『原発事故から1年 -福島県の汚染と被害状況-』まえがき
福島第一原発事故による被害状況をこの目で確かめたいと,事故発生以来,ずっと考えていました.そうしたなかで,住民運動のリーダーで日本科学者会議会員の伊東達也さん(福島県いわき市在住)から,「石川の皆さんでぜひ,現地調査団を福島に送ってください」とのお誘いを受けたのが,昨年10月のことでした.以来,調査団を送るための話が進められ,伊東さんの「雪が融けてからがいいでしょう」のアドバイスで,春に福島にうかがうことになりました.
2012年4月10~12日,石川県から11人が事故から1年1ヵ月を経過した福島を訪れ,宮城県からの4人と合流し,伊東さんや早川篤雄さん(福島県楢葉町から,事故のためいわき市内に避難),渡辺博之さん(いわき市議)の案内で,①4台のサーベイメータによる空間線量当量率の測定,②聞き取り調査(原発事故から1年を経て明らかになった被害状況と今後の課題,原発労働者の状況,東電・自治体などの動き,漁業被害の状況),③いわき市から楢葉町(「警戒区域」入口)までの,原発事故・地震・津波の被害,住民の生活実態の調査―などを行いました..
空間線量率の測定は,3台のシンチレーションサーベイメータ,1台のGMサーベイメータで行いました.これだけの測定器を住民運動が準備して行った測定は,あまりないのではないかと思います.浪江町赤宇木手七郎では,3台のシンチレーションサーベイメータが振り切れてしまい,GMサーベイメータで80μSv/hを記録しました.金沢の約1千倍.一同は声を失いました.
聞き取り調査では,以下のことが明らかになりました.放射能汚染は住民に深刻な分断と対立をもたらし,それは親子にも及んでいること.福島第一原発から60km圏の福島・二本松・郡山・伊達の各市では,若いお母さんたちは避難するかどうかでじりじりしており,1年経ってもパニックが続いていること.約90kmの会津若松市は修学旅行のメッカだったが,事故後,訪れる人が95%も減ったこと.福島県沖には豊かな漁場が広がっているが,放射能汚染のため漁に出ても魚が売れず,津波から命がけで守った漁船は港に係留されたままであること.
福島県は,事故当時0~18歳の子ども36万人について,甲状腺検査を生涯続けることを決めています.それほど長く,健康への不安は消えません.事故原発の廃炉には30年以上かかると考えられており,60歳以上の福島県民は,本当の意味での事故の収束を見ることなく,この世を去らざるを得ません.
福島県での調査で,目に見えない放射能汚染がいかにやっかいなものかを目の当たりにしました.調査結果を多くの人びとに知らせ,原発からの撤退,自然エネルギーへの転換の運動を大きく広げたいと思っています.
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