JSA

<基調報告>

科学の世紀への転換と科学者の責務

第13回総合学術研究集会 実行委員会
(実行委員会事務局長 宇佐美 幸彦)

 この基調報告は、21世紀を迎えようとするにあたって、自然、社会、人間の現在について基本的共通認識を獲得し、第13回総合学術研究集会の議論のたたき台を提供しようとするものです。この報告は、実行委員会事務局長が原案を提示し、実行委員会企画部会の討議を経て、まとめたものです。

1.20世紀を振り返る ― 世紀の転換点にあたって
 まさに世紀の転換点であるこの時期に開催される日本科学者会議第13回総合学術研究集会にあたって、人類の歩みと科学の発展の2000年の歴史、とりわけ急速に科学・技術が発展した20世紀の100年を振り返り、この発展について検討し、そこから教訓を引き出すということは、科学者会議の会員にとって重要なことであると思います。
 おおむね啓蒙主義の思想が浸透するにつれて、人類は、隷属状態から脱却し、人間にふさわしい尊厳を持った生き方を追求するようになってきました。人権という理念が社会的に認知されるようになり、人間性の拡大が求められてきました。個々の人間が、豊かで自由であり、かつお互いに人間として尊重しあう社会を築くことが、人類に課せられた「人間の使命」であります。この点ではすべての科学者、技術者、教育者に大きな責任があります。なぜなら科学や技術そして教育に携わる人は社会に対して大きな影響力を持っているからです。
 20世紀の科学・技術を振り返るとき、この「人間の使命」(人間として生きるべき道)という観点から観察することがとりわけ重要です。

 20世紀は科学と技術の世紀でした。人類の歴史上20世紀の100年ほど科学・技術が飛躍的に進歩した時代はありません。たとえば交通手段を見れば、19世紀末の最新の交通機関は蒸気機関車であり時速数十キロで移動したに過ぎず、圧倒的多数の人間はまだ徒歩や馬などで移動していました。2000年の現在500人乗りのジェット機で多くの人が長距離を短時間で移動することが日常的になっています。
 科学・技術の発展は一面では確かに「人間の使命」にとって積極的な役割を果たしました。人間はこれまで未知であった知識を獲得し、新しい技術を応用して、より豊かで便利な生活、より安全な生活を獲得するようになりました。しかしこの利便性の追求は同時に多くの問題点ももたらしました。核兵器などの開発が直接的に人類の存続にとって脅威を与えていることは今世紀の科学的発展の問題点をもっとも明確に示しています。さらに戦争や軍事的拡大のように大規模で直接的な生命の危機をもたらさない場合でも、利便性を追求するにせよ、企業の利潤追求が主要な役割を果たしているにせよ、また国益が優先されたものであれ、多くの技術開発が、環境破壊や生態系の混乱を引き起こし、慢性的に人間の生命、健康、安全を脅かしています。こうした問題の根元は、技術開発にあたって、「人間の使命」が認識されていない点にあります。すべての技術開発は、個人の人間としての尊厳を尊重するという原則を前提にしなければなりません。

 20世紀はまた経済発展の世紀でもありました。
その科学・技術の発展を背景に人類はこの100年間で大きな経済発展を実現しました。世界経済の年間総生産高は1900年の2,3兆ドルから、98年には39兆ドルへ、17倍増加しました。1995年から98年までの3年間の経済生産の伸びは、農業が始まってから1900年までの1万年間の伸びを上回っています。
このような急速な経済発展は、貧富の格差の拡大も招きました。世界でもっとも金持ちの225人の資産合計は1兆ドルを超え、世界人口のうち貧しい半分の人々の年間所得の合計に匹敵します。もっとも富裕な3人の資産を合わせれば、もっとも貧しい48か国の国民総生産(GNP)を合わせた額よりも多いのです。
 一方で使い捨ての消費生活が営まれているのに対して、他方では8億人が栄養不足に苦しみ、12億人が安全な水を手に入れることができません。こうした歪んだ経済発展は、全人類的な観点からすれば「人間の使命」を達成しているとはいえません。

