JSA

 

 

大学問題フォーラム

28 2002年6月1日発行

日本科学者会議大学問題委員会

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国立大学の教員養成系大学・学部の再編・統合の現状

山口 和孝

1 国立大学数を三分の一に減らす再編・統合

 2002年1月の文部科学省の公表によれば、短大を含めた101国立大のうち8割が再編・統合の検討を開始しており、うち36大学が統合に向けて動き出しているとされる。そのほとんどは地方新制大学で、静観している東大・京大・北大などの旧帝大系と好対照である。

 筑波大と図書館情報大、山梨大と山梨医科大は2002年度統合が、2003年度に統合は、東京商船大と東京水産大、神戸大と神戸商船大、香川大と香川医科大、九州大と九州芸術工科大、佐賀大と佐賀医科大、大分大と大分医科大、宮崎大と宮崎医科大、2004年度には、福井大と福井医科大、島根大と島根医科大の統合等28大学が統合に基本合意し、8校が統合協議会を設置している。統合は、単科大学の総合大学への吸収という形態が先行しているが、県境を超えた広域統合の話し合いも広がっている。北海道では、帯広畜産大、北海道教育大、室蘭工大、小樽商科大、旭川医科大、北見工大の北大を除く道内6大学が再編統合協議会を設置。弘前大、秋田大、岩手大は北東北大学連携の検討をはじめ、新潟大は上越教育大、長岡科学技術大との統合を検討中で、群馬大と埼玉大では、実現すれば初めてとなる総合大学同士の再編・統合を協議する学長懇談会を重ねている。

 

2 教員養成「空白県」も出現する教育学部再編・統合

 「供給過剰」を理由にリストラ対象とされている教員養成系では、大阪教育大を軸に京都教育大、兵庫教育大、奈良教育大の間で協議があり、四国では鳴門教育大が教員養成系を統合する「四国教育大」構想がある。中部では、三重大、岐阜大、愛知教育大の間で複雑な駆け引きが展開され、名古屋工業大学、豊橋技術科学大学な等の工学系大学の連合も噂されている等流動的な様相を示している。東北では、福島大、宮城教育大、山形大が懇談会を、関東は、横浜国立大、山梨大、千葉大等の教職課程を東京学芸大学に再編・集中させる協議する動き協議がある他、山陰、北陸も含んで全国的にリストラ再編の動きが展開していて、成り行きによっては、教員養成「空白県」の出現する可能性もある。大学間で学長同士が統合の打診をしただけで、すでに統合が既定路線であるかのように報道する新聞記事によって、地域社会はいたずらに動揺をさせられ、少なからぬ大学が、「報道されてしまったからにはその方向に進むしかない」という世論誘導に脅かされている。

 文部科学省は、2000年8月に国立大学教員養成系大学・学部のありかたを検討する懇談会を発足させ、その報告書「国立の教員養成系大学・学部の在り方について」(2001年11月26日、以下「在り方懇」)で教員養成系大学・学部の再編・統合の基本枠組を示した。その骨子は、@1県1教員養成系学部体制のみ直し、A小規模学部の適正規模への再編・統合、B入学定員1万人体制の維持、C小学校教員の計画的養成、D「新課程」の教員養成学部からの分離、ないし廃止、E複数大学・学部の統合、E教員養成担当大学(基幹大学)における多様な教員免許取得、F教員養成が廃止される一般大学の教養教育担当化、ないし「教職センター」の設置などへの改組であった。

こうした政策動向を先取りして、大手予備校(河合塾)は、国立大学教員養成系大学・再編試案なるものを発表(「教員養成系大学再編私案」『論座』20025月)している。そこでは、現在の教員養成系大学・学部の入学定員が100人以下は廃止、100人から200人規模は一部存続ないし教員養成基幹大学に従属、200人以上は存続ないし、周辺の弱小定員学部の吸収・再編という基準を用いて構図を描いている。ちなみに、教員養成系大学・学部が単独で存続ないし基幹大学化するところは、北海道教育大学の札幌分校、秋田大学、宮城教育大学、茨城大学、埼玉大学、千葉大学、東京学芸大学、上越教育大学、静岡大学、愛知教育大学、三重大学、京都教育大学、大阪教育大学、岡山大学、島根大学、鳴門教育大学、福岡教育大学、熊本大学、鹿児島大学、琉球大学としている。廃止対象の教員養成系大学・学部として描いているのは、北海道教育大学・釧路分校・岩見沢分校、山形大学、山梨大学、新潟大学、富山大学、福井大学、滋賀大学、和歌山大学、鳥取大学、香川大学、愛媛大学、高知大学、山口大学、大分大学、宮崎大学、佐賀大学である。

