JSA

 

23 2001年 7月 25日発行

 

大学問題フォーラム

日本科学者会議大学問題委員会

 

 

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-これでよいか 教育学部と教員養成の将来像-

 

 

国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会の政策批判と提言

 

 

はじめに

 

戦後の教員養成の大原則をゆるがす在り方懇の「まとめ」

 

 小泉首相の国立大学民営化発言を受けて、文部科学省は2001年6月「日本経済の活性化のために国立大学をスクラップ・アンド・ビルドで活性化」する方針を公式文書で明らかにしました。6月の国立大学長会議における遠山文部科学大臣の発言は独立行政法人化の話を飛び越えたもので、1.国立大学の再編・統合による大幅削減 2.国立大学に民間経営手法を導入し、新しい「国立大学法人」に早期移行 3.大学に第三者評価による競争原理を導入、国公私トップ30大学に資金を重点配分し「世界最高水準」に育成 を柱としたものです。こうした電光石火の一方的な「改革」攻勢の中で、昨年来教員養成系大学・学部を取り巻く状況は大変憂慮すべきものとなっています。文部科学省の「国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会」(以下「在り方懇」と略称)は、2001年2月、「まとめ」と称する概要を出しました。これは文部科学省の教育大学政策の暫定的な指針案と考えられますが、これに対して、少なくとも以下の3点において強く批判されなければならないと考えます。

 

 1.これからの教師の持つべき能力を「実践的な能力」というキーワードに帰着させ、しかもその育成方法について説得力ある議論を示し得ていないこと。全体の基調は、異様なまでの「実践的な能力」の強調と大学が担うべき学問の明らかな軽視です。これは日本の学問を初等教育、中等教育段階から破壊してしまいかねません。

 

 2.「まとめ」が懇談会で積み上げられてきた議論をまとめたものになっていないことです。文部科学省の議事要録等をみると多様な意見が出され、相反する見解も出されているにもかかわらず、はじめに結論ありきの姿勢で一部の意見を持ってきて概要とし、特に些末なことを歪曲しながら強調している部分が目に付くことです。

 

 3.教育学部の運営上避けることの出来ない「新課程」(教員以外の職業分野へも進出することを想定した課程)について何ら顧慮することなく結論を急いでいることです。

 

 今回のまとめは明確な文章の形をとっておらず、それゆえ「(概要)」と称しているものですが、審議次第によっては、これが今後大きな拘束力をもって教員養成系大学・学部を縛り、戦後「教員養成は大学で行う」という大原則を根底からくつがえすことになることが危惧されます。このブックレットでは、特にこの「まとめ」の各項目について政策批判を行うと共に、具体的な提言も展開するものです。

 

1.「在り懇談会」発足の経緯

 

 2000年6月、読売新聞夕刊のトップには「教育学部が多過ぎる!?」との大見出しが掲げられ、少子化・教員採用減で文部省が教員養成系の削減・再編を検討することを報じました。同年7月19日には「国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会」が文部省によって設定され、8月28日に第1回会合が行われました。その目的は「現在、国立の教員養成系大学・学部に対しては、教育現場で生じている困難な課題や、今後の新たな教育課題に的確に応えられる、力量ある教員を養成していくことが求められているとし、そのような社会的要請を踏まえ、長期的観点に立った国立の教員養成系大学・学部の在り方に関して有識者の懇談を行う」というものです。懇談事項は 1.学部の果たすべき役割について 2.大学院の果たすべき役割について 3.付属学校の果たすべき役割について4.組織・体制の在り方について 5.その他必要な事項について からなっています。 

 周知の通り、国立の教員養成系大学・学部では98年より2000年の3年間で、約5000人の教員養成課程入学定員の削減があり、文部省は97年8月に、「教員養成系大学・学部の在り方に関する調査研究協力者会議」を発足させました。しかし、「今後の義務教育諸学校の教員需要や、教員養成の資質向上に関する社会的要請を踏まえ、開放制の教員養成制度における教員養成系大学・学部のあり方に関し調査研究する」ことを目的としたこの協力者会議は意見の一致を見ないまま、最終的には「検討の経過と論点の整理」が発表されただけで98年の末に解散しました。今回の懇談会の発足は国立大学の独立行政法人化を射程に入れた教員養成系大学・学部のありかたの見直し・再編にあることは明白です。

