支部声明「教育基本法の改悪を阻止し、憲法・教育基本法の精神をいかそう」
2006年11月7日
日本科学者会議福井支部幹事会
現在、政府・与党(自民党・公明党)は教育基本法「改正」案を国会に提案し、12月の会期中での成立を策動している。政府・与党は戦後の平和と民主主義の象徴である憲法・教育基本法の精神を否定し、新自由主義・新保守主義の国づくりを目指している。現在、いじめによる自殺問題や高校の単位未履修問題が焦点となり、教育の在り方が根本から問われている。今回のいじめ問題と高校の単位未履修問題は、学校教育の在り方を根本から問い直すことを要請しているが、教育基本法を「改正」することの理由には断じてならない。むしろ現行の教育基本法の精神を学校教育の中にいかし浸透させていくことこそが求められる。9月2日の青森県でのタウンミーティングで、文部科学省及び内閣府が「改正」案賛成の質問を地元の学校関係者に依頼していた問題は、改悪を強行しようとする政府の世論誘導の策略であり、断じて許すことができない。
教育基本法は、戦後日本の民主化の過程で平和・民主主義の理念をかかげた日本国憲法を踏まえた「教育憲法」(準憲法)ともいえるもので、戦前の教育勅語にかわる崇高な理念を掲げたものである。作成主体は当時の教育刷新委員会や文部大臣などであり、決して占領軍に押しつけられたものではない。今回の教育基本法改悪の問題点は以下の諸点にある。
第1は、今回の「改正」の必然性・必要性の明確な説明がなされていないことである。戦後、憲法・教育基本法の改悪は何度も策動されてきたが、平和・民主主義の世論がそれを阻止してきた。今回の「改正」案もその反動化の流れにあるが、なぜ今「改正」するのかの説得的な理由がまったくなされていない。
第2は、「改正」案には新たな条項として「教育の目標」(第2条)が付け加えられ、国民に求められる「必要な資質」として20項目にも及ぶ価値や態度が細かく規定されていることである。現行の「教育の目的」条項(第1条)は、戦前の国家が国民の精神や教育内容を統制し、侵略戦争に国民を動員した忌まわしい歴史への反省から、教育は、「人格の完成」という教育本来の目的達成のために行われるべきものであって、国家が政策目的を実現するために教育を利用し統制することを二度と繰り返してはならないことを規定している。本来、教育の根本法である教育基本法は、教育の自由を掲げ国家統制批判の法としての性格を有しているが、今回の「改正」案はこれに反して、具体的な教育価値や教育内容を定め、それを管理する教育内容統制法に180度転換するものといえる。
第3は、その「目標」の一つに、「国を愛する態度」が書き込まれ、その愛国心を国家が統制することが法的に正当化されようとしていることである。人間の態度や内心を拘束する法律への「改正」それ自体が、日本国憲法に違反するものといえる。9月21日の東京地裁による国旗・国家強制の違憲判決は、まさしくそれを指摘している。
第4は、教育の自由の理念が大幅に後退させられていることである。現行法には第10条(教育行政)に書かれた3つの理念により教育の自由の論理が明確に組み込まれている。つまり、@「不当な支配」の禁止規定、A「国民全体に対し直接に責任を負」うという「直接責任性」の規定、B「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」という規定、の3つの理念である。これに対して、「改正」案(第16条「教育行政」)は、@の「不当な支配」禁止規定を否定し、「法律の定めるところにより」という文言を付け加えることで法律や通達などの形で示される政府の命ずるところに従う規定となり、Aの「直接責任性」は完全削除、Bの「条件整備行政」の規定も削除、という大きな問題を抱えている。
第5は、教育振興基本計画の根拠規定が第17条に盛り込まれていることである。このことは、閣議決定されればただちにその内容が現場に強制されるものとなり、本来の教育基本法の役割である政府の監視の法から、政府の一方的な法文解釈と政策を絶えず合理化して現場に具体化していくための法に変質させられるものとなることである。
以上の5点の問題点を踏まえれば、「改正」案は、教育と国民の思想に対する国家統制法であり、教育の自由の原理を踏みにじり競争と格差拡大を進める現在の新自由主義的な教育改革を正当化し権威化していくものである。
以上、日本科学者会議福井支部は、教育基本法の改悪を阻止し、憲法・教育基本法の精神をいかすために全力をつくすものである。ここに決議する。