 廃止対象として名が挙げられているものほとんどは、80年代後半から当時の文部省の強力な指導で行なわれてきた教員養成課程定員の「新課程」への分離(教員養成のリストラ)政策によって、学部定員の半分からそれ以上を「新課程」に振り向けたところである。こうした学部は、そのことによって教育学部の名称を変更することまで行ってきた。その結果、2001年度段階で、教員養成系の定員が9,750名であるのに対して、「新課程」定員は6,180名にまでなってきた。

 未来に向けた大学の有り様を予備校がシュミレーションし、それを世論形成に大きな意味を持つ雑誌に発表するという事態がおこっているということそのものが、大学の未来像は、大学自身がその論理で決定するのではなく、また、日本の近未来の教員養成を深刻化する教育問題との関係でどう充実するかという教育的論理でもなく、文部科学省の数合わせの方程式に当てはめた解として描き出されるものが未来像となるという現下の大学政策の本質を表現している。

 それだけに、大手予備校のシュミレーションは、あながち机上の空論と見過ごすわけにもいかないリアリティをもっている。文部科学省の政策は、6000余名の「新課程」定員を削減し、かつ教員養成系大学・学部の再編・統合を「大学構造改革」の起爆剤として推進しようととしているからである。したがって、先に紹介した大学の再編・統合にむけた懇談や協議の成り行きは、国立大学全体の動向を左右するものとともいえよう。

 

3 教員養成系大学・学部の再編・統合が「大学構造改革」の起爆剤

 415日に開催された教員養成単科大学長・事務局長懇談会(11大学)で、文部科学省高等教育局専門教育課長(徳久治彦)は、教員養成系大学・学部の再編・統合こそが、国立大学の構造改革の基本・原点であると明言した。懇談会と称している会合であるが、そこには、「大学構造改革」と教員養成系大学・学部のリストラとの関係が明瞭に表現されている。 専門教育課長は、その他に、@文部科学省は、教員養成系大学・学部の「在り方懇」が、各大学でどのように実施されるかを見ていること、A教員養成系大学・学部の再編・統合は、2002年度中が目処であること、したがって、今年の7月の概算要求が、各大学から公式に意見を聞くところとなること、B「新課程」を原資として新学部をつくるときには、その必要性を示さなければならないこと、C改革、すなわち、再編・統合をせずに済ませることはできないこと、D(再編・統合を行う複数の大学・学部が)教員養成と「新課程」の間の学生定員をバーターなどする場合には、その関連する大学の通学距離を考慮すること、E地元と大学の関係については、いろいろな情報があり矛盾するものもあるので、地元が本当に望んでいることを確認して再編をなすこと、F教員養成担当大学になるということは、それだけで終わるということではなく、非常に重い荷物を背負うことになる、という点を報告した。

 2004年に独立行政法人化に移行という「大学構造改革」の政治スケジュールにとって、2003年度までに教員養成系大学・学部の再編・統合の地図を明確にし、それに間に合わなかったり「在り方懇」の方向に従がわないところには、それなりの「見返り」があるかもしれないことを覚悟せよという官僚的脅迫である。さらに、教員養成担当大学として生き残こるところも安閑としていてはならず、負担が重くなることをそれなりに覚悟せよという意味もある。しかしながら、「通学距離」を考慮するような統合の在り方が可能なところはほとんど存在しない現実や、地域教育行政との関係を無視できない状況などがあって、脅迫的姿勢以外は、明確な施策的展望を示せないこともみてとれる。とにかく教員養成系大学・学部の三分の一程度をリストラすることが至上の目的であるような「行政指導」しか示せないところに、各大学の動揺を一層激しくする結果を生むことになっている。すなわち、自分のところは、どう生延びられるのか…・が見えないままに、教育内容も制度も何も議論できないからである。

 

4 教員養成系大・学部の検討状況の実情

 文部科学省が日本の教育にとって何のための再編・統合なのかを示さないまま、地域や大学の論理をまったく考慮しない政治スケジュールを強制し、しかし、玉虫色でしか表現しないが実態は誘導的に機能している「指導」によって、各大学は困惑と動揺の度合いを一層激しくかきたてられているのであるが、各大学での検討・協議は、当然のことながら、地域それぞれの事情や大学間での思惑もからんでそれほど進展しているわけではない。また、先の大手予備校が示したシュミレーション通りの地域割りで再編・統合の協議が行なわれているわけでもない。

