<声明>
国立試験研究機関の独立行政法人化を中止し、基礎・応用・開発のバランスのとれた
研究体制の抜本的強化を
1999年5月10日
日 本 科 学 者 会 議
政府は、2001年中央省庁再編に関わる諸法案を閣議決定し、今国会での成立に続いて、2000年度予算編成においてその具体化を図ろうとしている。この省庁再編は、国民が期待した政官財癒着の根絶や徹底した情報公開等に背を向け、権力集中と国民生活関連分野の縮小を意図するもので、極めて重大な問題点をはらんでいる。
その際、目玉として導入されようとしている独立行政法人制度は、国民生活に対する国の直接的な責任を放棄するとともに、見かけの公務員減らしを実現しようとする姑息な手段であり、中でも50余の国立試験研究機関を独立行政法人化することを絶対に容認することはできない。
いま政府は、役員と職員に国家公務員の「身分」を与える「特定独立行政法人」なる制度を、国立試験研究機関を含む多くの機関に適用することによって、当該職場内外の批判と不安の声を当面抑え込もうとしている。しかし、決定された法案を一目みれば、矛盾はそれで糊塗されるようなものではなく、独立行政法人化すれば、自律性、自主性、柔軟性が拡大するとして、制度導入への世論誘導をなしてきた根拠も明らかに崩壊している。
独立行政法人化は、今回閣議決定された「独立行政法人通則法」案(以下、「通則法案」)と各独立行政法人毎に定められる「個別法」にもとづいて行われる。通則法案によれば、独立行政法人は、「公共上の見地から確実に実施されることが必要な事務及び事業であって、国が自ら主体となって直接に実施する必要がないもののうち、民間の主体にゆだねた場合には必ずしも実施されないおそれがあるもの又は一の主体に独占して行わせることが必要であるもの」(通則法案第2条)を実施するために設立される組織形態である。この定義は、国民の眼からすればきわめて不明確なものであり、ときの政府によっていかようにも変更可能で、公益上必要でも国自身は実施しないことも許されるという、無責任な制度である。
独立行政法人は、あくまでも法人であり、国の機関ではなく、主務省の監督権のもとに置かれ、「独立」の名に反して、自律性や自主性が奪われる仕組みとなっている。このような仕組みのもとでは、国民に対するサービス低下、公益性の縮小が促進されていくことは不可避である。
例えば、独立行政法人は、業務開始の前に「業務方法書」の作成(第28条)、3〜5年の「中期目標」の設定(第29条)、その達成のための「中期計画」の策定(第30条)とともに、各年度毎に「年度計画」を定め(第31条)ることが義務づけられている。いずれも主務大臣の認可や指示が必要とされている。そして、主務大臣は、「中期目標期間(3〜5年)の終了時に、当該独立行政法人の業務を継続させる必要性、組織の在り方その他その組織及び業務の全般にわたる検討を行い、その結果に基づき、所要の措置を講ずる」(第35条)こととなっている。
加えて、主務省に置かれる独立行政法人評価委員会(第12条)が、主務大臣の認可等に先立って意見を述べることとされている。すなわち、各年度毎の年度計画及び中期目標期間の実績についての評価、それらに関する総合的評定および業務改善勧告(第32、34条)、さらに中期目標期間経過後の業務や組織の在り方についての主務大臣への提言(第35条)を行うことと規定されている。このように、評価委員会は、主務大臣と並んで、独立行政法人の生殺与奪の権を握る存在であるにもかかわらず、いったい如何なる資格と資質の人々が選任されるのかは法令上明らかとなっていない。
さらに、「政令で定める審議会」(第32条。総務省に置かれる政策評価・独立行政法人評価委員会(仮称))が、評価委員会に対して意見を述べ、主要事務事業の改廃について主務大臣に勧告(第35条)を行う仕組みも設けられている。
独立行政法人の財政については、「政府は、予算の範囲内において、独立行政法人に対し、その業務の財源に充てるために必要な金額の全部又は一部に相当する金額を交付することができる」(第46条)とされており、予算を通じての統制が確実視される。また、利益処理、借入金、余裕金運用、財産処分等のいずれについても、主務大臣や評価委員会の認可が必要とされることとなっている。
結局のところ、大多数の国民の眼から離れたところで、研究者等当事者の判断・提案・発言などの決定参加権をも奪い、主務大臣、評価委員会、審議会による多重的な支配がなされる仕組みが、独立行政法人制度なのである。
