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国立大学の独立行政法人化に対する見解


 
                        

  1999年8月10日
                           日 本 科 学 者 会 議



 国立大学は、その在り方をめぐり、戦前・戦後を通じてかつてない重大な岐路に直面している。独立行政法人通則法案や各省庁設置法案等からなる中央省庁改革関連法案が国会で可決され(7月16日公布)、それを受けて政府諸機関の独立行政法人化にむけた動きがあわただしくなり、別枠で扱われるものとされていた国立大学もその例外ではないという状況になってきている。文部省は、2003(平成15)年までに結論を得るとされた国立大学の独立行政法人化について2000年夏までに結論を出す方針を決めたと伝えられ、すでに各大学でも検討が開始されたといわれている。

 急展開をみせる国立大学の独立行政法人化構想
 政府スケジュールによれば、政府は、2001年度スタートの国家公務員定員削減計画を2000年夏までに策定することにしており、それまでに、国立大学の設置形態の在り方をも決定する必要に迫られている。行政改革会議最終報告(1997年12月3日)は、省庁再編が開始される2001年から10年間で公務員定数の10%削減を目標としていたが、昨年夏における小渕首相の施政方針演説では削減率20%にかさ上げされ、4月の閣議決定では、さらに「公務員数を10年間に25%削減する」と、さらに5%上乗せされた。
 独立行政法人化での職員身分には、国家公務員型と非国家公務員型とがあるとされているが、行政改革会議最終報告によると、独立行政法人の職員は総定員法でいう定数には含まれないとされている。その結果、当初の10%削減目標(総定員法上の削減率)の上乗せ削減分を現行職員の独立行政法人移行によって達成する他はないという“数合わせ”の論理が登場することになったのである。そうなると、国家公務員のうち自衛隊員を除いて最大の定員を抱える文部省関係職員のうちの国立大学教官・職員(約12万5000人、総定員の約15%弱)の在り方に関する検討を抜きにしては、削減計画が成り立たないわけである。このような公務員定員の削減のために、日本の教育研究のなかで大きな役割を担ってきた国立大学を独立行政法人化することは、今後の教育研究体制にとって重大な禍根を残すことになるであろう。