 

 第1回の会合では、教員養成系大学・学部教官の2割程度しか実際に小中高の教壇に立ったことがないという調査結果が報告され、委員から批判が続出し、研究中心の教官ではなく、学校現場を熟知した教官を配置する方針が文部省から示されました。また、教育学部以外の出身者で占める教科専門分野の教員に「子どもに目を向けた教育研究」の意識が低いこと、個々の専門分野の研究に比重が置かれるきらいがあること、などの指摘を中心に意見交換がなされたと報告されています。(文教ニュース)

 6月の読売の報道以後、特に8月に入ってマスコミは教員養成系の再編・統合問題を報道するようになりました。10月に開催された日本教育大学協会の学長・学部長等連絡協議会では、「在り方懇」の目的が「長期的観点に立った国立の教員養成系大学・学部の在り方」に関して懇談を行うとされており、懇談会においては「統合・再編」と言った言葉は一度も使われていないのに、新聞等では「統合・再編」があたかも既定方針であるかのごとく報道されていることに対し強い批判と懸念が噴出しました。

 

2.在り方懇「まとめ(概要)(案)」の突然の提出とその骨子

 

在り方懇の議論は懇談事項の「1.学部の果たすべき役割」を中心に進み、「2.大学院の果たすべき役割」の問題に多少入った、2001年2月19日の第7回会合において、事務局から突然文章化された「まとめ(概要)案」が出されました。翌日のNHKの報道では「国立大は小学校教員の養成を」と(小学校に特化するかのような)懇談会を踏まえたと思われる「誤報」が流されました。先の再編統合の報道と同様、このような意図的としか思えない「始めに結論ありき」的な「報道リーク」に大きな危惧を感じます。

 

 「まとめ」から読みとれるのは、まず教育学部の現状に対する厳しい批判です。そのカリキュラムも教員の目も専門を深めることに向いていて、教員養成を指向していないとし、現実に教育委員会の卒業者に対する評価が他大学卒業者と同様でしかないことを指摘します。そのうえで、学部教育で身につけるべきは教壇に立つための必要最小限の能力であると言明し、教育学部にあっては特に実践的な能力の育成が必要であることを強調しています。(懇談会の言う)「実践的」とは、子どもの興味や関心を導き出し、学級経営や授業展開の技法にすぐれ、さらに子どもの挫折やつまづきに的確に対応できる能力のことです。そのための指針として、@教科専門担当教官の教育実践への関わり強化 A入学者選抜段階の意欲や人間性の評価Bコア・カリキュラム導入を含む体系的カリキュラムの整備が示されます。

 焦点の一つは教科専門科目のあり方です。教員養成系大学・学部における教科専門科目は、他大学の専門科目とは異なる独自性のあるものとして整備されるべきとし、それは従来の教科教育学と教科専門を融合したものになるはずだという指摘がなされます。

 今回のまとめで初めてはっきりした事項として、「小学校教員を中心に据えた制度設計」は特に注目されます。これは公立学校採用者に占める国立教員養成系大学・学部卒業者のシェアーが小学校65%、中学校40%、高等学校15%(1999年3月卒業者)であることをふまえた得意分野への特化の方向性を示すものです。中学校教員になる者についても、専門を深めるだけではなく教員養成学部の独自性に即した養成に意味があることを指摘し、小学校重視の方針への整合性を確保しようとしています。

 「まとめ」は教員養成系大学・学部の教員にも言及し、その研究は学部の目的に照らし、学校現場あるいは子どもたちを中心に据えた実践的なものであるべきことをはっきりと強調し、そのために教員の意識改革の方策の実施と採用方針の変更を求めています。「教員養成学部の教員として就職した以上は教員養成学部独自の研究に取り組み、その成果として論文の作成を求めるべき」「昇任の際にはその種の論文を義務づけるなど、教員の教育研究業績を評価に反映させるシステムの構築が必要」との記述もみられます。また、「まとめ」は、大学院について、若手教員を指導できる能力の養成の場であるとします。大学院で教育研究の対象とすべき最先端の分野は、教員養成学部の場合は「学校現場で生じている今日的課題」であり、現職教員の再研修の場として大学院を位置づけ、教育改革国

