JSA

国立大学の独立行政法人化問題に対する第三次見解

2001年5月26日
日本科学者会議


 日本科学者会議は、国立大学の独立行政法人化問題について、これまで二度にわたって見解を公表してきた。「第一次見解」(1999年8月10日)では、「通則法」のもとでの独立行政法人化が、教育研究の場である大学にはなじまず大学制度を根本的に変質させるものであると警告し、「第二次見解」(2000年5月19日)では、自民党文教部会・文教制度調査会合同会議の「提言 これからの国立大学の在り方について」(2000年5月9日)の決定をうけて、独立行政法人化の道が学問・研究の自由、大学自治の破壊に直結し、大学本来の可能性を閉ざすものであると厳しく批判した。そして今回、国立大学協会(以下、国大協という)の設置形態検討特別委員会が「検討案」をまとめ、6月12〜13日の定期総会に提案が予定されている情勢のもとで、独立行政法人化について三たび見解を公表するものである。
 自民党の「提言」以後、昨年5月26日の国立大学学長等会議で中曽根文相(当時)が、独立行政法人制度が国立大学の特性や役割・機能に照らして国立大学に十分適合するものであるとして、その検討の開始を表明すると、独立行政法人化の構想の具体化の道が政府サイドで一気に加速していった。これに対し、国大協は6月14〜15日の定期総会において、�通則法の適用に反対する姿勢は維持され今後も堅持される、�「設置形態検討特別委員会」を国大協内に設置し政策提言する、�文部省の「調査検討会議」に積極的に参加する、�学術文化基本計画の策定を課題とする議論の場を設定する、の四点について全会一致で合意した。
 国大協は、文部省側の議論に国立大学の意向を強く反映させたいとの趣旨で「調査検討会議」への参加の道を選んだのだが、「調査検討会議」の議論は、作業委員の論点整理を見るかぎり、一昨年9月の文部省による「国立大学の独立行政法人化の検討の方向」に沿うかたちになっている点で、かぎりなく通則法に近いかたちへと国立大学を導こうとするものとなっている。

 それに対し、国大協内部の議論が当初のもくろみ通りには進まず、遅れをきたすなかで、本年2月7日に「国立大学法人の枠組みについての試案」(長尾試案)が出された。「長尾試案」は、「国立大学法人法を独立行政法人の基本的枠組みを参考にして作る」とあるように、政府・文部科学省の路線に迎合し、通則法に則った法人への道を自ら開くものであった。その後、国大協の設置形態検討特別会議の議論のなかで、5月7日に設置形態検討特別会議 専門委員会連絡会議による「国立大学法人化の枠組み(検討案)」が提起され、5月21日の設置形態検討特別委員会のなかで一部修正して了承され、理事会の議を経て6月12〜13日の国大協総会に提案される予定である。この「検討案」をまとめるにあたっては、すでに文部科学省とのすり合わせもおこなわれており、近く文部科学省も大筋ほぼ似たような案を出すものと思われる。
 設置形態特別委員会で了承された「検討案」は、いわば総論部分にあたる「国立大学法人化についての基本的考え方」(以下、「基本的考え方」という)と各論の「国立大学法人化の1つのありうる枠組」(以下、「枠組」という)からなっている。「基本的考え方」は、「1高等教育・学術研究にたいする国の責務」「2 大学の自主性・自律性」「3 社会にたいして開かれた大学」の3点にわたって、国立大学の現状認識や存在意義についての基本的考え方を示し、「枠組」は、「�.法人の基本および組織・業務」、「�.目標評価」「�.人事制度」「�.財務・会計」にわたって、計96項目からなる具体的提案をおこなっている。
全体を通して特徴的なことは、一方では、「社会に役立つとは、日本の現実においてときとして受け止められがちな現状の社会に直接的・即応的に役立つという意味においてのみ理解されるべきではない。それのみを追求するならば、高等教育研究は退廃するし、社会の発展にもつながらない。社会に役立つかどうかは、グローバルな視点、長期的な視点、あるいは現状変革的な視点など、幅広い視点で複眼的に観察されなければならない」と述べるなど、「基本的考え方」は積極的に評価できる面を含んでいるが、しかし、他方で、「枠組」は、これまでの「長尾試案」よりもさらに後退して、政府・文部科学省や財界の要望を受け入れた、看過できない問題点を含む内容になっていることである。

