『シビアアクシデント ― 欠陥商品としての軽水型発電炉』 まえがき
福島原発事故で、広範な放射能汚染という大災害をもたらし、多くの人々の生活を根底から覆した原発、これをどう考えるかについて、様々な議論がある。原子力が単なる技術問題という範疇を超えて、社会的経済的、あるいは核兵器という存在を通じて、国際政治にまで関連する分野である以上、様々な人が様々な立場で発言するのは当然であるが、少なくとも原子力発電の安全性が焦点となる以上は、「科学技術的に安全問題を突き詰める」ことが必要であろう。また、かつて原子力分野の研究に従事した人間としては最低の義務であろうと考えて、書いたのがここに掲げる論文である。
エネルギー生産技術としての原子力発電は、①重大な事故を起こす可能性がある、②放射性廃棄物の処理処分技術が確立していないという二大欠陥を持っている。こうした欠陥がある以上、利用可能な術としての市民権を持っていない。
いま②の点はさておいて、なぜ①の重大な事故が避けられないのであろうか。それは福島事故の初期過程を見てもわかるように、いま我々の使っている軽水炉が、あらかじめ備えられている安全装置では収拾できない、設計者も責任を負いきれない「シビアアクシデント」という種類の事故を起こす固有の特性を持っているからに他ならない。なぜシビアアクシデントという欠陥を内在させている軽水炉が、「安全である」「実証済み」としてまかり通ってきたのか、今後さらに、技術的側面あるいは技術史的側面から問題を掘り下げる必要があると考える。
チェルノブイリ原発事故の経験を経たヨーロッパなどでは、シビアアクシデント対策が進んでいる。従来の三重の防護に加えてシビアアクシデント対策を含めて五重の防護の壁ということも言われている。これはシビアアクシデントが起こらないものとして対策を怠ってきた我が国に比べれば安全側であることは明らかである。しかしながら、シビアアクシデントを前提として原発を運転するということは、起きても驚かない、つまりそれを許容するという考えにも通じる。その意味で原子力は「シビアアクシデント時代」を迎えたといってもよいだろう。
筆者は、このようなシビアアクシデントという本質的欠陥を内包する軽水型発電炉は一刻も早く廃止にすべきであると考えている。なお、本欄掲載の論文を中心として、軽水炉開発の歴史、シビアアクシデントとしてみた福島事故の経緯、などを『シビアアクシデントの脅威―科学的脱原発のすすめ』(東洋書店、2012年12月出版予定)としてまとめたので、ご参考にしていただければ幸いである。
舘野 淳
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