『原発事故1年半 鎮魂と希望をめざして』まえがき
原発問題住民運動全国連絡センター主催の「鎮魂と希望をめざす・全国交流集会in福島」が9月2日、福島市内で行われ、26都道府県から360人が参加して開催された。
来賓として原発をなくす会を代表して小田川義和 全労連事務局長、米田貢 日本科学者会議事務局長、吉井英勝 日本共産党衆議院議員が挨拶。ふくしま復興共同センターの佐藤晃子さん、菅野典雄飯舘村長が「現地からの報告」を行った。筆頭代表の私が「問題提起」を行った。
午後は「鎮魂と希望をめざすシンポジュウム」が大槻眞一 前阪南大学学長、立石雅昭 新潟大学名誉教授、野口邦和 日本大学歯学部准教授、岩井孝 原研労組委員長によって行われた。質疑応答のあと、会場から12人が発言。福島原発事故の体験と教訓が熱心に語り合われた。集会は「福島からのアピール」を採択した。
全国交流集会は毎年行われてきたが、今回は世界最初の「原発震災」の被災地となった福島で行われたこと、全村避難の飯舘村を視察したことなどを含めて歴史的な集会となった。この集会で行った問題提起が最初に出てくる「住民運動の諸課題を考える」である。
次に出てくる「原発問題あれこれ」は福島県年金者組合の機関紙「年金者しんぶん福島」に連載した記事から選んだものである。2010年暮れ、佐藤征司書記長から「県民多数の反対にもかかわらずプルサーマル計画が強行されたので、あらためて原発問題に焦点を当てたい。自由に書いてください」というありがたい話があり、1年間の約束で2011年1月から連載が始まった。
1回目「俳句、短歌,詩に詠まれた原発」、2回目「原爆と原発」と題して掲載された。ところが3回目「原発と被曝」の原稿を送ったすぐ後に東日本大震災・原発事故が発生した。
以後、内容は苛酷事故問題に絞られ、掲載期間も半年間の延長となり、2012年6月まで18回の連載となった。したがって4回目以降の原稿は、県内の草の根学習会ややがて声がかかった県外での講演会などに出かけるなかで書き綴ったものであり、『原発問題にせまるⅡ―苛酷事故の被災地福島から』(陽光印刷センター、2012年)に収められている。
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