「遠山プラン」に対する見解 |
2001年7月30日 日 本 科 学 者 会 議 |
去る6月11日、経済財政諮問会議において遠山文部科学相は、「大学(国立大学)の構造改革の方針−活力に富み国際競争力のある国公私立大学づくりの一環として−」および「大学を起点とする日本経済活性化のための構造改革プラン−大学が変わる、日本を変える−」(いわゆる「遠山プラン」)を提出した。内容は短いものであるが、今後の大学の在り方について言及したものとして極めて重大な内容を含んでおり、看過することはできない。 問題点の一つは、行政改革の真のねらいである強力な中央集権化による強大な国家づくりの中心的な役割を果たす内閣府につくられた経済財政諮問会議において、これまでの文部科学省の議論の枠を超えたわが国の国・公・私立を含む全大学の在りようが、大学改革の基本方針として出されていることである。 二つは、今世紀最初の国政選挙である参議院選挙を前にして、小泉政権の異常人気を背景に、短期的な視野で考えられているにすぎない経済活性化策に直接役に立つことを大学に要求し、大学が本来持っている経済や産業の活性化に果たしうる真の可能性を奪い去る再編計画を強引に推し進めようとしていることである。これはわが国の教育・学術・文化、産業・経済、医療・福祉等を支えてきた国民的財産である大学に対して、経済が困難な状況の中で国民がもつ期待にまったく逆行するものである。 その三つは、格差・選別によってまともな教育もできない貧困な環境を多くの大学に押し付け、先進資本主義諸国ではまれにみる高学費を学生に課してきた責任には全く触れないだけでなく、わが国の大学の拡充発展を願う真摯な大学人による改革論議を無視し、経営的発想によるスクラップ・アンド・ビルトにもとづく大学の統廃合、独立採算性を前提にした法人化に加えて、第三者機関による評価や財政誘導による競争によって、国公私上位30大学(5%)のみを重点化し、残りの95パーセントの圧倒的多数の大学を淘汰するという計画を具体的に示したことである。 ここには、憲法が保障する学問の自由、教育基本法が示す教育の目的を実現するために大学が高等教育機関として果たしてきた役割、世界の平和と人類の福祉のための貢献を前進させるという姿勢が全く欠如している。単なる目先の国策遂行のための新産業創出および人材育成機関としてしか大学を位置付けていない。「大学が変わる、日本を変える」と言うが、真意は「大学を変えて、日本を変える」ことにあるのであろう。まさに、「遠山プラン」は「改革」の名のもとに国民に「痛み」を強いる政策と軌を一にしたものである。 国立大学の独立行政法人化の問題が「行政改革」による公務員削減の数合わせとして出され、それが大学人による真摯な大学改革の願いとも、国民の大学に対する期待とも無縁であったように、この「遠山プラン」も国民の求める高等教育への要求とは逆行しており、その行き先は「大学の破壊」につながり、国民の高等教育を受ける権利と機会を奪いかねないものである。この意味では、「遠山プラン」は大学のみではなく国民全体にかけられた攻撃でもある。 1998年のユネスコ「高等教育世界宣言」などに見られるように、世界的に見ても高等教育の重要性が改めて問われ、その充実が求められている。わが国で今必要なことは、政府の示している、いわゆる「骨太」な構造改革の方向ではなく、管理統制、格差分断、貧困放置の教育行政を改め、教育・研究環境を飛躍的に整備拡充することが可能な大学財政を保障することである。特に高等教育においては、文化の拠点として、将来の発展を展望し、大学の全ての面にわたっての拡充を図ることである。いまこそ、例の「百俵の米」が教育に対して投じられたものであったことを思い起こすべきであろう。 |