「総合的に勘案して」(第2条第2項)、役員と職員に国家公務員の身分を与える「特定独立行政法人」についても、給与法、国家公務員法等労働条件関連規定が虫食い的に適用除外されている(第59条)。とくに処遇の基本である給与が「職務と責任に応ずるものであり、かつ、職員が発揮した能率が考慮される」(第57条)とされており、極めて不安定なものとなっている。
主務大臣が任命する法人の長が、「事務及び事業に関して高度な知識及び経験を有する者」という要件は必ずしも必要でなく、「事務及び事業を適正かつ効率的に運営することができる者」(第20条)からでも選ばれるとされている点も問題である。加えて法人の長や主務大臣に意見提出の権限を持つ監事に至っては、何の資格要件も定められていない。研究業務の性格や質を理解しない人物が、試験研究機関を恣意的に運営し、しかも職員の人事処遇を規定する危険性をはらんでいる。
公益上の必要性で設立される独立行政法人の長や監事に業務上の専門性が必要とされないことでも明らかなように、独立行政法人制度は、効率や収益一本やりの業務運営を強制することにより、国民に対するサービス低下を招くおそれがあると判断せざるを得ない。中期目標期間、すなわち3〜5年毎に業務と組織の存廃が必ず問われるということも、この傾向をさらに助長するとともに、公共サービスの不安定化をもたらすものと危惧される。さらに「特定独立行政法人」の職員の身分は、3〜5年毎に、「総合的に勘案して」国家公務員の身分を存続させるのか否かが問われ続け、職員が安んじて仕事に精励することが困難な状況を生み出すに違いない。
そもそも、本来「行政機関」ではない国立試験研究機関を、「行政改革」の目玉として独立行政法人化の主たる対象とすることこそが極めて問題なのである。
国立試験研究機関は、日本と世界の科学・技術を担う産・学・官の一翼として、社会経済基盤の整備や産業技術の創出を担うとともに、環境・資源・防災・福祉・健康増進等々の分野において、行政施策の企画立案と関わりを持ちつつ、永年にわたり大きな役割を果たしてきた。国の機関としての公共性・中立性を堅持し、短期の市場原理によらない長期的かつ広域的な視点のもと、研究者の自由な発想と地道な研究を尊重することを通じて、国民に奉仕してきたのである。
独立行政法人における研究制度は、3〜5年の期間で計画をたて、評価に基づき存廃継続を検討するというものであるが、このような期間で実施可能な研究計画は、いわばプロジェクト型研究に制約されざるを得ない。「民間の主体にゆだねた場合には必ずしも実施されないおそれがある」事務事業を行うためのものであるという独立行政法人の定義の一つに照らしても、独立行政法人は、国民が期待する、基礎的基盤的で長期的な展望をもった研究をも遂行する国立試験研究機関にまったくなじまない組織形態であると言わざるを得ない。
研究業務に、独立行政法人制度に付随する主務省主導の管理が押し付けられることにより、業務計画、予算、役員配置等を通じて、ときの政府や財界等の要求に即した研究が強いられるおそれがあることも大きな問題である。
このように、国立試験研究機関の公共的役割を変質させようとするその独立行政法人化は、国民無視の暴挙と言わざるを得ない。同時に、独立行政法人化は、短期的な「成果第一主義」を排し、自由な発想の保障のもとで基礎研究を充実させることにより、国の優位を築いていこうという、他の先進諸国の施策潮流にも逆行するもので、未来社会の進歩に眼を向けない愚策と断ぜざるを得ない。
日本科学者会議は、政府が、独立行政法人制度の創設、とりわけ国立試験研究機関への適用を撤回し、21世紀に向けて、基礎、応用、開発のバランスのとれた研究体制の抜本的強化の実現、とりわけ基盤的役割を担う国立試験研究機関における自由な発想の研究を保証するための予算・人員・支援体制を強化することを強く求めるものである。同時に、日本科学者会議は、2003年を目途に独立行政法人化を検討するとされている国立大学、共同利用機関、特殊法人研究機関等における研究の変質や一方的かつ強権的な組織再編成、さらには独立行政法人化の先取り実施等を許さないために、広範な人々とも連帯して、政府が独立行政法人化の暴挙を撤回するまで、国民的反対運動を展開し続ける決意をここに表明するものである。