 国立大学の独立行政法人化の問題点
 すでに、日本科学者会議は、「国立試験研究機関の独立行政法人化を中止し、基礎・応用・開発のバランスのとれた研究体制の抜本的強化を」(5月10日)と題する声明において、独立法人化の問題点を指摘した(『日本の科学者』Vol.34、1999年7月掲載)。独立行政法人化は、「独立行政法人通則法」(以下、「通則法」)と、今後各独立行政法人毎に定められる「個別法」に基づいておこなわれることになっている。しかし、「個別法」が「通則法」の枠組みを超えることができない以上、基本的には、国立大学の独立行政法人化も「通則法」に縛られることにならざるをえないであろう。そこで、国立大学の独立法人化がどのような問題点をはらんでいるかを、「通則法」に沿って指摘することにする。
 (1)独立行政法人は主務省の監督権のもとにおかれ、事業開始前に「業務方法書」の作成(第28条)、3〜5年の「中期目標」の設定(第39条)、その達成のための「中期計画」の策定((第30条)とともに、各年度毎に「年度計画」を定める(第31条)ことが義務づけられている。主務大臣は、「中期目標期間(3〜5年)の終了時に、当該独立行政法人の業務を継続させる必要性、組織の在り方その他その組織及び業務の全般にわたる検討をおこない、その結果に基づき、所要の措置を講ずる」(第35条)こととなっている。
 (2)「中期目標」で言う目標とは、3〜5年間での業務効率化、国民サービス等の質向上、財務内容改善等を意味し、「中期計画」とは、目標達成のための措置や人件費見積もりを含む財政の計画となっている。このようなかたちの目標・計画設定は、教育研究にはなじまないものである。
 (3)主務省に置かれる独立行政法人評価委員会(第12条)は、主務大臣の認可等に先立って意見を述べるとされている(第35条)。すなわち、各年度毎の年度計画及び中期目標期間の実績についての評価、それらに関する総合的評定及び業務改善勧告(第32、34条)、さらに中期目標期間経過後の業務や組織の在り方についての主務大臣への提言(第35条)をおこなうことと規定されている。このように、評価委員会は、主務大臣と並んで、独立行政法人の生殺与奪の権限をもつ存在であるにもかかわらず、いったい如何なる資格と資質の人々が選任されるかは法令上明らかとはなっていない。
 (4)「政令で定める審議会」(第32条)が、評価委員会にたいして意見を述べ、主要事務事業の改廃について主務大臣に勧告(第35条)をおこなう仕組みも設けられている。
 (5)独立行政法人の財政については、「政府は、予算の範囲内において、独立行政法人に対し、その業務の財源に充てるために必要な金額の全部又は一部に相当する金額を交付することができる」(第46条)とされており、利益処理、借入金、余裕金運用、財産処分等のいずれについても、主務大臣や評価委員会の認可が必要とされる。独立行政法人発足直後から「独立採算」が押しつけられることはないとしても、毎年度、また3〜5年の見直し毎に、予算を通じての統制がおこなわれることは確実である。
 (6)「業務の性格等を総合的に勘案して」(第2条第2項)、役員と職員に国家公務員の身分を与える「特定独立行政法人」では、給与法、国家公務員法等労働条件関連規定が虫食い的に適用除外され(第59条)、労使関係は「国営企業等労働関係法」等に従うものとなっている。しかし、処遇の基本である給与は、「職務と責任に応ずるものであり、かつ、職員が発揮した能率が考慮される」(第57条)となっており、きわめて不安定で、職員間に分断をもたらすものとなっている。
 (7)独立行政法人の長は、主務大臣が任命するが、「事業及び事業に関して高度な知識及び経験を有する者」という要件は必ずしも必要ではなく、「事業及び事業を適正かつ効率的に運営することのできる者」(第20条)も任命することができるようになっている。さらに、「独立行政法人の業務を監査」し、主務大臣に意見提出の権限をもつ監事に至っては、何の資格要件も定められていない。教育研究業務の何たるかを理解せず、「効率化」最優先の「経営感覚」にのみ長けた人物が、国立大学の長や監事になる道が合法的に設けられているのである。
 国立大学の独立行政法人化は、「通則法」をみるかぎり、以上のような問題点をはらんでいる。加えて、独立行政法人により、その「業績」如何によっては、国立大学の民営化の道が開かれるおそれがある。また、主務省の強い監督のもとに、3〜5年の期間を単位にしてもっぱら効率を重視する独立行政法人は、教育研究の場である大学にはなじまないものである。

