1998年11月25日 日 本 科 学 者 会
議
大学審議会は、本年10月26日、「21世紀の大学像と今後の改革方策について−競争的環境の中で個性が輝く大学−(答申)」を発表しました。政府・文部省はそれに基づき、大学の管理運営等に関する諸施策を相次ぎ実施するものとみられています。
本答申に先立って、去る6月30日に発表された「中間まとめ」に対し、本会をはじめとして国公私立大学で研究・教育に携わる教職員、関係労働組合、関係諸団体から、反対ないし慎重な取り扱いを求める意見や要請が多く出されています。しかし、答申にそれらの意見が多少加味されているものの、「中間まとめ」の基本的思想はほとんど変わっておらず、さらに一歩踏みこんだ提案もなされています。
わたしたちは、日本の21世紀の大学の基本的あり方が、このように政府の方針にそって一方的に決められようとすることを深く憂慮し本答申についての見解を以下の通り表明するものです。
1.基本的な問題点
答申の基本的問題点の第1は、答申が「大学改革」を政財界の21世紀国家改造戦略の一環に組み入れ、学長権限の過度の強化や第三者機関等の外部評価による「改組転換」を意図しているところにあります。大学を政府の政策や財界の利益に奉仕させ、学問と教育の自律的発展に不可欠な大学の自治や公共性を形骸化することを基本にしているのです。
問題点の第2は、答申が日本の大学の現状について指摘する問題点の多くも、基本的にこれまでの政府の大学政策の帰結であるにもかかわらず、その破綻や矛盾の責任を大学に転嫁し、それをいっそう徹底して推し進めようとしていることです。 わたしたちは、大学審議会が、設置当初に危惧されていたように、国の大学管理・統制の中枢的役割を果たしている実情をきびしく批判せざるを得ません。
問題点の第3は、答申の中での大学および学生の位置づけです。答申は、大学を国際競争力の強化」のための一環としてとらえている一方、大学における学生の役割については全くといってよいほど触れられていません。これとは対照的に、ユネスコの「21世紀高等教育、ビジョンとアクション」(1998年10月5〜9日、パリ、「高等教育世界会議への提言」)は、大学を「人権、平和、持続可能な発展」という「普遍的価値」をめざし、社会の諸傾向に対する批判的、予防的、未来展望的機能を担うものとして位置づけています。そして、そのためにこそ大学に自治と自由が不可欠であるとしています。また、学生については、高等教育の無償化を進めるとともに、学生を大学改革の主要なパートナーとして、きわめて重要視しています。わたしたちは、このような大学像こそが、大学のあるべき姿と考えています。
2.個別的な問題点
第1は、答申が全体として産業界の要求に即した大学批判と大学「改革」提言となっていることです。各高等教育機関は「産業界の要請等に積極的に対応」すべきであるという文言はその端的な例であります。
大学と社会とが相互に貢献し合うべきことは自明のことですが、学問・教育の発展に不可欠な客観性が、時の政府の短期的な誤った理解や特定の勢力の利益によって曲げられてはならないのです。そのことについては、わが国の戦前の経験をはじめとする大学における多くの教訓が示しています。大学の本来の目的は真理の探究にあります。そのことの成否が、一国の学術・文化レベルを規定するのです。答申の方針が貫徹されれば、わが国の学術・文化は産業従属型に傾斜せざるを得ず、きわめて底の浅いものとなってしまいます。
第2は、21世紀初頭の「地球規模での相互の競争が激しくなる」状況への対応策として、答申の中で高等教育の「国際競争力の強化」が強調されていますが、それは大学を、国際経済競争の手段として従属させるおそれがあります。大学のあるべき姿が歪められてしまうのです。
第3は、答申が副題の「競争的環境」に象徴されるように、大学への競争原理・市場原理・効率主義の全面的導入をねらっているところです。“大学の企業化”が発想の基本となっているのです。教育・研究の役割を担う大学において、連帯、共同、学問的蓄積、時間的ゆとりを破壊することが懸念されます。
第4は、答申の中で、「大学自治」「学部自治」が「閉鎖的・硬直的」と批判され、「外部評価」や「大学運営協議会」の設置(国立大学は設置義務)が提起されていることです。同協議会は、大学の自治を侵し、「当該大学の教育研究の改善に関して、実質的な討議」を行う大学管理機関として構想されているのです。
第5は、学長中心の大学管理運営体制の強化の方針が答申の中で強調され、全学の自由な発想に基づく英知の発揮を妨げるおそれがあることです。「学長を中心とする全学的な運営体制の整備」では、「全学的な教育研究目標・計画」策定、学長補佐体制の整備、評議会による学長適任者選定、教員人事などが列挙されているのも、そのあらわれです。
第6は、答申が大学の教育研究を「第三者としての客観的な立場から評価」するという名目のもとに、「第三者機関」の設置を提案していることです。国立大学はその評価が義務づけられ、その「予算配分に際して第三者機関による評価が参考資料の一部として活用」されるなど、競争が煽られ、文部省等による予算統制が強まる中、教育や研究がねじまげられることが危惧されます。
第7は、答申中に、教養教育の軽視・解体や大学自治の形骸化など、文部省・大学審議会が進めてきたこれまでの「大学改革」への反省が全くみられず、その弊害をさらに拡大する内容となっていることです。
第8は、答申が国立大学の独立行政法人化にはじめて言及したことです。「今後、さらに長期的な視野に立って検討することが適当である」としていることから、本答申が独立行政法人化へのステップとして位置づけられるおそれがあります。独立行政法人化は、わが国の科学技術の不均等発展をもたらすだけでなく、大学の企業化をも促進することが明らかであり、決して容認できないものです。
第9は、答申がこれまでの大学格差付け政策を露骨に正当化し、それをさらにいっそう拡大固定化しようとしていることです。大学等の「多様な展開」の名のもとに、「特色を生かしつつ多様化・個性化」するという棲み分けの論理がそれです。例えば、国立大学では、「政策目標に沿った教育研究」等を行い、「評価に基づき大学の実情に応じた改組転換」の検討が、私立大学では「建学の精神に則り……特色ある教育研究を実施」することが求められています。大学格差付け政策のもとでの「競争」が、さらに格差を助長するであろうことは明らかです。さらに、大学格差の拡大は、高校以下の学校教育の受験競争を激化させ、その荒廃を加速させることも必至です。
第10は、答申中で大学窮乏化政策ともいうべき「行政改革」による大学予算の抑制削減、私学助成の減額、そしてその結果である国際比較からみた極端な低水準についての反省も全くといってよいほどなされていません。大学財政を財政構造改革の枠内に抑え、政府の「高等教育改革」方針に沿って「成果を挙げている大学等を重点的に支援していく」財政誘導では、大学の豊かな自主的・民主的発展は望むべくもありません。
第11は、学生の修学を困難にしている世界でも希有な高学費、すべて貸与制(借金)でかつ貧弱な奨学金など、大学改革の重要な課題への政府の責任意識が、答申の中にほとんど示されていないことです。主要国の大学の学費が無償である現状において、「学生や親の家計の負担が余り重くならないよう努力する」という程度では修学条件の改善に程遠いものがあります。一方で、教育機能の強化や学生の「厳格な成績評価」を提起していますが、学生への経済的支援策を欠いた大学教育の管理強化のみでは、教育の実があがらないばかりか、低所得層の学生の修学をますます困難に追い込むことになることが目に見えています。
わたしたちは、今後、以上の見解をふまえて、国民の立場にたった21世紀の大学のあるべき姿を求めて討議を積み重ね、運動を進めていく決意です。