民会議において提唱された教員の修士号取得も「専門大学院」という表現で肯定的にとらえています。

 

3.各項目に対する批判と提言

                                  

1.学部の果たすべき役割について

 

(1)教員養成学部における教員養成の基本的考え方

 

@養成されるべき教員の資質

 教員の重要な資質とは一言で言えば、それぞれの学校において教える教科に対する十分な理解と同時に児童生徒の心身の発達に応じた教育方法を会得していること、及び集団心理に対する深い理解にあると考えます。新指導要領による教科の大幅削減と教科書の軽薄化の中で、単に「教科書」を教えるだけでは対応できなくなっています。高まる新指導要領批判のなかで、文科省も「指導要領は最低基準、発展した内容は教師の工夫で行え」と言い出しました。このように教師の裁量で「教科書」を越える授業展開が求められており、教師自身が長期にわたって授業の教材作成をする事が必要となっています。教科に対する高度の理解力とその教授方法が会得されていなければ、今後授業を構成していくことは不可能となります。懇談会の議論の中で「これからは知識の量ではなく、子ども達に学ぶことの本当の意味やものの見方、考え方を身につけさせることが出来る教員を養成することが求められている」との意見が繰り返し主張されていますが、知識のないところにものの見方、考え方が育つはずがありません。「ゆとり教育」政策で、知識と思考力を別物としてとらえ、思考力の育成を主張しながらも考えるべき知識を削減するというように、あたかもこれらが二律背反であるかのように捉えていることは明らかな誤りです。

 

A学校現場の課題

 現行の学習指導要領(1989年公示)の成果の実証的検討を通して、「ゆとり教育」は学習時間の減少とテレビ視聴時間の延長をもたらしていること、「生きる力」の教育は、生徒・児童の興味・関心・意欲の低下と格差の拡大をもたらしていることが明らかとなっています。教科を削って作られた「総合的学習」は十分な基礎知識の学習があってこそなされることであり、現状ではたんなる体験学習・遊びとなって学力低下を促進するだけです。きちんと学ぶことなしに、考える力や、どんな独創性も育ちません。2002年から実施される指導要領では、生徒・児童の学力低下は決定的なものになるでしょう。「学校は勉強をするところ」という基本を忘れた「ゆとり教育」路線は全面的に見直されるべきです。「まとめ」の言うところの、「ゆとり教育」の実現と「学力低下」への対応は互いに矛盾しています。また、いわゆる新学力観による評価が子どもに大きなストレスを与えていること、新学力観を標榜する指導要領施行後の95年を境に問題行動が激増していることに注視するべきで、文科省は早急に新学力観の「成果」を実態を踏まえて評価する義務があります。

 

(2) 教員養成カリキュラムの基本的あり方

 

@教育職員免許法等の主な「改正」(1998年7月1日)

 教員免許法の改正は、新指導要領による大幅な教科の削減を先取りするように、教科を軽視し、教職を重視したものです。教育職員養成審議会(教養審)答申や教免法では、教員資質向上の課題を学校現場で起こる課題の対症療法的な能力の重視に傾き、教科の専門的力量の形成を軽視しています。教科専門科目の大幅な減少により、教科の専門的力量が低下し、信頼をなくすとともに、生徒・児童の学力の全般的低下をまねき、学校における学ぶ意欲の低下を助長します。いわゆる理数離れの世代が教壇に立ち、新たな理数離れの子どもを作り出すという悪循環が起こります。「学力の危機」が進行している現在、免許法の見直しこそ焦眉の課題です。

 

A教員養成学部の主な課題

 ここで述べられている疑問は、教員養成系大学・学部の現状を著しくゆがめたものになっていて、過去の一部の現象を捉えてあたかもそれがすべてであるかのように言っています。いまどき教員養成学部で他の専門学部と同じ授業ができると考えている教官はいません。教科専門教員の多くは専門科目の授業のみならず、教育実践に関連する教科研究(教科内容学)の授業を担当しており、小中高等の学校教員と連携した教育研究や教育実習における学生指導などを通して学校現場との交流が多いのが実態です。

 

