環境基本法の制定にあたって

                 1993年1月14日
                 日本科学者会議
 昨年6月,環境と開発に関する国運会議(リオ会議)において採択された環境と開発に関するリオデジャネイロ宜言(リオ宜言)は,サステイナブル・ディベロップメント(永続可能な開発)を基本概念としている.しかし同概念が何であるかについては,世界において多くの議論が行われており,いまだに明確ではない.われわれは言葉にとらわれることなく,世界各地の環境破壊や開発途上国の貧困を深刻化させながら拡大の一途をたどる現在の開発のあり方(永続不能な開発)を,未来の世代まで,豊かに文明を存続させることのできる開発のあり方(永続可能な開発)に変革しようとする問題意識を持つものである.
 私たちは,日本国憲法がその第11条において,「この憲法が国民に保障する基本的人権は,侵すことのできない永久の権利として,現在及び将来の国民に与へられる」と規定し,「未来の世代との間の公平」を条文化していることを思い起こすべきである.そして人間にとっての環境とは,人間の生存と生活を支える諸条件の総体にほかならず,私たちが豊かに保全された環境の恩恵を享受することは,基本的人権そのものである.環境基本法は,日本国憲法のこの精神に直結した法制度として制定されなければならない.
 ところが,去る10月20日,中央公害対策,自然環境保全の両審議会によってなされた環境庁長官への答申「環境基本法制のあり方について」は,国民を失望させた.全体としての格調の低さと,具体的施策の記述の欠落は,後世に恥じない実効性のある環境基本法の制定へ,そのきっかけをつくりうるのかどうか疑問を覚えざるをえない.そうなった原因の一つには,審議会の審議の裏側で,討議資料を作成する環境庁の原案に対し,財界・経済界・産業界の意向を受けた開発諸省庁が,くりかえし原案の修正に動いたことが指摘されており,見過ごしにできない.
 開発諸省庁は,いまや人間環境の現状の重大さと,それを保全しながら未来の世代にひきついでいくための日本の責任の重さを自覚し,ひたすら開発の伸長にだけ目をうばわれる財界・経済界・産業界の代弁者であることをやめて,彼らの説得にこそ力を注ぐべきではないか.そもそも今日の世界各地にみられる環境破壊の殆どは,先進諸国の経済界のあくなき利潤追求の結果によるものであり,わが国の企業もその中心的存在の一つとなっていることをあいまいにしてはならない.経済界の干渉に断固として抗議するとともに,環境庁の毅然とした対応を期待する.
 現在の激化する地球環境問題は,量的広がりが新しい質的側面を生むにいたっていることは確かであるが,基本的には,およそ20年前を中心とする,日本社会の激しい公害状況が世界に広がっている姿といえる.しかも,窒素酸化物のそれに象徴される大気汚染の深刻化や廃棄物問題にその例を見るごとく,日本国民にとっても,公害はいまだに現実の課題である.それゆえに公害対策基本法,自然環境保全法をその内部に包括して制定するとされている環境基本法は,現行両法とりわけ公害対策基本法のもつ積極的側面を発展的に継承することが必要で,決してそれを後退させるようなことがあってはならない.
 リオ会議の機会にまとめられた日本科学者会議の報告「地球サミットヘの提言」は,これからの世界づくりのために生かされるべき日本の経験は,「進んだ公害対策技術」などではなく,公害を追放し豊かな未来をつくるために,1970年代に試みられた,環境にかかわる諸施策とその発展であると指摘している.すなわち
 (1)環境計画は開発計画より上位の計画とする
 (2)政策決定過程を徹底して民主化し,これと環境アセスメントを連動させる
 (3)総量規制の発想を普遍化させる
というものであった.そしてこれらの実現を,永続可能な人間社会づくりの第一歩として位置づけることを提案した.私たちは,この三つの条件の実現をめざす.そのために力を発揮するような環境基本法が制定されることを期待し,以下のことを要求する.
  環境基本法の前文に盛りこむべき理念
1 生産活動が地球規模で環境を破壊しつつあることの認識とそれを許さない不退転の決意
 すでに人間による生産活動は,量的にも,質的にも地球環境の許容限界を越え,その破壊を世界各地にもたらし,また全地球的規模の損害をも与えつつある.このことは,生産活動が安全や制御の課題を後回しにし,ひたすら利潤追求のために生産拡大を行ってきた帰結であり,もはや放置し得ない深刻な段階といえる.とりわけ先進国の企業活動がその主原因をつくり出していることを認識し,わが国は環境破壊要因の除去と今後の保全にむけ,原因者の責任を明確にしつつ,不退転の決意をもって当たることを内外に宣言する.
