内の他学部から教官や入学定員を補充するなどパワーアップできるならばそれも一つの選択肢である、D例えば、3県で2担当大学もありうる、E地域との十分な議論を尽くして欲しい、との姿勢を示したとされる。この記事内容と同趣旨ととれる見解を本間教育大学室長から聞いたとする大学もあり、そのことは、再編・統合問題で窮地に立たされている教員養成系大学・学部の関係者に一挙ある種の衝撃をもって広がった。文部科学省は、再編・統合の基本地図をもっており、予定された時間内にそれにしたがって「自主的」に動きを示せないところは、独立行政法人化に際して、低い評価を受けるか、将来的には民営化対象とされるだろうという大方の予測があったからである。すなわち、教員養成系大学・学部の処理の結果として大学の統合、ないし、独立行政法人化がという一本道しか選択の余地はなく、統合大学には、教員養成系学部は複数存在することは許されないと「理解」されてきた。
本間室長の示した方向性は、そうした疑念と不安を緩和し、解釈の仕様によっては、@再編協議にタイムリミットを設けないとは、教員養成系大学・学部の再編・統合と独立行政法人への政治スケジュールとを分離してもかまわない、A教員養成系学部を基礎として新学部を設置する道もある、B地域との関係を強めれば、複数の教育学部が存続するという可能性もある、という「期待」を持たせるに十分な発言であった。教育学部処理問題で難航している統合関係大学の一部には、この本間室長発言を、地域からの突き上げとその政治問題化を背景とした文部科学省の「軟化」と受取り、これで一息つける、あるいは、存続の可能性が見出せるかもしれないという安堵感が広まった向きもあった。
山形大学教育学部問題に即してなされたこの発言の政策的真意を推察することは難しい。県選出の自民党国会議員による抗議・要請という思わぬ障害に対する政治的な迂回戦術と解する分析もあれば、進まない再編・統合の実を挙げるための方針緩和だと受け取る向きもある。また、発言の真意を文部科学省に直接問いただした大学関係者らの感触では、基本方針は何ら変っておらず、発言の主眼は、地域との摩擦を地方レベルで処理させるところにあるのであって、前半はリップサービスという観察もある。文部科学省は、やはり、統合マップをもっており、このまま再編・統合が進展しないなら、来年度早々にもこのマップを提示して圧力をかけるだろうという観測も否定しきれない。おそらくは、
基本方針は変わっていないのではという観測の方が妥当であろう。
「大学構造改革」のひとつの目玉として経済諮問会議において打ち上げた教員養成系大学・学部の再編・統合策は、その成り行き如何で独立行政法人化の規模と形態を決する構図に位置づけられていたものであった。それが政策的な思惑通りに進展していないことは、文部科学省自体の業績評価に重大に関わる失策にもつながる。その点について文部科学大臣の関心が薄れているとは判断できない。
文部科学省は、この9月から、国立大学の教員養成系大学・学部における新卒者の教員採用率の低迷している「非効率性」の見なおしを項目とした行政評価・監視を、大規模教育学部と小規模教育学部をピックアップして実施した。おそらく、その目的は、国立大学としての教員養成系学部の経営効率的な適性規模の算出であろう。8月5日に出された中央教育審議会の大学分科会答申は、大学における学部・学科設置などについて大幅に規制緩和し、専門職大学院を創設する道を開くなど、大学間の自由競争を促進させる方向を打出すとともに、これまでのような認可権限をふりかざした「入口における事前規制」型指導から、第三者機関による「出口評価」型に転換をはかることが提言された。
しかし、医学系・教員養成系などに対しては、定員管理を国家が手放さない「例外」としてそれらに対する規制は残されたままである。
とはいえ、教員養成系大学・学部の存続を求める地域の要求とそれをくみとる大学との連携が、大学再編・統合の成り行きを大きく変える可能性も否定できない。「大学構造改革」に抗する方策のひとつに、地域の教育要求を反映しながら地域に根ざすという大学づくりの可能性を模索する視点が重要となってきている(詳しくは、三輪定宣「大学『改革』と地域に根ざす大学づくり」および、細井
克彦「『大学と地域社会とのパートナーシップ』考」『住民と自治』2002年9月号を参照されたい)。地域の教育要求は、保守的なものから進歩的なものまであらゆる層に広がっており、かならずしも、教員養成系大学・学部必要論ばかりではない。教員養成系大学・学部の解体や教員の広域採用の方向を旧師範学校閨閥・学閥支配打破の観点から歓迎する向きもなくはない。また、教員養成系大学・学部が、閨閥や地元保守層や地方教育行政との癒着的関係によって生き残る方向は、教員養成系大学・学部の教育目的や内容を歪めるものにも繋がりかねない。とはいえ、他方、地域が大学を守り、大学の自治が地方を支えるという関係性のありようが、地方分権化の中で問われているともいえるであろう。 (山口 和孝)