第16回総合学術研究集会宣言
2006年12月3日、日本科学者会議第16回総合学術研究集会は、次の集会宣言を採択しました。
教育基本法改正案に関する集会宣言
日本科学者会議は、創設以来日本の科学の進歩と平和・独立・民主主義・人びとの生活向上のために努力をかさねてきた。
私たちは、その立場から、政府による教育基本法改正案の内容およびその審議の進め方に関して、広く国民に対してその危険性と欺瞞性を指摘せざるをえない。
自民党・公明党は、政府が今国会に提出した教育基本法改正案を、衆議院特別委員会ならびに本会議において、強行採決をよしとしない野党の欠席のもとで、与党単独で採決した。同法案は目下参議院での審議途上にある。この間同法案に関しては、市民・マスコミ・法律家・教育関係者など多くの立場から、なぜ、何のための改正か不明確であり、説得的でないとの疑念・批判が寄せられている。提案者である政府・与党は重い説明責任が課せられているにもかかわらず、審議の過程で本質的な議論を徹底して避け、国民の声に誠実に向き合っていない。そのことは、最近あいついで明らかになったように、政府・与党がタウンミーティングのねつ造までして国民世論の誤導を企んでいることからしても明らかである。
改正案の形式についていえば、この改正案が現教育基本法が定めた教育理念・教育像を根本的に否定し、実質的には新法制定に相当する全面変更案であるにもかかわらず、あたかも現行法の修正にすぎないという形式を装った問題性がある。
内容的には、それが一方では、改正案第二条にあるように、道徳・態度主義的性格の極めて強い教育を志向するものでありながら、他方では、改正案第五条に示されるように、義務教育に関して国が負う責任を曖昧化・放棄し、もって教育を一層自己責任化する志向性も有していること、それでいて改正案第十六条二項にあるように、あたかも全国一斉学力テストの実施権を国に担保するかのような国家統制的要素も内包している。規制緩和と統制、ナショナリズムと新自由主義とを雑に合体させた、危険であると同時に一貫性のない教育像が示されている。さらに、そうした教育を推進する体制として、改正案十六条では、現教育基本法第十条の「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」との条文が、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり」と変更されている。子ども・保護者・住民への直接責任性によって成り立つ教育から、法に拠らなければ制限されないが、法に拠ればどのようにでも制限できるという“法の留保”による教育への極めて根本的な改変がめざされている。また、改正案第十七条、教育振興基本計画の規定により、国会の議すら経ずに、政府の一存で教育計画を策定・実施できる体制が組み込まれており、「不当な支配に服することなく」の語に反して、教育が時の政府の政治的思惑に大きく支配される体制がつくり出される危険性が濃厚にある。
そもそも教育基本法は、広く知られているように、戦前の教育に対する深い反省に立ち、日本国憲法と密接な関連をもって、戦後教育の根本を定めた法律である。これの改正にあたっては、憲法に準ずる注意深い扱いがなされるべきである。しかるに、その改正動向は、提案されている改正案の内容においても、審議経過の手続きにおいても、法のもつ重みに比してあまりに不適切・不十分であり、教育という営みの人と社会にとっての価値をまっとうに認める立場からは、到底容認できないものである。
さらに、このような教育における国家主義的統制の強化および新自由主義的な競争原理の徹底は、学問の自由および大学自治、ひいては科学・技術の総合的でつり合いのとれた発展を大きく阻害することが予想され、その点からも、改定案の内容と政府与党の審議のすすめ方を断固として拒否するものである。
国民世論の動向と国会審議をこれほどまでに軽視し、数の論理で本法案を今国会で暴力的に成立させようとする政府・与党の性急な立場は、安倍首相が5年以内の憲法改正を明言しているように、彼らが今回の教育基本法の改正をその露払いとして位置けていることを如実に示しており、その点からも強い危惧の念を表明せざるをえない。
日本社会の未来およびその土台ともなる教育に重大な関心をもつ私たちは、教育が日本国憲法に則り、人格の完成と平和的国家および社会の形成者を期しておこなわれ、そのためには教育が権力の不当な支配に屈することなく、国民全体に対し直接に責任を負っておこなわれことを強く自覚し望んでいる。教育基本法の国会審議が広く国民の意見、とくに現場の教育者のこれまでの実践と教訓が反映されて、誠実におこなわれることを心から望むものである。
2006年12月3日
日本科学者会議第16回総合学術研究集会