 20世紀は戦争の世紀でもありました。
 20世紀の戦争による死者は1億9700万人と推計され、紀元1世紀から1899年の間の戦死者総計の約3倍です。一方で人間の権利の拡大を求め続けてきたこの20世紀において、新しい技術発展によって軍事力が強化され、大量殺戮、大量破壊が行われました。戦争は「人間の使命」にまったく反する野蛮行為です。こうした人類に対する犯罪的行為に対しては厳しく「戦争責任」が問われなければなりません。
 私たちはとりわけ戦争と科学、技術、教育の関わりに注目しなければなりません。戦時下の科学・技術は、国益優先の軍事目的のために推進され、軍事機密のなかで歪んだ発展を遂げました。それは歪んだ情報操作と教育によって補強され、他民族の、そして同時に自国民の生命、健康、文化の破壊をもたらしました。

2.20世紀の総括 ― 4つのパラダイムの転換
20世紀が終わろうとしている現在、科学・技術に関する世界観もさまざまな点でパラダイムの転換をせまられています。19世紀までの考え方に対して、大きな変更をせまられている点で、とりわけ(1)「人間と自然の関係」、(2)「全体から個への転換」、(3)「科学的人間観の確立」、(4)「科学者の社会的責務」(とりわけ「戦争責任」)の4点をここで取り上げたいと思います。

(1)「人間と自然との関係」
 20世紀における、とりわけその後半における科学・技術の発展はこれまでにない速度で進展し、規模と質において従来の人間と自然との関係を大きく変化させました。19世紀的な考え方では、自然は無尽蔵であり、人間は科学と技術の進歩によって自然を征服するものであるとされてきました。しかし20世紀の科学・技術の発展のなかで、埋蔵エネルギーに限界があり地球の資源は有限であることが明確になってきました。宇宙飛行士たちの体験や宇宙からの地球の映像は、地球の客観的な理解を広めるのに大いに貢献しました。他方、自然とは異なった存在であると考えられてきた人間も、それ自身が自然の一部であり、最近では生命の神秘が解明されるようになっています。こうした現状に立って、われわれが今なすべきことは、自然との共生のなかで新たな科学・技術を発展させることです。こうしたパラダイムの転換をふまえて、私たちは「継続可能な社会」を築いていくべきです。

 (2)「全体から個への転換」
19世紀までの科学・技術は、多くの場合、基本的に「国家(あるいは営利企業その他の帰属集団)への奉仕や貢献」を目的にしていました。国家や集団の利益のためには、個人の生命や利益が損なわれることもしばしば当然のことのように行われてきました。その極端な事例は、戦争であります。戦争においては、ほとんどの場合、他の国民や他の民族あるいは他の個人に対して人間としての尊厳の認識がまったくなされてきませんでした。このことは20世紀にも引き続き当てはまり、2度にわたる世界大戦を引き起こし、また現在に至っても民族紛争などの戦火が絶えていないことに現れています。またソ連型の社会主義の世界において、個の立場が尊重されなかったことは、この社会の根本的な欠陥の一つであったと考えられます。
 20世紀の歴史的な事件を通じて、私たちが学ぶべきことは、人間が「被後見人」であるという立場を脱却し、社会は自覚した存在である個人から成り立っているという考えに立脚すべきであるということです。これからの科学・技術は、「すべての個人のために、その生活向上や幸福に対して貢献する」ことを目的にすべきです。