「まとめ」の言う、学生の満足度が低いのは、教員免許法に制約された教員養成系大学・学部固有の細切れ授業状況と履修上のゆとりのなさに最大の原因があります。特に、専門の授業が少なく中途半端であることや、教科教育法関係がつまらないという声が多く聞かれます。そのような中で、学生達をもう少し学問あるいは研究を深めさせるためにピーク制が採用されているのです。また、他学部に比べ、多くの授業を抱える教員養成系の教官こそ、わかりやすい講義をするべく大きなエネルギーを割いていることは、各種の学生の授業評価に現れている事実です。「教育委員会の評価が他学部卒業者と同様でしかない」は民間の調査結果にすぎず、実際に受け入れている学校現場の評価が必要です。教育委員会の評価の仕方、試験方法にこそ問題があります。そのため学生は、教科の内容を深めることよりも、いかに採用試験対策のテクニックを身につけるかに意を用いておりこのことこそ問題です。

 

B学部教育で身につけさせるもの

 「まとめ」の言う「子どもの興味や関心を導き出し、学級経営や授業展開にすぐれ、さらに子どもの挫折やつまづきに的確に対応できる能力」の重要性は何人も否定出来ないことです。問題はどのようにして得られるかです。子どもの興味や関心を導き出す能力などは、高等学校までの教科についての理解程度では不足であり、その教科についての深い理解力、教師自身が本当に面白かったという経験なくして、子どもに興味や関心を引き起こさせることは出来ません。「まとめ」は、学校現場における「生きる力」「考える力」の育成を重視しています。児童生徒は「考える力」を獲得するにつれ、すべての教科において教師の説明と自らの考えとの相違を自覚し、教師に対して質問を発するようになっていきます。その質問は低学年になればなるほど根本的です。また、低学年ほど事前予測が不可能な質問が提出されることが多い。現場にはいわゆる「教師用指導書」に頼る教師が少なくなく、そのような教師の授業は形式に流れるのみで、児童を惹きつける力はありません。これが昨今の「学力低下」の主因の一つであることは言うまでもないことです。素朴ではあるが根元的な質問に対し、教師が過不足なく答えなければ児童生徒の学習意欲は育たず、「考える力」も育たちません。専門性こそ真の「実践的な能力」の基盤であることを、関係者は深く認識しなければなりません。「まとめ」が繰り返し主張する「実践的な能力の育成」が皮相的なものとなるおそれは十二分にあるのです。

 

C体系的カリキュラムの構成

 教員養成系大学・学部における体系的カリキュラム編成においては、大学として必要とする教養科目、教職専門科目、教科教育学(教科教育法・教科内容学)、教科専門科目のバランスが重要であり、4年間で可能かどうか検討すべきです。教免法の縛りのもとでの教科軽視、教職重視のアンバランスを改めるべきです。

 

Dコア・カリキュラムの作成

 この案からは懇談会がどのような性格・中身のものを想定して「コア・カリキュラムの作成」を提起したのか読みとれません。「コア・カリキュラム」が教員免許基準の縛りのもとで構想されたり、全国の教員養成系大学・学部の教員養成カリキュラムを画一的に拘束するものであってはならないことは当然です。各大学、関係学会等で多様な開発研究と研究成果の交流が行われ、一歩一歩合意を得ながら確定されるものでなくてはなりません。

 

(3)教科専門科目の在り方

 

 「まとめ」が「教員養成学部の教科専門科目は、他学部の専門科目とは違う独自性のあるものとして整備されるべき」とし、「(・それは従来の教科教育学(法)と教科専門を融合した分野)」というのは何を言わんとしているのでしょうか。特に後者が(  )内に囲まれているのはなぜでしょう。また、「教科専門教育は学校の授業に実際に役立つものになっているか点検し、そうなっていない場合には再構築されなければならない」とは、大学における教育研究を皮相な教育実践の偏重やハウツウものにすり替え、教員養成系大学における学問の否定といわざるをえません。教科専門は教科に関する専門的内容であり、それは教科の背後にある学問に基礎づけられます。教科教育は教科に関する専門的な内容を学校段階や子どもの発達段階に応じた教育内容に具体化し、それを教授する方法や技術の修得などを内容とするものです。「まとめ」のいう教科専門科目を「従来の教科教育学(法)と教科専門を融合した分野」と位置づける考え方は、教科専門教育が学校の授業に直接的に役立つことを求めるあまり、教科専門を教科教育に吸収する、あるいは教科専門と教科教育の区別を曖昧なものにするものです。教科専門教育の意義は、教科の背後にある学問に関する専門知識を学問のもつ系統性や論理性に触れながら理解させることにあります。