2 人類の未来にむけて責任を負う立場
 環境基本法の規定は,世代を越えた人間社会の健全性の維持の立場を表明することが必要である.「永続可能な人間社会」の実現は,この認識を欠いては成り立たない.たとえ今日の世代では,人権としての環境権に直接ひびかない問題でも将来の世代に責任を負っていく観点で施策が貫かれねばならないことを示す.
3 開発の民主主義の確立
 わが国では,開発に対する第一義的な実力を備えているのは,資本を動かすことのできる人びとである.にもかかわらず開発によってつくりだされる未来の環境(生存と生活のための諸条件)は,すべての国民(世界のすべての人びと)のそれである.それゆえ開発計画の立案・決定過程の民主主義の重要性は,どのように強調しても強調しすぎることはない.とりわけ環境保全との対応で見れば,開発に関する情報の公開,開発政策への住民参加の原則,開発計画修正及び廃棄の権限を前提とした環境アセスメント制度は開発の民主主義にとって不可欠の課題である.
4 精神的・情緒的・文化的環境の重要性
 人間はたんなる物質的存在,あるいは生物的存在ではない.精神的・情緒的側面をもち,文化を形成して生きてきた存在である.人間環境が,人間の生存と生活を支える諸条件であるとすれば,精神的・情緒的・文化的環境の重要性もまた明らかである.自然保護や景観,文化財の維持も基本法の理念として盛りこむ.
5 公害概念,環境問題の概念の定義の総合化
 いわゆる典型公害だけに公害を短小化する公害対策基本法の定義は,正常な環境を保全するうえで困難を生んできた.環境基本法の制定にあたっては,過去の法律の積極面を生かし,不十分さを反省し,また環境問題のグローバル化の現実をふまえ,20年の環境研究の成果をも考慮して,科学的で合理的な公害概念,環境概念の総合化を図る姿勢を明確にする.
II 環境基本法の条項に盛りこむべき事項
[1]開発計画より上位の環境計画実現のために
1 環境基本計画の策定
 環境基本法の精神と規定にしたがった,国レベルおよび自治体レベルの環境基本計画(環境の保全,利用,管理に関する)の策定を義務づけること.また自治体レベルの計画にあっては,地域特性に相応した柔軟な施策を保障するために,自治体の自由な発想と,先見的な試みが尊重されること.
2 行政機構の抜本的な再編と改革
 策定された環境基本計画を,国および自治体が開発に対して上位計画たらしめ得るような,それぞれの行政機構の確立を義務づけること.このことによって観念的に環境の重要性をうたうだけでなく,環境に関する諸計画があらゆる開発計画の上位に位置づけられて機能することを保障する.
3 環境権擁護の規定
 人間らしい環境の中で生を営むことは,社会の中の人間一人ひとりに与えられた基本的人権である.日本国憲法を直接に受けるべき環境基本法としては,環境権の存在を条項として明確にうたう.このことによって環境基本計画が個個人の生存権を保障する立場に立つことを示すことができる.
4 原因者の責任に関する規定
 人間社会はたとえ形式的・建前的には平等であっても,多くの場合に,実質的には平等であるとはいい難い.開発という社会の未来づくりの行動においても,主体的にそれを計画し得るのは,資本を動かすことのできる人びとにかぎられる.もしそれらの人びとが開発の過程でひきおこした環境に対する侵害状況の復元・救済を,平等の名のもとに,国民全体の責任に転嫁することがあるとすれば,それは社会正義に反する.したがって企業活動における環境破壊はとりおけ厳しく規制されねばならない.
 すでに世界的な常識になっているPPP(汚染者負担の原則)を,法において明文化することが必要である.また同時に,原因者が市場jカニズムを通じて,自らの負担を無限定に,消費者・国民におしかぶせようとすることを防ぐための条項を設けなければならない.
5 生産,流通,消費,廃棄にまたがる社会構造の変革
 先進工業国における浪費社会化の阻止は,人類にとって緊急の課題である.すべての開発は,適切に保全された環境をその前提とするものでなければならず,社会は省資源・省エネルギー社会,リサイクル社会を目指さなければならない.
6 被害者をつくらない諸施策の導入と被害者を救済するための諸原則
 公害や環境汚染を媒介とした非人道的状況を二度とくり返すことのないように,積極的諸施策を講じることを条文化するとともに,万一被害者がでた場合には,無条件にこれを救済するための諸条項(無過失責任条項,製造物責任条項等)を規定する.
[2]政策決定過程の徹底した民主化とそれに連動した環境アセスメント実現のために
1 「予防原則」「安全性原則」の重要性
 生産活動の規模は巨大になり,またその規模の拡大の速さも目を見張るばかりになった.技術の適用に由来する環境に対する影響の科学的解明は重要ではあるが,その研究の成果の出現が,現実の環境変化に追いつかない事態はすでにいたるところでみられている.環境変化の危険を回避し,人間的な文化発展の永続性を確保するために,科学的解明の遅れは,政治的・行政的,社会的な対処によって,補完,克服しなければならない.また同時に研究の遅れを理由にして,危機回避の行動をためらうことのないよう,「予防・安全性原則」を優先する行動の根拠を法において明確化する.