 (3)「科学的人間観の確立」
この100年間に人間に対する科学的認識も飛躍的に進みました。宇宙の構造・歴史、物質の成り立ち、物質と生命の進化の歴史が詳細に解明され、生命の起源についての研究も進んでいます。チンパンジーやゴリラと共通の祖先から人間が進化してきた過程がよく分かってきました。その進化の過程にヒューマニズムの起源を見つけることもできます。また、人間の思考の成り立ちや、脳の働きへの環境の影響などの研究も進んでいます。もっともこのような科学的認識も直線的に進んでいるわけではなく、しばしば急速に進展する科学の進歩に対する反動として、まだオカルト的な現象など非科学的な考えが持ち出されることもあります。しかし神秘を扱う場合でも、映像や録音など20世紀に生まれた新しい技術が活用されることも多く、非科学的な人間観の活動する余地は狭められ、そうした人間観の普及も矛盾をはらんだものになっています。いずれにしても19世紀までの神秘的、抽象的な古い人間観はますます通用しなくなっています。
 すでにハイブリッド生命である遺伝子操作作物が大規模に生産されています。意志を持つロボットもやがて実現する可能性もあります。技術は単に日常生活を変えたばかりでなく、生物としての人間そのものも作りかえてきました。今道友信氏は『エコエティカ』のなかで、「技術は次第に外部的なものから、人間の環境となり、座となり、そして人間の内部に浸透してきている」と述べています。
 いま私たちが「人間の使命」を考えるとき、人間についての科学的認識こそ重要であることが指摘されねばなりません。人間は自然の一部なのであって、私たちは自然を外部のものとみなしたり、自然を支配するのではなく、自然のなかで自らの進むべき道を探っていかねばなりません。人間存在を自然から分離したり、科学的な認識から逸脱した人間像を持ち出すことによっては、人間を正しく捉えることができず、したがって、人間の自然との共生という点で根本的な欠陥を示し、「人間の使命」を果たすことはできません。また、人間の生命を大きく操作することができる技術が可能となりつつある今日、そうした技術を人間そのものに応用するときには、科学者・技術者の厳しい倫理観が必要です。さらに個人の倫理観に任せるばかりではなく、社会的な合意の形成と、ルールづくりがなされなければなりません。
 21世紀を迎える今、私たちは「非科学的な人間観」を脱却し、科学者・技術者としての責任を明確に意識しつつ、「科学的な人間観」を確立しなければなりません。

(4)「科学者の社会的責務」(とりわけ「戦争責任」)
 19世紀までの科学者は、国家や帰属集団への関わり方は基本的に従属的であり、彼らにとって「社会的責務」とは個人的な立場を放棄して、国家や集団に尽くすという「滅私奉公」を意味するものでした。しかし20世紀の経過のなかで、ヒューマニズムの考えが浸透し、2つの世界大戦を経た今、科学・技術が人間の生命や健康、幸福を脅かすかどうか、科学者が自己の良心に照らして判断しなければならなくなっています。それが国益や、営利企業の利益と一致しない場合には、科学者の良心を優先することが現代における「科学者の社会的責務」です。
ここで日本の科学・技術にとって20世紀の最大の悲劇であった、第2次世界大戦の戦争責任にふれなければなりません。日本はドイツとともに第2次世界大戦を引き起こした張本人でありながら、戦後の戦争責任の問題では、厳しい責任追及を社会的に行ってきたドイツとは異なり、きわめてあいまいな追求しかなされていません。
少なくとも、第2次世界大戦における日本の戦争責任に関しては、(a)戦争責任に時効はない、(b)日本の遂行した行為は「侵略戦争」であった、(c)したがってアジアの諸国民に対して加害者責任がある、ということを明確に認識しなければなりません。戦後の日本における平和論がしばしば、日本人の兵士や住民の悲惨な体験に終始していることは問題の本質からして不十分だといえましょう。
 侵略戦争において直接的に軍事研究に加わったり、軍国主義の強化に積極的に協力した科学者、技術者、研究者、教育者はもちろん、無批判に戦前・戦中の大学その他の教育・研究機関で軍国主義政策の遂行の歯車となって働いた人には戦争責任があるといえます。
 しかし日本の場合、戦後の戦争責任の追及はきわめて不十分なままに推移しました。ほんのわずかな政治家・軍人が極東裁判の被告となりましたが、明確に戦争責任のある多数の政治家、高級官僚、教育者、研究者は軽微な社会的制裁ですまされるか、あるいはまったく何らの法的な処置もとられないまま、戦後の「民主主義日本」で復活し、社会的に重要な位置を占めました。
 たとえば私の専攻するドイツ文学の分野では、学会でもっとも活動的であった研究者たちが、1933年から1945年のヒトラーの時代にファシズムの作家たちを次々に翻訳して、日本に紹介し、時代の最先端をいく民族的文学者と持ち上げました。ところが戦後になって、その同じ研究者たちが、ファシズムや軍国主義の強化に協力したことについて何らの本質的な反省も表明することなく、まるではじめから民主主義者であったようなふりをして、ナチス時代にヒトラー政府と敵対したトーマス・マンやヘッセを翻訳し、マン研究やヘッセ研究の第一人者として学会に納まってきました。
 同じような現象は他の分野でも数多く見受けられるのではないでしょうか。
20世紀をふりかえるとき、戦争への科学者・教育者としての責任を今一度明確にする必要があります。そしてこの問題をあいまいにしてきたことについて、日本の科学者、研究者、教育者として、厳しい自己批判が必要です。私たちが、真剣に21世紀の平和と正しい研究・教育のあり方を考えるとき、こうした戦争責任の追及は不可欠の前提となります。
「科学者の社会的責務」はもちろん戦争責任だけに限定されるものではありません。環境汚染、薬害、原子力、地域開発その他のいろいろな分野で、一人一人の科学者、研究者、技術者が、権力や利害に屈することなく、自己の科学者としての良心を貫き、真実を追究することが重要です。