 基本的な問題点を指摘するならば、第一に、「国立大学法人法」による法人化などを独立行政法人とは異なる法人であるかのように装いつつ、その実、中期目標・中期計画、評価、運営費交付金、等々の独立行政法人の基本的枠組みに沿った法人化案となっていることである。
第二に、評議会を大学の最高意思決定機関から「審議機関」に変え、学長選考や大学運営にかんして「外部有識者の運営への参画を一層拡大する」方向が目指されていることである。「�.法人の基本および組織・業務」に付けられた「注」では、「評議会に外部の有識者を入れる案」や現在ある運営諮問会議の位置付けを変更して役割を強化する案などのヴァリエーションが提案されている。経済産業省の官僚が作成した「国立大学法人法(案)」の狙いの一つが、評議会、教授会をないがしろにして外部者を大学運営に参画させることにあったが、学長選考や大学運営に外部者を参画させる方向は、大学の自治の考え方を自ら壊していくことになるであろう。
 第三に、中期目標・中期計画に関しては、「長尾試案」では「主務省と協議して大学が決定する」となっていたのが、大学が「申請」して文部科学大臣が「認可」すると大きく後退していることである(「代替案」では、大学の「申請を踏まえて」文部科学大臣が「定める」となっている)。しかも、中期計画では、新たに「数値目標」の導入が提起されている。調査検討会議の目標評価委員会作業委員がつくった「中期目標・中期計画のイメージ例」(4月27日)では、例えば「入学時と3年進級時にTOEFLの受験を課し、3年進級時に上位半数の平均スコアが600点になるようにする」などの具体的な数値目標が提起されているし、今年度4月から独立行政法人化された独立行政法人物質・材料研究機構では、中期計画として「毎年度、対前年度比で5%増の外部資金を獲得する」ことや「査読論文発表数は研究者一人当り年平均で2件となる」ことを目標として掲げている。こういった「数値目標」の導入が、教育研究機関としての大学にふさわしいのかどうか、はなはだ疑問である。
第四に、「教員の任期制」の導入を「積極的に」謳っているのも問題である。国立大学への任期制の積極的導入は第2期「科学技術基本計画」にも掲げられたものであるが、「教員人事の流動性を高める」という名目のもとにアプリオリにその導入を図ることは、教育研究の現場に混乱をもたらすことになるであろう。

 第五に、「財務・会計」も基本的な問題がある。まず、「評価結果の予算配分への反映」が謳われているように、評価と予算配分との直結の方向が提起されているし、運営費交付金にかんしては、競争原理が働く「政策的運営費交付金と外的標準的に決まる基盤的運営費交付金によって構成する」と述べられ、基盤的運営費交付金に先立って政策的運営費交付金が重視されるとともに、基盤的運営費交付金の配分方式も大学間格差づけの方向が明示されている。また、膨大な数字となっている「特別会計借入債務」にかんして、従来の国大協の態度を翻して、「借入をおこなった付属病院を有する各国立大学法人」が「計画的に」「返済する」としていることも問題である。
 現在、国立大学の独立行政法人化問題は、切迫する文部科学省による「中間報告」の提示、来年3月の「最終報告」という日程のなかでこれまでにない重大な局面にある。このような局面のなかで、国大協がなすべきことは、文部科学省にすり寄るかたちで妥協を図ることではなく、対立点を明示するかたちで各大学に問題を投げ返して議論を呼びかけることである。
そもそも国立大学の独立行政法人化問題は、行財政改革の一環としての定員削減、財政削減という行政の効率とスリム化の要請に加えて、「科学技術創造立国」「教育立国」によって「大競争時代」を生き抜き、21世紀のフロントランナーたり得んとする国家戦略が重なって急浮上したものである。そこでは、現代社会の「知」をリードし、人類の発展や豊かな国際社会の構築、地域への貢献を担うべき本来の大学の教育研究環境の整備や改革は蔑ろにされたままである。
 昨年度末(3月30日)に閣議決定された第2期「科学技術基本計画」は、「わが国の産業競争力の回復はまだ不十分であり、・・・新産業の創出につながる産業技術を強化し、強い国際競争力を回復することが重要である」と述べているが、これに「科学技術創造立国」論に誘導された21世紀の大学像と改革の方策としての大学管理機構の強化を謳った大学審議会答申「競争的環境のなかで個性が輝く大学」(1998年10月)が合体するとき、「真理の探究の場としての大学」の破壊以外の何ものももたらさない。国立大学の独立行政法人化は、先進国の大学の設置形態や高等教育政策の国際水準に逆行する、大学にたいする圧殺行為であることを銘記すべきである。