 

 教師は研究者とは違って深い学問は必要でなく、教え方のすぐれた技術者であるべきだと言う考えが一層声高に聞こえてきます。過去の師範教育では学問の基礎に関する教育の意義がまったく理解されていませんでしたし、学問の構造を理解する段階まで高める教育が行われていませんでした。その結果、教育の世界は学問の進歩とはまったく閉じた世界になってしまいました。いまその誤りの繰り返しがなされようとしているのではないでしょうか。「小学校の先生になりたいから、大学で習う専門科目は関係ない」という一部の学生の言葉と同じ趣旨のことが懇談会で繰り返し主張されていることは重大な問題です。小学校で教えるのも、大学の内容を理解しているかどうかで大きく違ってきます。最近の学生が教員採用試験や、ハウツウものに目が向き、教科内容を深める意欲が薄れていることこそ最大の問題といえます。

 

[小学校教員養成の場合]

 

Aピーク制

 小学校教員も専門性を深めることが重要であることは当然です。ある学問分野を深く学ぶことによって得られる考察力、問題解決能力こそ重要な資質であり、特に卒業研究はそれにあたります。自分自身で学問、研究のおもしろさを体験したことのない人が、どうして子ども達に学ぶ楽しさと意義を伝えることができるのでしょうか。

 

 小学校の教員に対してもピーク制が必要です。理由をいくつかあげてみましょう。

)小学校教員の立場に立って見れば、各教員がそれぞれ自分の興味がある教科があり、それを深く修めたいと考えるのは自然ではないでしょうか。どの教科にも特別な思いがないような教員に生徒・児童はついてこないのではないでしょうか。

)低学年になればなるほど素朴であるが本質的・根本的質問が出る頻度が高く、教員がこれらの質問に適切に答えるには十分な専門能力を有していることが必要です。児童生徒が発するこれらの質問に適切に答えられなければ、児童生徒の学習意欲は育たないし、教育目標の一つである「考える力」も育てません。そして、学問に対する興味を喪失してしまう恐れがあります。

)小学校では一人の教員が全教科を教えるシステムですが、一人ひとりの教員が全教科の専門性を確保することは難しく、現実にはチームを作って協力し合うことが重要です。そのとき、各教員が少なくとも一つの得意な教科の専門能力を有していることで初めてそのチームが有効に機能するのではないでしょうか。

 

C小学校教員養成を中心に据えた制度設計

 従来の議事録に含まれなかった論点として「小学校教員養成を中心に据えた制度設計」というコンセプトが突如登場しました。これは最初にも述べた公立学校採用者に占める国立教員養成系大学・学部卒業者のシェアーが小学校65%、中学校40%、高等学校15%(1999年3月卒業者)であることを背景として、教員養成系の特化の方向性を示したものです。中学校教員になる者についても、専門を深めるだけではなく教員養成学部の独自性に即した養成に意味があるということを指摘し、小学校重視の方針への整合性が確保されようとしています。これらは今までの懇談会の議論の無視以外の何物でもありません。仮に小学校教員の養成において独自のカリキュラムが必要になるにしても、同じ学校にいるというだけで中学校教員にそれが適用されるべき根拠はありません。中学校教員の40%「も」が国立教員養成系大学・学部卒業生であるという事実をどう考えるのでしょう。このような雑把に効率性を考えたかのようなことを言うのではなく、まず中学校教員養成のあるべき姿を検討することが必要ではないでしょうか。

 

(4)教職専門科目の在り方

 

(5)教員免許状取得と成績評価の厳格化等

 

 教員免許状の取得については、成績評価も含めて厳格化することは基本的に賛成です。国立の教員養成系大学・学部としては責任を持って、安易に教員免許状の交付を行うべきではないと考えます。

 

(6)学生の質の保障

 

