JSA


日本の高等教育を破壊する
国立大学法人法案の撤回を求める

−国立大学法人法案に対する見解−

2003年3月7日    日本科学者会議


 2月28日、政府は国立大学法人化関連6法案を閣議決定し、国会に上程した。今年2月10日の国立大学長会議において、遠山文部科学大臣は、「国際的な競争の中で、国立大学の持つ能力を最大限に発揮し、国民の期待に応える国立大学として発展していくための手段であり、方法である」と国立大学法人法案の趣旨を説明しているが、その本質は、国立大学に対する国の財政責任を放棄しながら、高等教育に対する政府の直接的コントロールを現行よりもさらに強めるものである。

大学を「知の企業体」に
 国立大学法人法案は、これまで国立大学がつくりあげてきた教育・研究の蓄積とその方法を全面的に否定し、国民の共有財産であるべきその知の方法と集積を国家の科学技術戦略と産業界の要請に直結させ、これを「知の企業体」に大転換させる極めて重大な内容をもっている。それを可能とするために、自治と自由によって社会から相対的に自立した組織である大学を、国家的統制のもとで、産業界・官界から役員・委員を大学経営の中枢に招き入れ、経営戦略をトップダウンで遂行する経営体に変質させるものとなっている。
 法案は、「学問の自由」(憲法23条)、教育の「不当な支配」からの自由(教育基本法10条)を全面的に否定し、学校教育法や教育公務員特例法などによって定められてきた国立大学の国民全体に対する責務と責任を放棄するものである。このように大学と社会との関係を大きく転換させる重要な法案にもかかわらず、その詳細な法制度を大学内部の議論はおろか国民的な議論にかけることをせず短期間で結論を出すという暴挙をなそうとしている。また、法人化に関する法制度や財政的仕組みが不明のまま、国立大学は文部科学省によって脅迫的に法人化への準備作業を強いられてきた。

非公務員化などで独立行政法人通則法(以下、通則法)の枠すら超える内容
 国立大学法人法案の内容は、その骨格部分には通則法を準用するとしているばかりか、教職員の身分を非公務員化するなど通則法を超えてより身分を不安定にするものである。それは、国立大学独立行政法人化がやむをえない場合には、行政の「実施機能」を担当する機関を前提に設計されている通則法とは別に、教育研究の特殊性に配慮する特別立法が必要としていた文部科学省の調査検討会議最終報告の内容を遥かに逸脱した規定となっている。
 教職員の身分の非公務員化によって、教員は教育公務員特例法の対象外となり、任免・分限・懲戒・研修などの身分保障の法的根拠を失った。教育公務員は、教育基本法に定めるところにより「全体の奉仕者」としての職務と責任を有していたが、法案は、これを否定するばかりではなく、非公務員化が導入されていない先行する独立行政法人の職員の身分のありかたに重大な影響を与えることにもなるだろう。また、これは教育公務員特例法に準拠していた私立大学の教員の地位にも波及する可能性が大きい。

大学の自治・学問の自由への敵対
 法案では、文部科学大臣は、教育研究の基本方向を定める大学の中期目標を提示し、その計画を認可事項とし、経営に参加する学外者の任命から学長の任免権までをも掌握する仕組みをとり、国立大学法人を文部科学大臣直轄下に置くものとなっている。また、大学業務を監査する学長のお目付け役である監事は文科学大臣が任命することになっている。
 大学の自治・学問の自由への言及は一切なく、むしろ、「大学自治、部局自治の名のもとに、社会から閉ざされた、あるいは社会から隔離された存在になりがちな面があったことは否定できない」(2月10日の国立大学長会議での遠山文部科学大臣挨拶)と、大学の自治への敵意を込めている。大学の自治と学問の自由を弱体化させそれを支える教職員の身分を不安定にすることは、広くは、人類の平和・福祉・教育・安全・環境などに大きな影響を及ぼし、政府や社会への批判的機能を衰退させ、日本全体の自由と民主主義の理念的モデルを喪失させることになる。

学長権限の強大化と教育・研究の自立性の制限
 法案は、学長を法人の長とし、理事や経営協議会など大学経営の中枢機関メンバーの指名権・任免権をもち、かつ、役員会、経営協議会、教育研究評議会のすべてを主宰するという、私立学校法にもみられない強大な権限を学長に与える。学長選考においても学内構成員の参画が大幅に制限され、学長選考会議に学長を加えることができるとすらされている。
 役員会が、中期目標の原案作成、予算や大学の組織改廃という大学全体に関わる重要な事項の最高審議機関として位置けられ、その下に、二分の一以上を学外者が占める経営協議会が置かれ大学経営を審議する。教育研究評議会は研究や教育に関する重要事項を審議するが、経営協議会に従属する形とされ、教育・研究に関わる自律性は大幅に制限される構造となっている。また、法案には教授会についての規定・位置づけがなく、教授会の弱体化が意図されている。

国家的観点からの評価とその結果による予算査定
 大学運営の成果は、国家的観点・基準によって何重にも外部から評価され、その結果に基づいて次期中期目標期間中の運営資金が査定されるシステムが前提にされ、国家的観点・基準に沿う成果のあげられないところや自前で資金調達のできない大学法人は、運営資金を減額されたり、縮小・統廃合などを迫られることになる。すなわち、文部科学省は、学長任命−中期目標の提示−評価−学長解任の仕組みによって、研究や学問の自律的論理とは関係なく大学経営を直接的に支配できるシステムとなっている。
 国は大学設置者から外れ、国立大学の財政に関する責任も放棄する内容となっている。国はこれまでの水準に達しない運営資金を交付するが、不足分は各大学法人の責任において外部資金の導入なり、自己収入の拡大でこれを補填しながら、評価される目標の達成を図らねばならない。したがって、各大学法人は常に経営の合理化を迫られ、採算に合わない部門を縮小・切り捨てをするか、外部資金導入の可能な部門の拡充をはかるようになる。また、文部科学省は、経営についての窓口指導を一層強化して大学支配を強めることができる。学長に権限を集中させるトップダウンの管理運営システムは、こうした経営優先の仕組を作り上げることにある。

異常な法案の即時撤回を
 以上のように、示されている国立大学法人法案は、日本社会から自由と自治を根絶やしにし、教育と研究を国家戦略従属と競争原理に投げ込もうとするものである。しかも、大学からの抵抗を避けるためにほとんど秘密裏に構想・設計されたもので、短期間での国会審議で強行に実現させようとする政治的スケジュールは、日本の学問・研究を行政が支配する暴挙に他ならない。
 国立大学から学問の自由、大学の自治を奪う、このような統制と誘導による大学支配の手法がより財政基盤の脆弱な公立大学、私立大学に波及することは必至であり、日本の高等教育のみならず、これを頂点とする学問・教育全体の破壊につながるものと言わざるを得ない。
 このような不当な内容をもち、政治主義的な手法によって法制化しようとする法案の即時撤回を強く要求する。