中央教育審議会は,2005年1月28日に,「我が国の高等教育の将来像」という答申(以下「答申」)を提出した.この「答申」は,21世紀が「知識基盤社会」の時代であるという認識のもとに,高等教育は個人の人格形成上も国家戦略上もきわめて重要であるとし,2020年頃までの中長期的な高等教育の将来像(「グランドデザイン」)と,その実現に向けて取り組むべきさまざまな施策を示している.
「答申」はまず,「我が国の高等教育が危機に瀕している」との認識を示している.しかし,「答申」は,そのような結果をもたらしたこれまでの高等教育に関する政府の政策についての検討をおこなっていない.わが国の高等教育がさまざまな矛盾と困難を抱えていることは事実であり,このことを主体的に改革する必要があることは言うまでもない.しかしながら,現在の高等教育における主要な困難は,1980年代以降の行財政改革のもとで,国が高等教育財政を抑制・削減した上で,財政誘導等の手法をもちいながら,大学の諸改革(一般教養軽視,即戦力型専門教育重視,法人化など)を政策的に誘導してきたことに起因するものである.
「答申」は,「他の先進諸国に比べて必ずしも十分とは言えない高等教育の経済的基盤」を指摘し,高等教育に対する公的支出を欧米諸国並に近づける必要にも言及している.しかしながら,「高等教育の受益者は学生個人のみならず社会全体である」という視点から,社会の側が高等教育を積極的に支援するという「双方向の関係の構築」を重視し,高等教育への財政支援において,国の責任をあいまいにし,その代わりに民間資金導入を積極的に求めている.そのため教育基本法(第10条2項)にもとづく国の財政面における教育条件の整備義務が相対化され,具体性を欠く内容となっている.
日本政府は,国際人権規約A規約第13条2項(c)に対して留保を付しており,高等教育の無償化を拒否している.そして社会権規約委員会は,日本政府に対して「留保」の撤回を勧告している.「答申」は,このことを看過している.
「答申」は,2007年には大学・短大の収容率が100%になるとの予測をもとに,従来の「高等教育計画の策定と各種規制」から「将来像の提示と政策誘導」へと政策を転換するという.それは,国が高等教育のあるべき姿や方向性を提示し,各大学には,その選択肢の中から選択するという限定された「自由」しか認められていないことを意味する.それゆえ「答申」では大学に対して「一定の自主性・自律性」だけを「承認」し,「大学の自治」,「学問の自由」(憲法第23条)について触れていない.このことは,「答申」の致命的な欠陥である.
これまで私たちは,政府の高等教育政策が,大学の種別化・差別化をはかりながら,全体として高等教育機関の国家目的への従属化,産業界への従属化をめざすものであり,憲法・教育基本法の精神に反するものであると批判してきた.今回の「答申」も,教育基本法「改正」を前提に書かれているなど,その基本において,従来の高等教育政策をいっそう推進するものである.
私たちは,高等教育にさらなる困難をもたらすことになる「答申」に強く反対する.
私たちは,国民の教育を受ける権利を保障する高等教育実現をめざし,国が財政責任を果たすよう求めるとともに,憲法・教育基本法の精神にもとづく学問の自由・教育の自由の保障をあらためて要求する.
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