 国立の教員養成系大学・学部としては、高等学校における履修に関し一定の水準が保たれるよう、入学試験における統一した措置が必要です。とくに、高等学校で履修してこなかった教科科目を大学全体で学び直す必要があります。「ゆとり教育」路線で、教科の内容と授業時間数を削減し、選択を拡大してきた結果が、学生の学力低下をもたらしたことは明らかな事実です。いま大学で学生の学力低下を否定する教員はほとんどいないといって過言ではありません。例えば、現実に高校で文系として理科を実質1科目(例;生物1B、生物2)しか履修しなかったものが多数教員養成系に入学しており、これでは小学校で理科は教えられないのではないでしょうか。

 

(7)教員養成学部の教員のあり方

 

@教員の基本的な在り方

 「まとめ」のいう、「教員養成学部教員の研究を学校現場を中心に据えた実践的なものであるべき」という制約した考え方は誤っています。教育に当たってはそうした点を重視するべきではありますが、個人の研究の自由が保障されないような大学はもはや大学ではありません。大学教員は研究を通して学問の面白さや真理を探究する姿を学生に示すことによって、学ぶことのすばらしさを伝えることが重要です。大学教員の研究テーマに制約を加えることは、学生と研究を共にすることによって学ぶことのおもしろさ、ひいては「考える力」のつけ方を伝承する機会を失わせることとなります。また、専門的能力の高い研究者を教員養成系に引きつけられなくなることを通して、その所属するべき教育学部の出身教員の力量の低下を招くことになります。

 むしろ、教員養成学部の教員の研究教育に関して、通常通りの「教育」と「研究」の二つに分けるのでなく、「教育」「授業研究」と「研究」の三つに分けるべきではないでしょうか。「授業研究」とは教員養成学部にふさわしい教育内容を学問として確立することです。いわゆる教科内容学と言ってよいでしょう。心身の発達に応じた教育方法と教科専門の融合をはかるものです。こうしたことは個人レベルではそれぞれの大学において努力されてきましたが、システムとしてはおざなりにしてきたものです。いうまでもなく「研究」においては、各自の所属する学会において十分な活躍をすべきであることはいうまでもありません。

 

A教科専門担当教員のあり方

 @でも述べたように、教科専門教員は他学部のように純粋学問ではなく、教科教育法と教科専門を融合した分野にむかえという主張は、明らかに学問研究の自由の否定とあからさまな学問軽視ないし否定にほかなりません。もちろん教育系大学にあっては教官は、従来の「教科教育」「教科専門」「教職専門」の各カテゴリーに立てこもることなく、これからの時代の初等・中等教育およびそのための教員養成の方法論について学問的考察を深めなければならないことは言うまでもありません。そのためには一方的なおしつけではなく、教科教育、教科専門、教職専門教官の間の自主的な連携を促進する方策を採るべきです。

 

B教職専門科目担当教員のあり方

 教科専門教官と教科教育教官の連携について、議論が進んでいるが、教科教育学に対して、教職専門教官がいかに関わっていくべきかの議論がはなはだ不十分な状況ではないでしょうか。

 

C教科教育学(法)担当教員のあり方

 多くの場合教科教育教官と教科専門教官とは根本的に発想が異なるように思われます。教科教育教官の多くは、あるものに対する批判はできるが新しいものを築き上げることはほとんどないのではないでしょうか。自分で創り上げる、築き上げていくことに興味を持っている人、もっと専門的な能力を持った人が教科教育学をやらないといけないと考えます。率直に言っていわゆる教育学部出身の教科教育教官は方法論や授業方法論ばかりやっていて、教科専門と少しもかみ合わない面が多くみられます。じっくりとものを考えるということが、現状の教科教育によって損なわれているという批判も少なくありません。従来の教科教育教官が内容を変えていくことは無理で(その時々の指導要領の枠内に終始している面が多く)、教科専門教官がもっと歴史や哲学を勉強して、教科教育に入っていくことが必要ではないでしょうか。教科専門教官が教科教育をやっていかないとまともな教科教育は出来ないと思われます。もちろん、全ての教科専門教官が教科教育をやる必要はないことはいうまでもありません。こうした観点からも、授業実践と結びついた教科専門を教科内容学というべきでしょう。また、教科教育学とは、「教科教育原論」「教科教育法法学」「教科内容学」の3つを含んでおり、教科教育学イコール教科教育法と捉えることは、教科教育学の分野の矮小化です。広義の教科教育はどうあるべきかの議論が必要であり、本来の教科教育学の構築こそ愁眉の課題です。

