『原子力発電導入の歴史と撤退に向けて』まえがき
世界で唯一の原爆被爆国日本が、1個の原爆の何万倍もの「死の灰」を生産する原子力発電を何故導入することになったのか?
この一文は、2011年8月、地域の小さな保育園の「9条の会」の原発学習会において、上記のテーマでの講演を依頼されたのを契機に、我が国の原子力発電導入の歴史的経過をたどってまとめた講演資料に、その後加筆して文章としたものである。
我が国の原子力発電導入には、北東アジアにおける政治状況の変化と太平洋戦争後の我が国の産業が急速に復興する中で生じた深刻な電力不足という、二つの要因が挙げられる。
前者は、1949年のソ連邦の核実験成功による核兵器のアメリカ独占の崩壊と中華人民共和国の誕生である。日本列島は、当時敗戦により連合国軍が占領統治していたが、1951年のサンフランシスコ平和条約締結と同時に、日本とアメリカは日米安全保障条約を結び、日本列島各地に米軍基地が設置された。米軍基地の設置は同時に核兵器の配備を意味するが、核被爆国日本の世論は、核兵器の持ち込みは認めない状況であった。
アイゼンハワー米大統領により1953年12月の国連総会において提案された「平和のための原子力」は、日本語訳を資料(1)に挙げてあるが、日本を十分に意識して行われたと思われる。演説の終りのところで彼は国際機関設置を提案して、その機関の重要な役割として「世界の電力の不足する地域で、あり余る電力を提供することもその特別な目的となる。」と述べている。深刻な電力不足に陥っていた日本では、翌年3月、第19国会で審議中の昭和29年度予算案に「原子炉築造を図る経費2億3500万円」が修正提案として計上され、可決成立した。これ以降、産・官・学による「原子力の平和利用」体制の構築が進められ、基礎研究を重視する学術会議の慎重派を排除して、産業界特に電力会社を中心とする原子力産業会議の発足を見て、我が国の原子力発電事業は急速に展開されることになった。これらの経過の概略をⅠとⅡに述べてある。
Ⅲは原子力発電技術の危険性と再生可能エネルギー利用へのシフトについて触れてある。核分裂エネルギーを利用する限りは、「使用済み核燃料」には長半減期で強い放射能をもつ放射性物質が大量に含まれている。狭く継続的に地殻変動をする日本列島にはこれらを人の暮しから隔離保管する場所は、例え深地層といえども、存在しない。この一事だけでも、電力会社は電力供給という社会的責任を果たすべく、原発を廃棄して、再生可能エネルギーの利用に取り組むべきである。
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