大会宣言

 

 1995124日に,日本科学者会議は創立30周年を迎えた.

 この1年は第2次世界大戦終結から50年という節目の年でもあり,世界的にも平和と民主主義の課題をめぐって大きく変化した年であった.とりわけ今日の世界政治を力で支配しようとする勢力は,これまで以上に核兵器に固執し,NPT(核不拡散条約)の無期限延長を強引に決定し,いまCTBT(包括的核実験禁止条約)と併せて核兵器の永久独占を図ろうとしている.しかし,われわれも参加した「原水爆禁止1995年世界大会」や「被爆50年国際シンポジウム」で見られたように,あるいはその後のフランス・中国核実験に対する抗議行動で実感したように,世界の「核兵器なくせ」の声は,かつてないほどの高まりとなって地球を覆った.またこの間,日米安保条約をめぐり,急速に新たな変化がもちこまれた.それは同条約の適用範囲をアジア・太平洋地域に拡大するという点からも,また「有事」には特別の共同態勢をとるという点からも,まさに日本国憲法を無視した日米安保条約の質的拡大強化に他ならない.またこれは,アメリカの核兵器を背景にした世界戦略に,今まで以上に日本をくみこもうとするものである.しかし沖縄米兵による女子暴行事件に端を発した基地問題等のたたかいに見られたように,日本国民の日米安保条約に対する批判や反対の意思が,大きな広がりとなってきたことは注目される.すなわち,世界平和を願う人びとの心が,国際的にも国内的にも大きな発展を示しているところに現在の重要な特徴がある.

 一方,この間の国内での政治・社会の動きにも民主主義を求める国民の声の高まりが見られる.阪神・淡路大震災に際しての広範なボランティア活動の経験は国民に人間性の何たるかを思いおこさせ,日本資本主義の矛盾を露呈した住専問題がおこった時にも国民の怒りが爆発し,「住専への税金を震災被災者支援に回せ」のスローガンへとつながった.薬害エイズ問題に見せた若者たちの社会正義へのエネルギーは厚生大臣を動かし,厚生省の重い腰をゆさぶりつつある.それらと同質のエネルギーが,京都市長選,参院岐阜選挙区補選でも革新の波となった.そして今,沖縄基地問題でも住専問題でも,国民世論が徐々に政府・権力を追いつめていると言ってよい.

 もとより平和と民主主義を発展させる課題は日本科学者会議の活動目標でもある.われわれは日本科学者会議創立30周年大運動の中で,会の総力をあげてこの目標にとりくんできた.第10回総合学術研究集会と国際シンポジウム「アジアにおける科学・技術の交流,協力」の成功は,内外に本会の研究の成果を広めると共に民主的科学者運動の良心と見識を示した.また全国30以上の都道府県で開かれた市民講座は,多くの国民とともに平和と民主主義の運動発展への自覚と決意を確認する場となった.記念出版としての権利問題資料集「科学者の権利と地位」および30年史『科学と人間」はまさにその集大成として注目されている.また個々の課題においても,阪神・淡路大震災に関する調査研究と提言,核実験への抗議,薬害エイズ問題の全容解明への運動,破壊活動防止法の適用反対行動等において,世論形成への大きな努力を払った.

 学術体制においてもいま,平和と民主主義が改めて問われ,戦後50年目にして日本の学術体制も大きな転機を迎えつつある.199511月,国会では全会派の賛成で科学技術基本法が通過し,ここには人文・社会科学と自然科学との調和ある発展を留意する必要性が盛り込まれ,また平和のための科学の発展が付帯決議でふれられた.しかしいまこの法律に基づく政府の科学技術基本計画は,若干の改善を含むとはいえ,任期付任用制度を大学・研究所にもちこもうとしており,大学教員や研究者を競争主義に追い立てようとする方針が提案されている.

 このような情勢の中で,日本科学者会議は創立以来30年間の到達点をふまえて21世紀に向けた新たな発展を期して第31回大会を開催した.そこでその発展を担うべき科学的精神をもつ青年の育成が緊急で不可欠の課題であることを確認した.われわれは,「21世紀を平和と科学の時代に」をスローガンに,日本科学者会議の創立の精神に立ちかえり,科学者の社会的責任として,平和と科学の花開く21世紀の実現に全力を注ぐことを誓うものである.

          1996526

                   日本科学者会議第31回定期大会