 日本の大学制度を根本的に変質させる独立行政法人化
 国立大学は、長年にわたり、日本と世界の学術研究と高等教育の機関として重要な役割を果たしてきた。同時に、環境・資源・防災・福祉・医療・教育等の広範な分野における社会の進歩と発展にための知的資源の集積とその活動の場としての実績を積み重ねてくるとともに、大学の教育研究をとおして、バランスのとれた自然像の構築、文化の創造や継承、わが国の歴史の検証、異文化の理解と国際交流の発展等に重要な役割を担ってきた。こうしたことが可能であったのは、法的に保障された自由と大学自治のもとで、短期的な市場原理に左右されることなく、長期的・広域的な視点から教育研究がなされてきたからにほかならない。
 一方、国立大学は、その出発点において「国家有為の人材」を養成する機関であり、歴史的には、その高度な知識をもって侵略戦争の一端を担い、戦争政策を誘導した人たちを輩出してきたことも否定できないが、戦後は、その苦い教訓のもとに人類の平和と福祉に貢献する学術研究や教育にたずさわる多くの担い手を育てるために努力してきた。国立大学が国民のために果たしてきたこうした蓄積と役割は、国民の共有財産ともなってきた。また、国立大学は、比較的低廉な学費によってひろく国民に高等教育の場を提供するという役割をも果たしてきた。独立行政法人化は、将来的には「独立採算制」へ移行する危険性をふくみ、もしそうなれば学費の大幅な値上げは不可避となり、多くの国民に高等教育の道をとざすことになるであろう。
 国家機構リストラの“数合わせ”として、国立大学を独立行政法人化させようとする政策は、国立大学のこのような公共的役割を変質させることになるであろう。そのことによって、日本の大学制度全体が歪められ、国立大学だけでなく、公私立大学もまた効率化を至上目的とするきびしい生き残り競争を強いられることになるであろう。
 独立行政法人化が官僚主義で硬直している国立大学のシステムを緩和し、運営や財政支出の自由度を増すものであるという期待も一部でなされているが、果たしてそうであろうか。大学業績評価には、企業や政府の政策推進者が参画することが十分に想定され、時の政府や財界等の要求に即した研究のみが評価されることにならざるをえず、自由な発想に基づく自主的研究や基礎的研究、さらには学生の教育がおろそかにされてしまう危険性が高い。
 3〜5年の期間で計画を立て、効率化を基準にした評価に基づき存続の可否を検討するという教育研究管理の在り方は、研究をいきおい短期的視野のプロジェクト型研究に閉じ込め、国立大学に期待されている基礎的で長期的展望をもった研究の遂行を阻害し、日本の科学・技術の多様な後継者を養成するという課題にそぐわないものである。教育研究は長期的視野のもとになされるものであり、3〜5年の期間で評価できうる性格のものではけっしてないのである。
 教育研究になじまない「業績」の評価・効率化をもたらす国立大学の独立行政法人化は、国際競争力に勝ちぬくための効率性を追求し、国家戦略を担う研究開発へ重点的に資金を投下する科学技術基本政策に沿ったものであるが、基礎的研究や国民の福祉・自由の拡大につながる教育研究に深刻な影響をもたらすだけではなく、ひいては国家の科学技術の基盤そのものを弱体化させる懸念すらあると断ぜざるをえない。

 以上見てきたように、「通則法」に基づく独立行政法人化は、自由な発想のもとで高等教育や基礎研究を保障していくという国家の公的な責任を放棄するものである。社会進歩に必要な科学技術研究や高等教育、さらに、平和で共生可能な社会を築くための全人類的課題への取り組みは、効率性や競争性になじまない課題であるからこそ、公的責任において果たされなければならないものなのである。ユネスコの「高等教育の教育職員の地位に関する勧告」(1997年11月総会採択)が、「学問の自由を掘り崩しかねない質の悪い政治的圧力によって学術の社会が傷つきやすいことに関心を表明」しているのは、まさにこういった事態の出現状況を恐れてのことにほかならない。
日本科学者会議は、近現代の科学技術の成果が人類社会の発展に大きく貢献してきた反面、戦争や犯罪に利用され、核兵器をはじめとするさまざまな兵器をつくりだして多くの人々を殺傷してきた現実に眼を向けるとき、また、科学技術を利用した無秩序な生産や開発が地球的規模での環境破壊をもたらし、人類の生存を脅かしている現実に眼を向けるとき、21世紀にさらに大きく発展すると考えられる科学技術が人々に害をおよぼし脅威を与えることなく、人類の福祉と生活向上に役立てられるように、そのために大学における教育研究が大きな役割を果たすべきであると考える。
 日本科学者会議は、国立大学の独立行政法人化の内実が、大学の自治のもとでこれまで培われてきた教育研究の在り方を大きく変える多くの問題点をはらんでいることを指摘するとともに、21世紀の日本の高等教育研究の在り方を左右することにもなる重大な決定を一年にも満たない短い期間で下そうとする拙速に何よりも危惧の念を抱くものである。大学人による十分な検討や国民の広範な合意形成のないままに、国立大学を独立行政法人化してしまうことに、日本科学者会議は反対の意を表明する。

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