天皇制にかかわる言論の自由抑圧に反対する決議
一昨年の昭和天皇の病気以来,さまざまな形で政府は天皇を利用した国民への思想統制あるいは押しつけを行ってきた.病気中の見舞記帳の強要,死去にあたっての歌舞音曲の禁止と日の丸掲揚の強制,葬儀にあたっての服喪の強制や異常な警備,そして今度は「即位の礼」や「大嘗祭」への国民の動員と巨額の国費投入など,まさに戦前の天皇制復活を思わせる事態である.また,最近の例では,長崎県の植樹祭のおりに多数のけが人が救急車で運ばれたが,事前の打ち合わせによりサイレンは鳴らさないという人命軽視の措置さえも講じられていたのである.われわれは,こうした政府の姿勢がマスコミの異常なまでの天皇美化報道と,右翼による民主的発言への暴力による封殺事件を誘発させていることに強い危惧の念をいだかざるをえない.これらは,わが国における言論の自由に対する重大な挑戦であり,決して見過ごすことはできない.
そもそも,大日本帝国憲法下の戦前と異なり,主権在民の原則が憲法に規定された戦後の時代においては,天皇およびその制度のあり方をめぐって多くの意見があるのは当然である.本来天皇は不要という意見もあれば,戦争責任をきびしく追及する声もあった,政教分離に関する議論もあれば,元号無用論もある.しかし,今日天皇をめぐる議論で,一般にマスコミに登場するほとんどは,天皇あるいは天皇制の美化ないしは擁護の議論であり,それへの批判はタブーとされてきたのが実態である.そして,ついにそのタブーを破ろうとすれば,本島長崎市長や弓削フェリス女学院学長のように銃撃という凶悪な暴力が加えられるところまできたのである.
われわれは昨年来,東欧を中心にした自由と民主主義の運動に目を見はり,その中で言論の自由がいかに人間にとって大切なものである力をくみとったはずである.今日の天皇にかかわる言論封殺間題でのいきさつを見るとき,われわれの不断の努力で言論の自由を守らねばならないことを改めて認識させられる.
われわれはすでに,天皇問題に関して,その都度声明を出し,天皇の元首化,神格化に反対し,あるいは政教分雌の遵守などの要請を行ってきた.今後も,それぞれの段階での意思表明を行っていくとともに,この問題をタブーとせず積極的に議論を展開していかなければならない.
言論の自由のないところに社会の正しい発展は望めない.また科学の発展もあり免ない.われわれ科学者は,国民のあらゆる階層の中で,もっとも言論の自由に対して敏感でなければならず,あらゆる形の言論封殺の試みに抗し,全力をあげて日本における自由と民主主義の発展に貢献するものである.
1990年5月27日
日本科学者会議第25回定期大会