 いずれも、今年7月に予定されている文部科学省ヒアリングにむけて、文部科学省の顔色をうかがいながらも、わずかな時間的余裕のないままに、広域におよぶ再編・統合によって発生する諸問題にどう対応するかに頭を悩ましている。また、春の段階で文部科学省の教育大学室長の交代があって、新室長が表明するところは、大学再編・統合や教員養成系大学・学部のリストラに関するこれまでの大学室長の言説とは多様ニュアンスの異なるところもあって、政策の具体化にどこまで一貫性があるのか否については、現段階では必ずしも明確ではない。

 そういう事態の中で、各教員養成系大学・学部がどのように再編・統合を検討しているかについて最近の動きを概観してみよう。

 五つの分校を抱える北海道教育大学では、二年前から分校の集約化を検討し、「新課程」の処理を見なおす作業をすすめてきているが、同時に北海道内に六校ある単科大学との再編・統合(いわゆる「ノースランド大学構想」)も追求しており、一挙の再編・統合は難しい状況にあるとして、「ゆるい統合」の方向を模索している。

 南東北地域では、宮城教育大学を教員養成担当大学として、山形大、福島大との連合が検討されているが、山形大、福島大に教員養成の一部をどう残すがが大きな課題となっている。北東北では、上越教育大学、新潟大学の協議に信州大学が加わって、連携協力の観点でまとめる話し合いが進められている。

 関東地方では、群馬大学と埼玉大学との協議の周辺で、千葉大学や宇都宮大学との話し合いが水面下で進行していると噂されている。群馬大学と埼玉大学の間においても、再編・統合にむかうための協議は、両大学で重複する教育学部の取扱いをめぐって難航し、いまだ、統合協議会の設置の見通しがたっていない。埼玉県でも群馬県でも、来年度移行の教員需要が急増しており、両大学の教育学部の定員をそのまま残したとしても、近い将来の両県における教員採用をまかないきれない状況が生まれてきているからである。東京学芸大学は、早々と独立行政法人化に対応する検討機関を設置し、関東南部における教員養成担当大学化することを決定して横浜国大や山梨大学と頻繁に会合を重ねているが、それぞれの地域における教育委員会との調整が進んでいない。関西では、京都教育大学が滋賀大学との再編・統合で接触をしているが、未だ足踏み状態である。京都教育大学、滋賀大学、滋賀医科大学、京都工芸繊維大学の四大学との大型再編の構想もあるが、それは、教員養成をどう再編・統合できるかの決着如何で方向性が決まるとされている。

 中部地方では、静岡大学は教員養成の「単独存続」を決め、大学それ自体の再編の中で新しい教育学部を構想する動きをしている。ただ、その方向も「在り方懇」の方向に沿う形の教員養成学部をめざすこととなっている。岐阜大学では、文部科学省から「自己完結型の再編・統合を考えているのか」という脅しがあって、愛知教育大学、滋賀大学、金沢大学、福井大学、富山大学、信州大学と情報交換をする中で、大学院レベルでの連携協力をはかりたい方向を打診してきたが、それにとどまって、再編・統合の話は進んでいない。しかし、地域の強い要望を背後にもちながら、岐阜県の教員養成は岐阜大学でという強い意向もあって、単独での生き残りを模索している。

 大阪教育大学では、単独で教養学科を学部化することは困難な状況と判断しており、大阪大学、大阪外語大学との接触をはかっているが、学内合意は形成されていない。学内には、教員養成に特化する方向と教養学科を残したいとする動きが二極化している。その方向は、学長選挙がらみで動向は流動的となっている。兵庫教育大学では、現職教員の受けいれ、連合博士課程の堅持に加え、学部教員養成も行うとしているが、現職教員受けいれ定員を大幅に下回る応募状況の打開に苦悩している。奈良教育大学は、奈良女子大学との連合について「破談」し、三重大学、和歌山大学との話し合いを行ったが、すでに統合決定かのように報道された新聞記事のようにはことがらは進展していない。三重大学と和歌山大学は、奈良教育大学との連携関係は続けるとしながらも、教員養成系の再編・統合に関しては両大学教育学部教授会で協議開始について了承し、大学間の協議を進めている。しかし、カリキュラム、大学院と地域教育委員会との関係、人事、附属学校の処理など細部の詰めで様々な困難を抱えている。