 

D教員養成としての一体性

 教育学部のアイデンティティを確立し、教育学部の一体性の追求の中で、教員養成課程と新課程の有機的連携のもとで、互いの質的転換をはかる必要があります。教育学部像、養成しようとする教員像の明確化、自己の専門と教員養成教育との連関をおさえた授業展開が必要です。広範な専門分野の教官を有する「教育学部」の特長を生かし、教養教育と専門教育の有機的連携、教職教育・教科教育・教科専門教育相互の連携をはじめ、学部一体となった学問研究の学際化と複合化という時代の要請に取り組むことが求められています。このためには、教員養成系大学・学部を教員養成に特化するのではなく、教員養成制度をより自由化、弾力化することを考えなければなりません。これまでの閉鎖的な目的大学の縛りが、教育学部としてのアイデンティティの確立の努力を妨げてきたのではな

いでしょうか。

 

(8)教員養成学部にふさわしい教員の確保

 

 「教員養成学部の教員の研究は、学部の目的に照らし、学校現場あるいは子どもたちを中心に据えた実践的なものであるべき。すなわち、・・」と限定してしまうことはきわめて異常であって、それだけでは真の教員養成はできません。教員養成系大学・学部の教員が全員教職や教科教育関係の研究に従事する教員である必要はまったくありません。多様な専門を持つ研究者が、それぞれの専攻分野で研究活動を活発に取り組み、各学問(教科)領域での課題や学問研究(探求すること)の面白さを学生達に伝えているか、あるいは教員養成と学校現場の教育研究活動を日常的に支援する共同体制を組み、支援業務を遂行しているかどうかという点が最も重要なことです。ここでの異常な主張は「大学で教員を養成する」という戦後の教員養成の大原則を反古にし、教職専門学校への道を進ませる

もの以外の何者でもありません。

 

@ふさわしい教員像の明確化と評価

A在職する教員の意識改革

B学校現場の経験

 必ずしも現場経験者が良い大学教員になれるとは思えません。大学教員にとって必要不可欠な資質は研究能力です。基本的には研究者が教育現場に関心を持つことによって克服されるべきものです。実践的な指導、研究の場として付属学校があるはずですが、本来の機能を果たしていない面が多く、大学教員が自由に研究できる場所として見直すことが焦眉の課題です。

 

C教員採用方針の明確化

Dファカルティ・デベロップメントの充実

E教員養成学部独自の専門分野の研究の奨励

 

2.大学院の果たすべき役割について

 

(1)修士課程で教育すべき内容

 

@修士課程で養成すべき能力

 「・・大学院は最先端の分野を教育研究の対象とすべきであるが、・・・「学校現場で生じている今日的課題」がそれにあたるものであり、・・・」と限定することはきわめて異常な考え方です。基礎学力とともに実践的な能力を育成するために、これが学部の四年間で可能かどうかを検討する延長線上に、修士課程で教育研究すべき内容が考えられるべきです。

 

A教員養成学部の修士課程で授与する学位

 論文内容が理学修士的なものは、教員養成学部にふさわしくないと排除する意見は暴論です。「学校現場で生じている今日的課題」を表面的にとらえると、すべての修士論文は教育実践関係のみということになります。教員養成系大学・学部が広範な諸学問の専門家からなっていることの意味は、教科を深める教育、研究が重要だからです。教員養成系でも他の専門学部と同じような専門を深めることも大切です。ここの意見は「教員養成系に学者・研究者はいらない」という主張につながります。

 

(2)現職教員の再研修

 

 教員の資質・力量は、なによりも実際に教員になってからの、その教員の経験と問題意識に基づく自主的な学習・研究を通して高められるはずです。現職の教員の自主的研究を尊重し、促進するという視点に立って、それに対して大学が何が出来るかを考えていく必要があります。また、大学側の教官の負担の急増に対する方策等の受け入れ態勢の整備なくしてこうした再研修は旨く進みません。

 

