JSA

日本科学者会議は2003年5月24-25日に東京で開催した第35回定期大会において
 以下の決議を採択しました (PDF版


日本ケミファにおける不当配転・賃金昇格差別争議事件の早期解決を要請する決議


 2000年4月、日本ケミファ株式会社は同社で長年研究職として働いてきた丹生淳郷・薬学博士を、事前の打診もなく同社の茨城工場に配転を行った。日本ケミファは、同氏が筆頭発明者として特許出願中のアレルギー診断薬事業化のために同氏の工場配転が必要であると主張した。しかし、埼玉県地方労働委員会は、2002年7月、本配転を「業務上の必要性を仮装した不当労働行為」と明確に認定し、原職復帰・謝罪の命令を下した。日本ケミファは、埼労委命令を不服として中央労働委員会に再審査申し立てを行い、2003年1月20日、2回の審問で結審した。審問の中で、同氏の配転により研究開発業務ほか従前の業務に支障をきたしていること、日本ケミファが同氏の業績を最大級に評価しているにもかかわらず、人事考課査定は平均以下とする差別待遇を行っていることが、会社証言から明らかとなった。
 研究者・技術者が中心となって「真に国民の役に立つ薬作りをしたい」との要求で結成された日本ケミファ労働組合を嫌悪し、初代委員長である丹生氏に対し、往復4時間を要する遠隔地工場への配転により、研究の機会を一方的に奪い、精神的・肉体的苦痛を強要していることは許しがたい。日本ケミファは、アレルギー診断薬の学会発表に際し,筆頭発明者である同氏の氏名を削除した。また、同氏は県知事から委嘱され、2002年8月より埼玉県環境審議会委員に就任しているが、日本ケミファは同氏の審議会出席の便宜すら拒否している。このように日本ケミファは、思想・信条により研究者の業績を抹消する憲法違反の暴挙、企業の社会的責任に背を向ける行為を重ねている。
 そもそも、日本ケミファと同社の労働組合との間には20年以上にわたる労使紛争が続いており、8件の裁判所決定や労働委員会命令はすべて、日本ケミファの一連の不法行為を厳しく糾弾した。それにもかかわらず、日本ケミファは「これらの司法・行政判断はすべて間違っている」と公言し、全く反省の態度を見せていない。このような順法精神を欠如した経営姿勢が、1982年の「新薬製造承認申請データ捏造事件」という薬事史上例を見ない不祥事を引き起こし、80日間の業務停止処分を受けたのであった。
 厚生省(当時)も「労使不正常な企業に不祥事が多いことに蓋然性がある」と指摘している。日本ケミファ労働組合は、新薬データ捏造事件直後の1983年、事件の再発防止と製薬業界の体質是正に向けて「日本ケミファ研究開発倫理綱領」を発表し,同文書の精神は、同じ年に日本製薬団体連合会が策定・公表した「製薬企業倫理綱領」として結実した。
 専門家である製薬企業内研究者と技術者の権利および地位、ならびに職場の民主主義を擁護することは、研究者個人の問題にとどまらず、国民の生命と健康を守るためにも必要不可欠の課題であることは、これまでの薬害事件などに照らして明らかである。それにもかかわらず、同社が無反省に丹生氏への不当な処遇を行いつづけていることは容認できない。
 日本科学者会議第35回定期大会は、科学者の生活と権利を守り、研究条件の向上と研究組織・体制の民主化につとめてきた学会として、日本ケミファに対し、丹生氏の早期原職復帰の実現および不当差別撤回と、製薬会社としての社会的責任に背を向けた姿勢を改めることを要求する。

2003年5月25日
日本科学者会議第35回定期大会