3. JSAの活動、12回の総合学術研究集会の成果
日本科学者会議は、1965年以来一貫して日本の科学の自主的・総合的な発展を願い、科学者の社会的責任を果たすため、核兵器の廃絶を含む平和・軍縮の課題、環境を保全し人間の命と暮らしを守る課題、大学の自治を守り科学者の権利・地位を確立する課題などを進めてきました。
とりわけ研究と科学者運動を統合的に推進する活動として、これまで12回の総合学術研究集会を開催し、この全国的な学術研究集会において、人間と地球の未来に関わる課題を専門的に、そして学際的に研究し、科学者の社会的責任を果たす道を追求してきました。この総合学術研究集会は、とくに(1)総合的な研究者の活動、(2)科学者の責務を自覚、(3)運動体として、住民の生活の改善との結びつき、という点ですぐれた特徴を持ち、多くの成果を収めてきました。ここでこの学術研究集会の意義についていま一度確認しておきたいと思います。
 (1)総合的な研究者の活動
 自然科学、社会科学、人文科学の各分野で、研究活動はますます細分化され、研究の「たこつぼ化」が進んでいます。しかし研究が社会的な意味を持つためには、どのような分野であれ、それぞれの研究は「人間の使命」を前提としたものでなければなりません。また専門化にともなう閉塞性を克服し、新たな研究領域を開拓するためにも、狭い研究領域の壁を取り除くことが必要です。研究分野をまたがった総合的な研究集会は、JSAだからこそできる活動です。
 (2)「科学者の責務」
 「科学者の責務」という問題を、最近の社会的動向との関係だけに絞ってみて場合、ここ数年の日本の科学・技術、教育・研究をめぐる状況において、2つの大きな特徴が目につきます。一つは教育・研究に対する国家統制の強化と、軍国主義的な右傾化の方向であり、今一つは新しい形の合理化、効率化の動きです。
(a) 新ガイドライン関連法(日米防衛協力の指針)、「君が代」「日の丸」の法制化、通信傍受法(盗聴法)、石原都知事の誕生と自衛隊主導の防災訓練、憲法調査会設置法、参議院選挙法の改定など、憲法の主権在民の精神に反し、軍国主義の復活をもくろむような右傾化の動きはますます強まっています。
教育・研究の統制や軍国主義化に対しては、過去の戦争の反省をふまえて、科学者としての責任ある立場を表明し、行動していくことが必要です。
 (b)「国立大学独立行政法人化」の方向に見られるように、政府によって、「効率化」「競争原理」を口実にした教育・研究の破壊と、予算配分を通じた統制も強化されています。私たちはこのような「合理化」、「効率化」に対して、正しい研究・教育のあり方を考えなければなりません。「人類の使命」にふさわしい研究や教育を行うことが重要であり、この点で私たちは科学者として自らの研究に責任を持たなければなりません。とくに「効率化」のもとで軽視されがちな基礎的研究のあり方、そして均衡のとれた研究分野のバランスについて十分な配慮が必要です。また研究者の権利を守り、発展させることも重要です。
 (3)運動体として、住民の生活の改善との結びつき
日本科学者会議の活動は、単に研究室のなかにとどまらず、1967年の清水市での第1回公害問題委員会の開催をはじめ、住民の運動と結びついて進められてきました。今回の第13回総合学術集会開催地の大阪でも「黒田革新知事」の実現がありましたが、70年代に全国各地で革新自治体が誕生した時代には、JSAの活動やJSA会員の努力を通じて、地域住民のための科学を具体化するという点ですぐれた成果がもたらされました。環境問題、住民自治が大きな関心を呼んでいる現在、この13総学において、科学者の国民的課題と科学者運動のあり方について、くわしく検討し、新たな運動を展開することが必要です。