@現職教員受け入れのメリット

A現職教員の再研修のための体制整備

B大学院修学休業制度と1年コースの導入

 1年コースを導入しても、専修免許状の取得が第一目標であり、1年間で30単位と修士論文の両方を完成させることは困難であり、大学院の質的低下をもたらすだけです。

 

C現職教員のニーズに応じたカリキュラムの開発

D地域の教育委員会との連携協力

E終了後の連続指導

 

 すでに周知のことですが、多くの教員養成系大学・学部では卒業後も大学教員と卒業生である現場教員とが日常的に連絡を取り合いながら教育実践と教育研究を行っています。これは他学部には見られない大きな特徴です。

 

(3)教員養成学部における専門大学院の基本的な考え方

 

(4)博士課程のあり方

 

(大学院の項については、免許更新制等の問題と共に改めて詳しく触れる予定です)


付録

 

教員養成系大学・学部を取り巻く情勢

 

00.06.21 読売新聞「教員養成大学・学部の削減・再編に着手へ」

00.07.19 「国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会について」

00.07.22 日本教育学会特別課題研究委員会で石井教育大室長が「教員養成学部の当面す

     る課題」で講演。

00.08.19 共同通信「教員養成学部を再編へ 採用数激少で文部省 地域から反発も」

00.08.25 東京新聞「いじめ、学級崩壊・・対応できません 教員養成大リストラ時代、

     文部省、統合・再編も視野 懇談会を設け検討へ」

00.08.25 朝日新聞「国立教育学部を再編 文部省、少子化で検討」

00.08.28 第1回懇談会(座長:高倉明海大学学長)

00.09.04 文教ニュース「「教員養成のあるべき姿」を来夏までに方向」第1回懇談会で

     の高等教育局長挨拶の概略

00.09.04 読売新聞社説「学校現場との密接な連携探れ」

00.09.15 週刊朝日「統廃合必至 教員養成48大学の戦々恐々」

00.08.18 週間教育資料「教員養成系大学・学部改善の具体策を検討」石井教育大学室長

00.09.21 第2回懇談会 国立の教員養成系大学・学部の在り方について

00.10.27 日本教育大学協会学長・学部長等連絡協議会「はじめに統合再編ありき」の在

     り方懇(座長・事務局)の姿勢と一連のゆがんだ報道に批判続出。

00.10.31 第3回懇談会 国立の教員養成系大学・学部の在り方について

00.11.28 第4回懇談会 国立の教員養成系大学・学部の在り方について

00.12.26 第5回懇談会 学部の果たすべき役割 大学院の在り方について

01.01.31 第6回懇談会 国立の教員養成系大学学部及び大学院の在り方について

01.02.13 石井 稔教育大学室長のあいさつ(東京学芸大学)

01.02.19 第7回懇談会 学部の果たすべき役割 大学院の果たすべき役割

01.03.09 国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会「まとめ(概要)(案)」

     に対する意見ならびに日本教育大学協会への要望  愛知教育大学

01.03.13 第8回懇談会 付属学校の果たすべき役割について

01.04.19 第9回懇談会 付属学校の果たすべき役割について 組織・体制の在り方につ

     いて

01.04.24 国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会「まとめ(概要)(案)」

     に対する意見書 教員養成系大学・学部数学教官懇談会

01.05.11 国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会「まとめ(概要)(案)」

     に対する意見書 国立大学協会教員養成特別委員会

01.05.17 第10回懇談会 組織・体制の在り方について

01.06.12-13 108回国立大学協会総会 「大学(国立大学)の構造改革の方針」配布

01.06.14 13年度国立大学長会議 遠山文部科学大臣「大学の構造改革の方針」説明

01.06.21 11回懇談会 組織・体制の在り方について

01.06.23 日本教育大学協会・国立大学協会教員養成特別委員会 特別シンポジウム

     「教員養成の再構築めざして」

 

資料:文部科学省懇談会議事録 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/index.htm

  :日本教育大学協会ホームページ http://www.u-gakugei.ac.jp/~jaue/index.htm

  :大学改革ネットワーク(教育大版)reform-ed@ed.niigata-u.ac.jp

  :在り方懇「まとめ(概要)案」http://www.u-gakugei.ac.jp/~jaue/kondan7.pdf