JSA

2003年3月3日
日本科学者会議沖縄支部

声明 国立大学法人法案に反対する

 政府は2月28日の閣議において「国立大学法人法案」(以下、「法案」と記す)を決定し、国会に提出した。法案は国立大学制度を解体し、大学の本質を損なう重大な内容をもっており、日本の大学の歴史にかつてない危機をもたらすものである。
 法案では、国が大学ごとに「国立大学法人」をつくり、国立大学法人が国立大学を設置するとしている。学校法人によって設立されている私立大学の多くは健全な運営を行っており、法人が学校を設置することそのものは必ずしも異常な事態をもたらすものではない。
 しかし、法案が行おうとしている国立大学の法人化は、大学の性格を一変させるものである。
 第一に、大学に対する異常な国家統制が導入されることになる。
 法案によれば、大学における教育研究や運営について、国が定めた目標に基づいて、大学が「中期目標・中期計画」を策定し、その達成度を国が評価する。評価結果に応じて各大学の予算配分の変更、大学の存続、法人の長(学長)の解任などの決定を、国が行うことができることになる。
 すなわち、法案の描く法人化後の国立大学は、大学の研究や教育の方向を、ときの政府が定め、それに従わない国立大学の改廃も可能にするというものである。学問の自由、教育の独立など、憲法・教育基本法の原則に真っ向から反する制度であり、国立大学やその構成員の自主性を踏みにじるものである。
 大学をトップダウン式の組織に変えるため、大学運営も一変される。評議会・教授会が中心となっている現行制度から、強大な権限をもった学長と、学長が選ぶ理事からなる役員会が、大学運営の中心となる。教員は自らの大学の運営に直接タッチできなくなるのである。しかも、学長の選任方法は学長自身を含む選考委員会が決定するので、一度就任した学長が悪意をもてば、大学を事実上私物化することさえ可能な制度となっている。
 第二に、国立大学法人は、「独立行政法人」の仕組みを下敷きにしており、教育機関になじまない制度になっている。このことは、上に述べた国の介入とトップダウン式の経営という制度にのみ現れているのではない。「企業会計原則」にもとづき、営利企業経営の論理にもとづいて運営されれば、至る所で矛盾に直面する。例えば、大学が長年にわたって収集してきた蔵書の資産価値を算定して記録しなければならないが、このような業務は教育・研究活動の足伽にしかならない。
 人事の面でも、流動性を高め、社会の要求に応えるためとして、教員への任期つき雇用が大幅に拡大されようとしでいる。しかし、すぐれた教育や研究とは何か、また、それを評価する指標とは何かについて、国際的に定まった基準はない。むしろ、そのような基準を作れないことが教育・研究の本質である。このようなもとで、解雇におびえさせても教育研究を改善することなど期待できない。逆に、教員の地位を不安定にすれば、教員は悪しき業績主義に走らざるを得ない。きめ細かな教育はおそろかとなり、学生は著しい被害を受けることとなろう。研究は短期で目に見える成果の出る安易なテーマだけが推進されることになる。さらに、若手の研究者にとって大学は極めて不安定な雇用の場となり、特に地方大学は優秀な研究者を確保することが困難となり、厳しい危機に立たされよう。
 第三に、法人化の狙いは、国の教育・研究への財政負担の削減である。国立大学法人は、独立した財政基盤をもたず、国の「運営費交付金」と民間からの資金(寄付や委託研究の費用など)に依存する。法人化は、国の大学に対する直接の財政負担の責任を逃れる仕組みである。
 そのことによって、国立大学を民間からの資金調達競争にかりたて、財政力のある大手企業の期待する研究・教育を行うようにしむけ、もうからない地道な研究や、零細な地域産業・地域社会の期待に応えるような研究・教育は軽視される。
 さらに、各大学が、大学の運営のために学費のいっそうの値上げに走ることは避けられない。文部科学省は、最大35%までの学費値上げ幅を明らかにしている。また、学部ごとの学費の格差の導入なども予想され、教育を受ける機会の均等は崩壊する。とくに、所得水準が低く、また島喚県で離島格差もある沖縄県では、若者に総合大学における高等教育を保障する基盤が失われるのである。
 このように、法案は、大学財政を手厚く保障し、学費を無料か低額にしている国際水準に反し、国連(ユネスコ)で合意されている方針と正反対を目指す、歴史的な逆行である。
 私たちは、大学の教育と研究を守り発展させ、沖縄の地域社会に期待される科学の正しい発展と普及をすすめるため、国立大学法人化法案に反対し、撤回を求める取り組みを進めるものである。