 四国地方においては、四国七大学で懇談会を重ねてきたが、鳴門教育大学を軸として再編・統合をはかろうとする構想には反発が多く、鳴門教育大学をはずして考える動きもでてきている。全体的には、小学校教員養成は各県に残したい動き、四国の東西を二分して教員養成を行うアイディア等もあり、まとまっていない。

 九州の福岡教育大は、教員養成担当大学をめざして近隣大学の副学長クラスとの話し合いを展開し、5月までに新教育大学の理念をつくるとしている。

 

5 教員養成系大学・学部削減の社会的影響 

 「新課程」設置から教員養成定員5000人削減と、文部省は、日本の教員養成の長期的見通しと合理的な政策をもたないまま、財界やマスコミの意向に翻弄される形で場当たり的な施策をツギハギに展開してきた。そのたびに大学はリストラの脅迫観念にさいなまれ、困惑し、かつ、人間教育や長期的教員養成の展望とは矛盾する方向に制度や教育内容を転換させられてきた。今また、教育投資効率の観点からなされる教員養成系大学・学部の教員採用率の低迷という批判に対して近未来おける教員需要を高める基本的政策を示しえないまま、「大学構造改革」の「目玉」として教員養成系大学・学部を捧げ、地域と大学とのつながりを切断しようとしている。

 教員養成系の大学・学部が地元からなくなるということは、地元から進学する生徒の受験機会を狭め、かつ、地元から離れて勉学するための経済的負担を増大させる。県内の教員養成学部出身者が県内の教育世界を占めるということの意味は功罪相半ばするところはあるが、地域社会と大学とのつながりは希薄化し、卒業生教員と大学との関係も弱体化するだろう。現職教員の大学での研修、教育委員会との共同事業などは大きな痛手をうけるばかりか、戦後の歴史の中で培われた地域的な教育個性や教育上の固有な文化などは失われていくだろう。教員養成系が基幹大学と周辺大学、そして廃止された一般大学と種別化されることによって、教員の養成は地域的な不均衡を生じさせ、地域の教育行政のありかたをも質的に転換させざるをえなくなるだろう。また、地方国立大学の教員養成学部は、小規模ゆえになしうる人間的関係性の強い、地域社会とのつながりの深い、木目細かい教育的指導を可能としてきた。大学再編・統合の政策は、大規模化することによるスケール・メリットを強調するが、そのことが人間教育にとっては必ずしもメリット足りえないことを教員養成に携わってきた教員たちは実感的に理解している。

 また、教員養成系大学・学部が地域社会に送り出してきた人たちは、教員に限らず、学童指導員や地域スポーツ指導員、保育士、家庭裁判官調査官、社会福祉士、高齢者介護施設職員など、地域社会の幅広いく多様な領域で活躍している。それは、単に教員養成系大学・学部でそうした分野の資格が取得できるという実利的な側面ではなく、教員を養成すという課題が、学校教育現場に限定せず、日本の教育的課題を広く社会の様々な教育領域との関連の中に位置づけられていることによっている。教員養成にあたる大学教員の専門もこのような多様な領域にわたることによって、教育問題の認識と教師候補生の見識は、豊かになり、かつリアリティをもつものとして育つのである。 

 教育職員養成審議会は、2万人体制であった教員養成を漸次削減する方向を示し、2000年度には1万人弱の養成数となってきた。そのことは、各都道府県が教員新規採用率を長期の間著しく抑制ひてきたことに起因しているが、結果、どの学校でも教員の著しい高齢化が進んで、運動会や修学旅行をこなすことが困難だという笑えない事態を招くことになっている。子どもの成長・発達の面からしても、また、ベテラン教師による若手教師の育成という教職の連続性の観点からしても正常なことではない。さらに、数年すれば、団塊世代教師の大量退職の時期を迎える都道府県も多いことに加え、都市圏周辺では子どもの数は上昇しており、このままの抑制策を続ければ深刻な教員不足を生ずることが予想されている。また、三〇人学級を実現し、子ども達に木目細かく目の行き届く教育をおこなおうとすれば、教員の数は更に必要となってくる。

 東京近県の教育委員会は、人口流入による子どもの増加、大量の退職者の出現などの状況から、来年度以降十年近くに渡って、県内の国立大学教育学部の教員養成数を大幅に上回る教員新規採用を予定する動きにあり、むしろ、地域の教員養成を拡大しなければならない状況を招来させている。教員養成系大学・学部が、教員養成定数の削減や再編・統合に安易に踏み出せないのは、単に大学のエゴというのではなく、そうした地域の要請が背景にあるからでもある。