2 政策決定過程への住民参加
 開発の民主化のためのひとつの柱として,開発政策の決定過程への住民参加を名実ともに可能にする制度を設けなければならない.環境基本法のひとつの条項として,制度実現の義務を記述する.
3 環境アセスメント制度の確立における政策決定過程民主化の重要性
 「永続可能な人間社会」づくりにとって,環境アセスメント法制の確立は,ことのほか重要である.しかし,政策決定過程の民主化と連動しない環境アセスメントは,日本の現実にその例をみるように,必然的に,開発を行う側の一方的な行動の「免罪符」に化してしまう.環境アセスメント法制の実現を開発民主化の実現と一対をなすものとして明文化する.
4 環境アセスメント法制に,計画アセスメント,技術アセスメント(テクノロジーアセスメント)を導入 導入されるべき環境アセスメントの法制度は,開発行為の効率化にとらわれて瑛小化されることがあってはならない.開発計画策定の早い段階からアセスメントを反復する計画アセスメントの視点,さらには環境影響の解明に焦点を合わせた導入技衛そのものの評価の視点を取り込んでいくのでなければ,開発を行う側の独走を制御し,「永続可能な人間社会」の実現を展望することはできない.
5 環境と開発に関するあらゆる情報の完全な公開
 現在から将来にわたる生存と生活のための諸条件(環境),つくられようとする未来(開発)に
ついての情報のすべてを,無条件に国民,地域住民の前に明らかにする制度を実現させる.これは,開発行為の民主化を確保するための重要な条件で
ある.
6 環境教育にかかわる国,自治体の責任
 民主的な変革は,社会の構成員の大きい部分に,変革の必要性が認識されないかぎり,一切のことがはじまらない.その意味で,環境教育は「永続可能な人間社会」を実現するための戦略である.環境基本法に,環境教育に関する国,自治体の責務を明確に盛りこむ.
7 「永続可能な人間社会」の建設にかかわる研究活動の推進
 地球生態系は,人間の自然的・物質的環境そのものである.開発という人間活動は,このような
場のなかにおいて行われており,人類にとって,地球生態系と開発との関係の解明が重要であることはいうまでもない.研究活動推進に.対する国,自治体,さらに企業の社会的責任を明確に.規定する.
8 主要グループの役割とあり方
 「永続可能な人間社会」をつくるために,行動を期待される主要なグループが,リオ会議において採択されたアジェンダ21のなかに挙げられてる.環境基本法においても,日本の現状に即して,それらの役割とあり方の基本を明確にしておくことが必要である.
 とくに日本においては,NGO,自治体,企業,女性・青年についてのそれらは重要であると考えられる.たとえば行政に対して,NGOの活動の実質的な援助と,その意見の尊重を義務づけること,自治体の積極的な行動を奨励し,国がその行動に不当に干渉する事を禁ずること,開発行為における企業の責任・倫理の明確化,未来社会をつくりだす女性・青年の取り組みを勇気づけるための精神的な,あるいは実質的な規定等.
[3]総量規制の概念を環境保全の重要な観点にするために
1 汚染・破壊の制御手段としての総量規制の法的根拠
 日本の過去20年の経験において,公害規制の方法としての総量規制が有効であったことに疑問の余地はない.だが環境保全の観点からこれを行うことの必要性が明白である場合でも,社会的な力関係が反映してその導入が見送られ,いたずらに環境悪化を招いている例は多い.行政が積極的にこの措置をとり得る法的根拠を環境基本法に明示する.
2 総量規制の発想を人間活動全般に拡大する方向 開発の前提として適切に保全された環境を確保するためには,税,課徴金,補助金等の制度をはじめとして,社会のあらゆる仕組みを利用し,着実に人間活動(汚染,環境破壊等のマイナス面ばかりではなく,マイナス面を生みだしている本来はプラス面の人間活動である生産,流通,消費,廃棄など)の総量を,文明の永続可能性にふさわしい適切なレベルに佑II御していく手法が,幅広く導入されなければならない.このことは地球的危機を,自ら先頭に立ってつくりだしている先進工業国の社会構造を環境保全型のそれに転換させるために,避けては通れない道である.
3 開発途上国の地域環境に対して関心を持つ視点
 総量規制の発想の国際的適用も重要である.周知のように企業,とりわけ大企業の活動はグローバル化している.その企業活動が,しばしば国による援助(ODA)の形をとりながら,かつての激烈な日本の公害を世界に広げつつある事態も指摘されている.開発途上国の地域環境を保全する