4.13総学の分科会の構成
現時点での科学者の状況を解明し、科学者の責務を明らかにするために、5つの分科会を設定しました。今回は実行委員会が分科会設定のさいにイニシャティブを発揮し、総合テーマのもとまとまりのある研究集会を開催しようと努力しました。
 ここでそれぞれの分科会の趣旨を確認しておきたいと思います。
(1)第1分科会「21世紀に向けて平和の文化を築く」
 20世紀の戦争の時代を反省し、そこからの教訓を学び取って、国連憲章や平和憲法成果を発展させるために、何よりもまず平和の文化を築かねばなりません。  
 私たちは日本の科学者の国際的な責務に鑑み、諸国民と手を携え、真に平和で豊かな社会を将来の世代に手渡さねばなりません。本分科会では、その歴史的使命に全面的に応える上で、科学と科学者はいかにあるべきか、総合的な討論が求められます。
(2)第2分科会「永続可能な社会へ:環境とエネルギー・物質・経済のシステムを求めて」
 「明日は、もっと豊かな生活を」と求めてきた人間の活動は、人間の生存基盤を破壊しながら進められてきました。それが有限な地球の限界をすでに脅かしていることは、明らかです。ここではもっとも危機的な領域をいくつか取り上げて、克服の方策を探ります。
永続可能な社会へ前進するには、社会の主人公である住民が力を発揮しなければなりません。最近の住民運動に学びながら、変革に主体に関わるJSAの活路を探ります。
(3)第3分科会「生存と生活の安全を守るシステムづくり」
 これまでの科学技術の発展は私たちや次世代の生存や安全を妨げるマイナス要因もたらしています。21世紀の科学はこれらのマイナス面をいかに解決すべきかを討論します。
(4)第4分科会「人間の尊厳を守る社会システムを実現する」
 第2次世界大戦後日本では主権在民が憲法で規定され、女性にも参政権が与えられるなど、基本的な人権が法律上は確立されました。しかし性差による差別や、子供の人権、労働条件など、人間の尊厳がしばしば踏みにじられています。諸外国も含めてすべての人間の人権が、高度に擁護される社会にするために討論を行います。
(5)第5分科会「変革の柱としての科学と教育」
 今日科学と教育の自由な発展を阻害している要因を明らかにし、科学と教育のあるべき姿を探ります。科学者の研究条件の改善のために何が必要か、21世紀の科学者の社会的責務とは何かについて議論します。

 実行委員会では以上の5つの分科会を設定しましたが、「大学改革と独立行政法人化」と「研究者の権利問題シンポジウム」は重要な問題として別個に討論する必要があると判断し、それぞれ第6分科会と特別のシンポジウムとしてプログラムを設定しました。
 
 それぞれの分科会に共通する課題として、とくに(a)総合的研究の密度・質を高める、(b)研究内容と現実的変革(運動)との有機的結合(とくに社会科学や人文科学の場合)、(c)新しい技術の発展(IT革命)と教育・研究の変化、(d)科学者会議の活動の継承と発展、とりわけ若手後継者、などの問題があります。
 なおポスターセッションでは、「伊豆諸島近海地震による三宅島・神津島・新島の斜面災害」、「沖縄戦と基地」、「義務教育から科学が消える」などの興味深いポスターや各支部・研究委員会・問題委員会からの活動が紹介されます。
 3日間の総合学術研究集会で、みのりある研究発表と討論が展開されますよう期待します。


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